「今からうちに来てくれないか」


珍しい八雲からの電話。
その名前が表示されるだけで、未だ出るのにドキドキしてしまう。

そんなドキドキとともに、また事件絡みの用件だろうか、なんてほんの少しの訝しみも持って。
平静を装って出た先で、八雲は開口一番にそう言った。














そうして、今。
八雲が『うち』と言ったお寺に晴香は足を運んでいた。
いまや後藤の家でもあるそこを、八雲はうちと呼ぶ。
無意識であれ、捻くれ者の八雲の心を映しているようで。
そう呼ぶのを聞くたびに晴香は嬉しく思っていた。


それは心の拠り所がある事を、ちゃんと理解しているという事だから。




庫裏までたどり着き、チャイムを鳴らす。

するとすぐに、とたとたと軽快な足音が聞こえ、ガラリと勢いよく扉が開いた。



「こんにちは、奈緒ちゃん」



扉が開いたそこに居たのは、満面の笑顔を浮かべる奈緒だった。



『こんにちは、お姉ちゃん!』



すぐに頭に直接響いた声は、明るく快活。耳から聞こえるのではないそれは、奈緒の“声”だ。
その声に晴香は更に笑顔になった。
エネルギー溢れる奈緒の笑顔や声は、自然と人を明るくする。



「…!わわっ、奈緒ちゃん、待って!」



しかし、それも束の間。
そんな晴香の手を奈緒は勢いよく掴み、すぐさま走り出してしまった。
慌てて靴を脱ぎ、奈緒に引かれるまま晴香も歩く。



そして通された部屋に、呼び出した張本人はいた。
八雲だ。



いつもどおりのぼさぼさ頭で、眠そうに大あくびをかいて。入ってきた晴香を一瞥し、
「…あぁ、君か」
なんて、どうでも良さそうに眠たげな目で言ってのけたのだ。





自分で呼び出したくせに!

