*『心霊探偵八雲3〜闇の先にある光〜』
単行本じゃなく文庫版のP161〜、晴香を迎えに行ったシーンの八雲sideの3Kです。
資料は彼女が持って行ってしまった。
だから頭の中の記憶を頼りに人で賑わう電車に乗り込んだ。
車体がその動きを止める度、箱詰めのような状態から人が零れるようにパラパラと降りていく。
都心を離れるのに比例して減少するそれを横目に、ただぼんやりと車窓の外の流れる景色を眺めた。
――任せたぞ。
そう言って肩を叩いた時に覗き見たその表情は、不安そうに眉ねを寄せてひどく頼りないものだった。
それでも彼女がそんな弱い人間でないことを知っていたし、何だかんだ芯のあるその性格を、それは時として頭痛の種ではあるが、頼もしくも思っていた。
それを口に出すことは絶対ないが。
だから、頼んだ。
けれど掌に残った暖かさなんかよりも触れた肩の細さに内心驚いて。
何だかちくり、と胸が痛んだ。
まぁ、危険な訳でもなければ失敗したからと言って大した損失もない。大丈夫だろう。
後ろ髪を引かれるような思いも
痛んだ胸の理由も
気付かないフリをして。
そうして車に乗り込んだのが今朝のことだ。
結局はどうにもそれらが心で燻り続けるものだから、こうして足を運んでいるのだけど。
目的地に降り立って、またしても頭の地図を頼りに足を進める。
ポケットに突っ込んだ携帯を引っ張りだしてディスプレイを開く。
時間的にはもう頼んだ用事が済んでいることも考えられる。
でものろまなあいつの事だからきっとまだに違いない。
メールも着信もないその無機質な画面にそう結論付けて。
本当はこの携帯を使えば足を運ぶ必要なんかなかった。
でもすぐにトラブルに巻き込まれ、挙げ句無鉄砲に動き回るあの能天気さを思えば自然と足が向いていた。
風が唸るように横を通り抜ける。
残る熱風は通り過ぎた電車の残像のように消えなくて、あまりの不快さに思わず目を細めた。
そして温い空気を振り払うように顔をあげ見据えた先に、探していた姿を見つけた。
完全につま先を見つめ、とぼとぼと頼りなく歩くその姿。
見るからに落ち込んだ姿に苦笑が零れた。
これだけ感情が素直に出てしまう彼女には、今回の頼みは難しかったか。
そんなあいつに言えば怒り出すであろうことを考えつつも、落胆はなかった。
わかりきっていたからとかそういうんじゃない。
その姿を捉えて
安堵した自分がいた。
視界に映れば
お節介で能天気でころころ変わる表情や、その危なっかしい足取りが気になって。
けれど、見えていなければ途端にその断り切れない性格で、いらぬトラブルに巻き込まれているんじゃないか、危ないことに考えなしに突っ込んでいるんじゃないかと、一人ぐるぐるとループして。
――見える所に居てくれる方が何倍も良い。
そんな事を思った自分にまた苦笑を漏らす。
彼女を見つけて途端に緩慢になった歩調は
ただ真っ直ぐ彼女に向かう。
一歩ずつ、どんどん縮まる距離。
それでも彼女は顔をあげない。
誰かにぶつかりでもしたらどうするんだか。
苦笑いともとれるため息が自然と漏れた。
いよいよ目の前にやって来て最後まで気付かないこいつに今更ながらにどう声をかけようなんて。
結局逡巡したのち、口から飛び出したのはいつもと変わらないものだった。
「そんな歩き方をしているから、すぐ転ぶんだ。」
気恥ずかしさをごまかすように口をついた自分の言葉に内心呆れもするが、これが自分の性分なのだ。
驚いたように目の前でピタリと止まった足取りに、次いでゆっくり上がる顔。
その表情はやっぱり曇っていて。
また、ちくり、と胸が痛んだ気がした。
「後藤さんの方は、もういいの?」
「君一人じゃ危なっかしいと思ってね。様子を見に来たんだ」
「そう」
そんな顔をするな。
そう言いたくとも、
するりとそんな言葉を紡げるような性格じゃないことは自分が一番よく知っている。
どうせこいつの事だ。
失敗したことを責めているんだろう。
押し付けるように頼まれたことだというのに。
放棄したって、失敗したって別にこいつが困る訳じゃないのに。
このお人好しがこんな風になるのはいつだって他人の事だ。
「まあ、その様子じゃ失敗したらしいな」
気にするな、と当然言えるはずもない。
ただこう言えばきっと、最初からそう思うなら頼まないでよ!なんて頬を膨らませ、少しはこいつの気持ちが軽くなるんじゃないか。
そんな事を考えた自分がいたのも一つの事実だ。
でもそんな予想の代わりに差し出されたのは
少し古びた赤い表紙の手帳。
それを驚いたままに受け取った。
「これは?」
