*『ありがとう』『一人じゃないから』の続きです。









『もう、切るぞ』
「ちょっと八雲くん…!」


制止の間すら与えられずに、告げたと同時に一方的に切られた電話。
予想していなかった展開について行けず、晴香はただ電話を耳に押し当てたまま固まっていた。


“ぼくが行くまで、寝るなよ”


頭の中で先ほどの八雲の言葉が反響する。

そう言った八雲はひどく優しい声だった。
その声音だけでほっとして泣きそうになった。

嬉しかった。
それだけ本当は怖くて不安だったから。
何よりその不安を見抜いてくれた事が、嬉しかった。

でもそれと同時に、そんな風に気を遣わせてしまった自分が情けなくて遣るせなくて。
心配した相手に心配かけてしまった。



「私が行ってもいいかなんて聞いたから…」



だから八雲は来るなんて言ってくれたんだろうな。
不安で怖いのなんて皆一緒なのに。もしかしたらあの八雲だって不安に思っていたかもしれないのに。
それなのに、不用意に吐いた弱音に八雲を困らせたんだろう。


言うべきでなかった。
今頃悔やんでも仕方がないが、今この時も危ない中八雲がこちらへ来ているのだと思うと胸が痛んだ。


相反する気持ちがせめぎ合って、なんとか形に出来たのはたった2行のメール。

ありがとうと、気をつけてね。

ちゃんと届きますようにと願いながら送信ボタンを押した。













突然の地震は経験したことのない大きな揺れだった。
地震だと認識するよりも先に一気に恐怖が全身を駆け巡った。
耳をつんざくようなたくさんの音が鳴り響き、視界の中で慣れ親しんだ自分の部屋が一気に変貌して。
揺れが収まった部屋はただただ悲惨で、冷蔵庫は前に飛び出し通路を塞ぎ、棚や箪笥は倒れてしまった。

突然すぎる出来事にギュッと胸元にある赤い石を握りしめた。
「…八雲君っ」
そして頭を過ぎった八雲の顔に弾かれたように我に返る。
動こうと身体に力を込めれば途端ずきりと足が痛んで。はっと目をやれば倒れてきた箪笥の下敷きになっていた。
“君は本当に鈍臭いな”なんてため息をつく八雲の姿が脳裏に浮かんで、でもこれは不可抗力だもんと自分で自分を慰めながら箪笥に手をかけた。
思いの外容易に持ち上がった箪笥から足を引き抜き、とりあえず携帯を探しだし八雲へとかけてみるものの全く通じず。