随分なあいさつに晴香は思わず叫びそうになったが、それはぐいぐいと座るよう促す奈緒によって止められた。


促されるまま、机をはさんだ八雲の正面に座る。
奈緒は満足げに晴香の隣に腰を下ろした。


何も切り出して来ない八雲に晴香が痺れを切らせ、口を開いた。


「急に呼び出したりして、どうしたの?」
「…あぁ、ちょっとな。それより君はよっぽど暇人なんだな」
「なっ…!!」


呼びつけておいてこの言いよう。
この八雲が来れないか、なんて言うから何事かと急いで来たというのに。

八雲と過ごすようになり慣れたとは言え、晴香は腹を立てながらぎろりと睨んだ。
が、ここでムキになるのは思う壺だという事は学習している。



「お呼びじゃないみたいなら、私はもう帰るけど?」



そう、冷静につんと顔を背けた。



それを見た八雲はほんの少し苦笑いを零した。
隣の奈緒は、きょとんと晴香を見上げている。




「拗ねるなよ」
「拗ねてなんかないもん」
「悪かったよ。君の力が必要なんだ」
「私の力?」




八雲が素直に謝ってきたことよりも、その後の言葉に晴香は反応した。



「力って…また何か事件?」
「そうじゃない。君みたいなトラブルメーカーと一緒にしないでくれ」
「あ、そういう事言うんだ!」
「事実だろ」



本当に一言余計なんだから!
再び晴香はむくれてしまう。
そんな晴香に焦ることもなく、八雲は計算通りとばかりに言葉を続けた。



「奈緒の頼みなんだ」
「…奈緒ちゃんの?」



八雲君の頼みなんてもう聞いてあげない、なんて言おうとしていた晴香も、奈緒の名を聞いてしまえばぴたりと止まる。

そんな晴香の様子に八雲はどこか勝ち誇った顔だ。


真偽を確かめようと横にいる奈緒を見れば、奈緒が頷くようににこりと笑った。
…どうやら、本当らしい。



まぁ、奈緒ちゃんの頼みなら──。



自分を本当の姉のように慕ってくれて、自分も本当の妹みたいに思っている奈緒の頼みとあらば、出来うる限り聞いてあげたい。

結局の所、兄同様、晴香も奈緒に甘い。



晴香は八雲への文句を飲み込んで、奈緒に向き合った。



「なぁに、奈緒ちゃん?」



そう晴香が優しく問いかければ、奈緒は嬉しそうにきゃっきゃと笑った。
そしてその小さな手で色とりどりの折り紙を差し出した。




「折り紙…?」




唐突に差し出されたそれを受け取れば、奈緒は更に笑顔になる。
そして自分の分の折り紙を机に置いて、わくわくした目で晴香を見つめている。




「奈緒ちゃん何か折りたいの?」
「鶴の折り方が知りたいんだとさ」




晴香の問いかけに奈緒より早く答えたのは、八雲だった。



「鶴…?」



少し意外に思い、晴香は驚いた。
このくらいの年の女の子ならば、もっと可愛い凝ったものかと思っていたのだ。
なぜ、鶴なんか…






「今日で一年だからだろ」






その言葉で、はっとする。

そうだ。
今日で、あの震災から一年──…





そして、気付く。


「そっか、千羽鶴…」


奈緒がどうして鶴を折りたがるのか。
その意味を酌み、晴香は思わず胸の前で手を握り締めた。



きっと。
幼いながらも、理解しているのだ




そして、考えているのだ。



そう思えば、胸が、熱くなった。






「子供なりにも、いろいろ感じて思ってるんだろうな」





同じ事を思っていたのか、そう穏やかな声で紡いだ八雲の表情は、優しかった。

2人で、折り紙を見つめている奈緒を見遣る。




きっと、奈緒も忘れないんだろうな。

八雲が小さく呟いた。






あの日深く刻まれた、傷を。
あの日受けた、衝撃を。

忘れてはならないのだ。
それを胸に、明日を生きることを。











『お姉ちゃん。やっぱり折り紙これだけじゃ、足りないよね?』



唐突にくいっと服を引かれ我に返れば、奈緒が不安げに眉を下げていた。

尋ねられた言葉にその折り紙を見れば、そこには35枚入り、と書かれている。
千羽鶴を作るのならば、確かに足りない。

けれど。




「大丈夫だよ」




そんな奈緒の頭を優しく撫でる。




「一つひとつにたくさん気持ちを込めたら、足りるよ」




気休めなどではなく、そう心から笑いかけてやる。



だって、大事なのは数なんかじゃなくて、その気持ちだから。
そしてそれを持ち続けることだから。





『うん…!!』




奈緒は力強く頷いた。
そして何かを思いついたように、瞳を爛々と輝かせた。




『そうだ!これから毎年作っていったら、いつか千羽折れるよね!』




そう、笑った。






来年も、その次の年も、その次の次も。
一度に作れずとも、ちょっとずつでも作り続ければ、いつか千に届くのだと。










──あぁ、繋がっていくのだ。




奈緒を見て、沸き上がるように、強く思った。



記憶も想いも、きっと。
人の間で、日々をまたいで。


確かに、続いていくのだ、と。




















「早く折り方を教えてやったらどうだ?」



込み上げる想いを堪えていれば、いつもの捻くれた声がした。



「あ、うん」



慌てて八雲に返事をすれば、
その捻くれ者がさりげなく手にしているものが目に入り、笑ってしまった。


八雲に似つかわしくない、ピンクの折り紙。




「何だよ」
「べっつに〜?」
『ねぇ、お姉ちゃん、早く折ろうよ!』
「そうだね。どっかの誰かさんも知らないみたいだしね」




そう楽しげに零し、晴香も折り紙へと手を伸ばす。






それは、繋がっていく確かな、想い。

褪せることない、希望。
















続いてく
(ずっと、ずっと、)




















(2012/3/11)






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