「里佳さんが持っていた日記」
力無く彼女が紡いだ言葉に、一瞬で全て自分の杞憂だったと悟る。
日記だなんて、大した収穫だ。
「そうか…」
じっと、摩れた赤い表紙を見つめれば、脳裏に悲しみに濡れたあの女性の顔が浮かんだ。
…彼女は今この瞬間にもビルの屋上に立っているのだろうか。
ずしりと、手に重みが宿った気がした。
きっとこいつもその重みを受け止めているんだろう。
君にしちゃ上出来だ、そう続けようとした言葉は彼女の震えた声に阻まれ飲み込んだ。
「里佳さんのお父さんが、娘は自殺じゃないって…でも、誰も信じてくれなくて…」
「自殺じゃないって根拠はあるのか?」
「違うわ!」
口をついて何の気なしに出た言葉を掻き消すように、悲痛な声と共に視線が正面からぶつかる。
その瞳の奥は酷く傷ついていた。
あぁ、そうだった。
根拠とか、証拠とかそういうことじゃないんだ。
人の想いというのは。
これは君に教えてもらったことだ。
「里佳さんのお父さんは、一人でずっと、ずっと、ずっと苦しんでるの…だから…」
そう途切れた言葉の先はボロボロと溢れる涙に掻き消されて。
苦しそうに胸の前で握られた手が震えていて。
ああ、そうか。
「君はまだ…」
自分のことを責めているんだな。
その言葉は電車の音で掻き消され、彼女には届かない。
無意識の内に里佳さんの父親の苦しむ姿に、
きっと姉を、母を、そして自分を重ねているんだろう。
助けたい。
それは哀しみを知る彼女の優しさでそして罪滅ぼしなのかもしれない。
本人も気付いていない、深い深い潜在的なもの。
まるで自分の身を切るようなその想いは、ただ真っ直ぐで、痛い。
「私は…」
こいつを行かせればこうなることも予測できたはずなのに。
何故もう少し気付いてやれなかったのか。
誰かを気遣うということがひどく難しい。それをたまらなく歯痒く思う。
その胸の内に沸き上がる全てを小さな身体に押し込める姿に、確かにずきり、と鈍く重く自分の胸が痛んだ。
ああ、そういうことか。
痛む胸にすとんと落ちた答え。
僕は、こいつの涙を見たくないんだ。
いつもその涙を見る度に感じてた、締め付けられるような感覚も波打つ心も、理由なんて簡単なことだった。
「悪かったな」
伸びた腕は衝動なのか。
けれど、こんな時だけ喉から出なくなってしまう自分の言葉よりこうするしか出来ないとも思った。
力任せに、けれど彼女を傷つけることのないように、その頭を引き寄せた。
重力に従い傾いたその身体は、容易に収まる小ささで。
頬を掠めた柔らかな髪も、小刻みに震えるその身体も、全て包めたらこんな想いもしなくてもいいのかもしれない。
触れ合った場所から、その苦しみも哀しみも、僕に流れ込んでくればいいとすら思う。
「八雲君…」
きっとこの傷を消すことは出来ない。
これは彼女が一生背負っていくもので、僕なんかが何を言った所で消せるはずもない。
それでも、こいつのこんな顔は見たくない。
「君に、辛い思いをさせた」
いつだって笑っていてくれればいい。
それだけで、僕はいい。
その笑顔がいつも僕を肯定してくれた。
深く澱んだものでさえ照らしてくれた。
君は気付いていないだろうけど。
僕はいつだってその笑顔に、彼女という存在に救われていた。
「…、っ」
漏れた嗚咽。
強張っていた身体の力を緩め、縋り付くように身を預けてきた彼女は、
ただただ、泣いた。
天才的なトラブルメーカーで、お節介で、能天気で、お人好しで、そして何より真っ直ぐで、優しい。
そんなこいつは、
これからもその記憶を背負って他人のために泣くんだろう。
それでも、僕は。
優しい君が、優しいままでいられるように、
いつだって、笑顔でいてほしいと、そう想う。
それはまるでずっと心の奥底に根付いていたかのように強く揺るぎなく自然と胸を占めて。
痛みとは違う何かが小さく胸で疼いた。
──悲しませる全てから、守れたなら。
湿りを帯びた温い風が静かに吹きぬける。
そのまま、せめてこいつの涙だけでも奪い去ってくれればいいのにと願いながら
そっとその小さな身体を抱きしめた。
芽ぐむ
それは静かに、穏やかに。
clap?
‐‐‐‐‐‐
随分前に書いたやつをサルベージ!
八雲が晴香の涙を見るのが嫌だと気付いたのは、この時じゃないのかなーなんて思って書いたやつだったと・・・
人の痛みをちゃんと受け入れられる、優しい子だよ、八雲は!!
この後、我に返った2人はアワアワすればいいと思うよ!
(あれ、そんな話も書いた気がする・・・どこいったっけ。)
(2011/7/24)
(2012/5/30)
page top