『今から行くね』
そう、メールが来た。
付き合った今となっては、こんなメールが来ることも、その内容も、自然で当たり前な日常の一部分となっていた。
講義が終われば、あいつがやって来て。
それは恋人という名称がつく前からそうではあったけれど、少しだけあの頃と違うのは、今日のように休日でも普通に会うようになったことだろうか。
踏み込んだ前と後の差違等、それくらいだった。
ふぅ、と小さく知らず知らず息をつく。
パタンと携帯を閉じた音がやけに響いて聞こえた。
学校から支給される備え付けのロッカー、机に椅子、それから自分で持ち込んだ寝袋。
必要最低限しかないこの部屋(以前、あいつに最低限も揃ってないよと言われたが)は、色もなく、静寂が支配して。
特に休日ともなれば、外の喧騒も聞こえず、まるで世界に一人きりのような錯覚に陥る。
昔なら、そうであれば良いと、願うように思っただろう。
自分以外いない世界。
そして自分のいない世界。
けど、今は。
ピリリリ、
頭を過ぎった感傷を掻き消すように、震動とともに鳴り出した携帯。
きっとあいつだ、なんて何故か確信して。
途端自然と緩む口許を自覚しながら手に取った。
「もしもし、」
『あ、八雲くん?』
耳に届いた快活な声は、一瞬で心を覆う何もかもを吹き飛ばしてしまうようだった。
「…僕の携帯なんだ、僕が出るに決まってるだろ」
『はいはい、そうですねーっだ。今コンビニに来てるんだけど、』
「いつもので頼む」
『分かった。あ、新発売のエクレアだって!おいしそ〜』
「…太るぞ」
『そんな事言うなら八雲くんの分は、買っていかない』
「その時は、この間みたいに君のを戴くまでだ」
『〜っ』
そう言ってやれば、電話越しにこいつが言葉を詰まらせたのが分かった。
それは先日、こいつの食べかけのアイスを一口戴いた時のことで。茹ダコのように顔を真っ赤にさせ、慌てふためいたあの顔は今でも鮮明に覚えてる。
だから、今、こいつがどんな顔をしているのか。
それが容易に想像できて、ばれないように小さく笑った。
『もうっ!』
「何だよ、何も問題はないだろ?」
『…意地悪』
「何のことだ?」
耳をくすぐる声がどうにも心地好い。
ずっと、聞いていたい、なんて。
『あ、レジ空いた。じゃあ、買ったらすぐ行くね』
「…あぁ」
けれど、すんなりと終わった電話。
ツーツーと無機質な機械音にどうにも言い難い感情が込み上げて。
まさか、寂しいだなんて。
パタンと携帯を閉じて、深く椅子に腰掛けた。
(あと、たった数分のことじゃないか。子供じゃあるまいし。)
そう自分に言い聞かせても、むくむくと想いは募って。
そういえば、最近ずっと“ここ”ばかりだ。
ふいにそんな事を思った。
それは外に出るのが面倒臭く、何よりも煩わしい僕に合わせてなのか、いつだって会うのはここばかりだと言うことで。
(行きたい所とか、ないんだろうか)
ぼんやりとあいつの脳天気な笑顔を思い浮かべて考える。
自分は別段行きたい所などないが、彼女はどうなのだろうか。
もしかして、我慢をさせていたりするんだろうか。
一度考え出せば、止まらなくなって。
恋人になってからも変わらない彼女を思い返せば、何だか悶々と心配になってきて。
(今日は良い天気だ)
誰にともなく、言い訳がましく心の中でそんな事を呟いて。
だから。
だから、前に新緑がきれいだとあいつが言っていた公園に行ってみるのも、良いかもしれない、なんて。
気付けば携帯とサイフをジーンズに捩込んで、陽が柔らかくさす外へと踏み出していた。
きっと、このまま行けば正門当たりで出会えるだろう。
公園にでも行くか、
そう言えばあいつはどんな顔をするんだろうか。
それを考えればどうにも心が囃し立て、足取りも自然と早くなって。
早く、会いたくなって。
――いつから、自分はこんな風になったのか。
そんなことを考えて、そして、そこでようやく気付いた。
踏みこむ前と確実に変わらないようで、歴然と変わったこと。
そうだ。
前より、もっと、もっと、
君が、好きだ。
(昨日よりも今日よりも、)
clap?
(2012/6/19)
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