*過去拍手お礼文です。







朝からぐずりだしそうだった曇天は、昼過ぎにはついに機嫌を損ねたように泣き出した。

ザーザーと室内に漏れ聞こえてくる雨音は時間とともに増すばかり。
窓を打つ音を背中に聞きながら、雨の日特有のじっとりした陰気な空気にため息をついた。


そしてちらりと携帯で時間を確認し、もうそろそろかと再び文庫本に視線を戻した。




「八雲くん!雨宿りさせて!」




案の定、ばたばたと忙しない音とともに、これまた騒がしい様相で飛び込んできたのは、すっかりここに馴染んでしまったトラブルメーカー。


予想通りすぎて、顔を俯けたまま笑った。



「…また君か」
「今日傘忘れちゃって。あ〜結構濡れちゃったぁ」



ため息混じりの声音に活字を追うフリをして苦笑を零す。

さっきまでの陰欝とした空気はとっくにどこかへ行ってしまった。
モノクロームの世界が色づくように。



「君は天気予報もろくに見ないのか?」
「ちゃんと見てるもん!今日はその、たまたま忘れただけで…」
「家を出る時にこの薄暗い空に気付きそうなもんだけど」
「うっ…それは…」



吃った声に軽く息を吐く。昨日の時点で午後から雨の予報が出ていたと言うのに。
まぁ君らしいと言えば君らしいが。



「あんまりにも濡れちゃったから、講義室にも入るに入れなくて…」
「だからってここを濡らされる僕の身にもなってくれ」
「だから、中には入らずここにいるんじゃない」
「中に入った時点で同じだろ」



どうりで一向に君の気配がやって来ない訳だ。
どうやら気遣って入口前に留まっているらしい。それくらい気にせずともいいのに。

パタン、と遠の昔に読むのを止めていた本を閉じる。

そこまで濡れているのなら、タオルくらいは出してやるか。
そう思い、どんなものかと漸く本から顔を上げ入口を見遣った。



「…」



そうして皮肉の一つでも言ってやろうとした口は、目に飛び込んできた光景に敢え無く言葉を無くした。


ぱさり、と本が手から落ちた。



「そりゃぁ申し訳ないなぁとは思ったけど、ちょっとくらいいいじゃない」
「……」



しかし君はそんな僕の動揺にも気付いていないようで。
呑気に頬を膨らませ口を尖らせている。

…全くもって何にも分かっていないらしい。




「何よ、八雲君のケチ」
「…おい」
「分かりましたよーっだ!もうこのまま講義室に行くからいいよ!」
「……おい」
「どうもお邪魔しました!」
「っおい!」




人の話を全く聞かず、ガチャリとドアノブを捻る音に考える間もなく身体が動いた。

がたんとパイプ椅子が耳を劈くような音を立てて倒れたが、そんな事にも構ってられず、扉を引いた君の元に駆け寄って。

ダンッ

僅かに薄暗い外の様子が視界に入ったと同時に、君の後ろから開きかけたドアを押さえこんだ。

君を胸の中に閉じ込めるように。




「や、八雲君?」
「…人の話は最後まで聞け」




下からたじろいだ声が聞こえたが、正直僕はそれ所じゃない。
両腕を扉についたまま、とにかく視線は真っ直ぐ古びたドアを睨みつけて。

一ミリも動かせない。




「えっと、これは、あの…」




困惑を隠しきれないように下で身じろいだのが分かった。両腕を精一杯伸ばして出来る限りの距離を取ろうとするも、そっと身体が触れている。

胸に当たる微かな温もりがどうにも気になって思わず下を向きそうになってしまった。

そしてさっきの光景が再び頭の中にちらついて、寸でのところで視線をそろそろと上に戻した。




「…八雲君?」



ごそりとまた君が身じろぐ。どうやら身体を反転させたようで、完全に向き合っているようだ。
下から吐息がかかり、ばっと思わず天井を仰いだ。


自然とごくりと喉が鳴った。





「どうし…」
「何も喋るな、動くな」




これ以上の誘惑を断ち切るように、恥じらいを含んだ甘やかな声を遮る。
話す度に感じる吐息と、体温に、身体が熱を持つ。



「喋るなって、そんな事言われたって…」



こっちの気も知らない君は、僕の口ぶりが気に食わなかったのか幾分むっとした声だった。
どこまで鈍感なんだ。
思わずため息をついてしまった。



「そんな呆れなくてもいいじゃない」
「呆れてるんじゃない、君の浅はかさを嘆いているんだ」
「ちょっと傘忘れただけで、そこまで言わなくても…」
「…そうじゃない」



そうじゃなくて。
そんな事じゃなくて。



「そうじゃないなら、何なの?」
「………っ」



口にしようとした瞬間、言葉がどうにも突っかえて思わず飲み込んだ。さっきの光景が再び浮かんで、更に喉の奥へと押し込める。
いつもはすらすら出てくる皮肉も出てこない。


(…いや、まず、こんな時どう言えばいいんだ?)


口にしようとすればするほど、顔に熱が集まるようで、小さく頭を振った。



「八雲くん?」

そんな僕にはお構いなしに至近距離に君の声。
この狭い空間内でずいっと寄ってくる。


こうなれば、言うしかない。


簡単なことだ。
いつものように馬鹿にしてしまえばいい。
いくら愚鈍なこいつでも、言えばさすがに分かるだろう。




「…つまりだ」
「うん?」




息を軽く吸い込んで、平静を装って。




「ようするに…」
「うん?」




厭味をたっぷり込めて。







「……君は、びしょ濡れだ」






心の中でうなだれた。






「そうだけど?」


訝しむような声に、首を傾げているであろう君の顔が容易に想像出来た。予定していた言葉が出てこなかったことに、僕の方こそ首を傾げたいのだが。

思わず心の中で舌打ちを零す。
もちろん自分に。




「八雲君?」




きっとこんなにも動揺しているのはこの距離のせいだ。鼻を擽る優しい匂いに、思考が上手く廻らない。

何より僕とドアの僅かな空間にすっぽり納まるこいつを解放してやらないと。




「…もう行くからね」




不意に諦めたような声とガチャリとドアノブを回す音が耳に飛び込んできて、はっと我に返る。




「ダメだ!」




反射的にダンッと再び扉を押さえつけて、ドアに向き直していたその細い肩をこちらに向かせた。

そうして振り返ったその瞳は、驚きに大きく見開かれていた。
そして何より向き直ったその身体に僕も目を見開く。



びっしょり濡れた服が肌に張り付いて、主張するかのようにその胸が、下着の色だけでなく形までも露わになっていた。






「…!!」




間近で目に飛び込んできたそれに、釘付けになったように視線を動かせない。


一気に顔に熱が集まる。


いつだったか、君が言った通り、確かにCなのかもしれない。
そんな事を頭の片隅で呑気に思った。





「あ、あの…」




戸惑うようにかけられた言葉に、ぎくりと一気に我に返った。

慌ててばっと視線を上げれば至近距離に君の顔。
鼻先が触れそうで、口にかかった吐息にクラクラした。



「…悪い!」



一瞬の後、のけ反るように勢いよく離れ、2、3歩離れた所まで後ずさる。



「…ううん。気にして無いから」
「あ、ああ」



何とか取れたこの距離に、少し惜しむ気持ちは気付かないフリをして、ほっと安堵の息をつく。

そして、頬を紅く染め、伏し目がちなその顔に目を向ければ、当然広くなった視界にうっすら透けたピンクが飛び込んできて。

思わず固まる。




「えっと…どうして、ダメなの?」
「そ、それは…」




しまった、と思ったところでもう遅い。今更背を向けるのも不自然な気がして、どうにか視線をその潤んだ瞳に固定して余計なものを見ないようにと心がけても、視界の下にちらつくピンクに意識を持っていかれそうになる。
悪いと思っても、どうしても見えてしまう。



「それは?」



そんな自分の状態に全く気付かないで、暢気に首を傾げて。

そんなのダメに決まってるだろう。
僕以外の奴に見られるなんて、考えただけで腹立たしい。



(こうなれば言うしかない。言ってしまえば全て解決する。)



そう半ば諦めのように心を決めた。
今更だが、こうなれば伝えるしかないのだ。
今更だが。



そこではたと気付く。



(…今更すぎないか?)



時間も大分経過した今、「君の胸が透けている」なんて言ってみろ。きっと慌てふためき、顔を真っ赤にした君は、何でもっと早く言ってくれないのだと言うに決まってる。
まぁ、そこまではいい。事実だから。
そこまではいいが、では、そうなった時。
僕はその事実を君に隠して、愉しんでいたと思われるのではないか?やましい気持ちで、君を見ていたと思われるのではないか?


…言えない。





「…なんでもない」
「もうっ!じゃぁ、行ってもいいの?」
「それはダメだ」




だから、何でなのよ!と頬を膨らます君を一瞥し、その下は出来る限り見ないようにここで漸く踵を返して、足早にロッカーからタオルを取り出した。

そしてそれを、扉前に立ち尽くす君へと差し出す。

視線は明後日の方向のまま。




「…今出たところで余計濡れるだろ。もう少し待ったほうが良い」



なんとか尤もらしい言葉を吐き出しながら差し出したタオルを、「ありがとう」と小さく照れたように返事して、素直に受け取ってくれた事にほっとした。
頭や顔を拭いだした気配を感じながら、どうにか熱を冷まそうと雨に打たれる窓を眺める。


しん、とした室内で、雨音がやけに遠く感じられた。






(さて、これからどうしたものか。)



未だ止む気配のない、窓の外を眺めてこれからの事を思案する。


恐らく拭き終えれば、真面目なこいつの事だから講義に出ようとするだろう。だが、肝心の服が乾いてくれないことには、引きとめた意味がない。
行かせられないのだ。
まして、その鈍感さで自分の現状をまるで分かっていないのに。

帰すにしろ何にしろ、外に出すわけにいかない。


はぁ、と先を思い小さくため息をつく。


これから、どうにか君を引きとめ、なおかつ僕の尊厳を保つために、この事実を隠し通さなければならないのだ。


これはある種、君との戦いなのかもしれない。





そんなことを悶々と考え、憂いていれば、ふいにフフッなんて笑い声が聞こえた。


「?」


突如聞こえた、今この空気に相応しくない柔かな笑い声に、思わず窓から視線をはずし、横にいる頭一つ分低い君の顔へと移動する。
薄っすら透けたピンクまで一緒に目に入ってしまうのは、不可抗力だ。




「何を笑って…」




そして、タオルに顔を埋めるように、上気した頬を緩ませて、照れたように笑うその顔に一気に身体が熱を持つ。

しっとりとした髪が白い首筋に張り付いて、それがひどく艶かしく扇情的で。




「八雲君の匂いがする」




そう嬉しそうに笑う姿に、くらくらとした。

心臓が暴れて煩い。
目が離せない。








そして、警鐘のように鳴り響くその音に、僕はようやく気付く。



戦うべき敵は、僕自身なのかもしれないと。













敵はどこだ?
(ラスボスは間違い無く、君だ。)










clap?




‐‐‐‐‐‐
むっつりーに八雲!
…ホントすみませんでしたorz








 
拍手お礼掲載期間 2011/5/27〜2012/4/7







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