コール音すら聞こえない静寂の中、まるで世界と遮断されたような気持ちになった。



不安と心配ばかりがただ募り、何度も何度もかけ直し、ようやく繋がった時には安堵からその場に崩れてしまったのだった。









〜♪♪


不意に鳴り出した携帯にびくりと肩を震わせ、はっと我に返った。

慌てて出れば、「ついたから開けてくれ」なんて開口一番に言われてしまった。










「八雲君!」

玄関を開けて、変わらないその姿に心底ほっとした。

嬉しさから晴香が満面の笑顔を浮かべれば、八雲は視線を外してただ頭をがしがしと掻き回した。
そして晴香越しに部屋を一瞥し、呆れたと言わんばかりに眉を吊り上げた。



「…どれだけ暴れたらこうなるんだ?」
「なっ!私が暴れた訳じゃないもん!」
「そんな事は君に言われなくたって分かってるよ。それより早く入れてくれ」
「もう!」



全くいつもと変わりない八雲の調子に拍子抜けしそうになりつつ、その頬を膨らませた。
八雲がそっと口許を緩めた事には気付かなかった。



「そうだ八雲くん!」



玄関に上がったと同時に突如晴香が振り返り、ずいっと八雲に詰めよった。

八雲は一気に詰まったその距離よりも、先程の笑顔と一変した、どこか切羽詰まったその顔に身構えた。



「後藤さん達大丈夫だったかな!?」



そして泣きそうな声音で告げられた言葉に拍子抜けして八雲は思わず目を丸くする。
あぁ、やっぱり君らしいと胸の内で苦笑した。



「あぁ、それなら…」
「電話かけても繋がらなくて。やっぱり私、様子見に…」
「大丈夫だ」



早口でまくし立てる晴香の肩にそっと八雲が触れる。
その温もりにどこか安心しながら、晴香は言葉を待った。



「さっきその熊から電話がきたよ。皆無事だそうだ」



瞬間、狼狽えていたその瞳が小さく揺れて、泣き笑いのような顔になった。



「…良かった!」



心底ほっとしたように胸の前で手を握る。
安堵が広がり、全身から力が抜けるようだった。


心配で心配で仕方がなかった。
連絡が取れないだけで、不安に押し潰されそうだった。

“分からない”という事が怖くて、そしてまるで世界に一人ぼっちのように孤独だった。


今まで、思った時にいつだって誰とだって繋がる事が出来た。その術を持っていた。それが当たり前だった。
けれど、そのツールが初めて意味を成さなくなって感じたのは恐怖だった。







ふいに俯いたその頭をくしゃりと撫でられて。
晴香が顔を上げれば、優しい赤と目が合った。

何だか、泣きそうになった。



「明日片付けの手伝いに行く事になってる」
「あ…」

八雲の言葉に、晴香ははっとした。

そこまで頭が回っていなかった。
後藤さん達の安否ばかり気にして、他まで考えが至ってなかったのだ。
恐らく、年季の入ったあのお寺は被害が多少なりとも出ていることだろう。
それを想像すれば胸に鉛が落ちたようで、後藤さん達に限らず今この時もいろんな人が辛い思いをしているかもしれないと考えただけで胸が痛んだ。


弱気になってる場合じゃない。



「私も行ってもいい?」



沈む気持ちをなんとか叱咤して八雲を伺えば、当の八雲は最初から分かっていたと言わんばかりに口許を優しく緩めていた。



「来るなと言っても来るんだろう?君はお節介だからな」



そう憎まれ口を零して。










片付けを始めると八雲は晴香の予想に反して、憎まれ口を叩くことなく黙々と床に散らばった食器類の破片を集めだした。
それを見た晴香が慌てて「危ないから私がやるよ!」と代わろうとしたのだが、「だから、ぼくがやるんだ。君に任せた方が危険なうえに余計な面倒が増えるのが目に見えてるからな」

とはねのけられてしまった。
そんな子供じゃない!と思わず言い返しそうになったが、今は不毛な言い争いをしている場合ではないと晴香は文句を飲み込んで結局八雲に甘える事にした。
八雲が床の細々としたものを片付けてくれている間に、晴香は倒れた洋服箪笥やテレビに取り掛かる。
恐る恐る引き起こしたテレビは幸いにも液晶に傷もなく無事のようだった。
ぷつんと小さく音をたて、テレビの電源が入れば静かな室内にアナウンサーの固い声が響く。


「外も大分混乱してるみたいだね」
「…そうだな」


お互い暫し慌ただしい画面を凝視して。
そして八雲が再び片付けを始めたのを皮切りに晴香も黙々と目の前の作業を再開させた。



さすが男の子と言うべきか、動いた冷蔵庫や重いものは、八雲がすんなり直してしまった。
晴香が手こずっていれば「ひ弱なフリをするな」なんて憎まれ口を叩きながらでも必ずその横から助けにでる。


自分を気遣ってくれるその優しさが嬉しくて、晴香がありがとうと素直に笑えば八雲はバツが悪そうに頭を掻きながら作業を再開してしまう。
そしてそんな八雲の様子に晴香はまた笑ってしまうのだった。








元々広くない部屋なだけに、あらかた片付ければすぐに元の様相に戻った。
すんなり歩けるスペースを取り戻した床を満足げに晴香は眺め、ベッドに背をもたれた功労者である八雲を振り返る。



「本当にありがとう!」



心からの気持ちを言葉に乗せた。

片付けの事だけではない。
こうして、来てくれた事に深く感謝していた。傍に居てくれた事が、心強かった。



すっかり日付も変わってしまった中、今も腰を落ち着けているのはきっと八雲の優しさなのだと思う。


何を言うでもなく、頭を掻くその姿にもう一度くすりと笑いを零して、晴香は立ち上がる。



「ココア、いれるね。」



そうしてキッチンへ足を向けた時だった。



「何で言わなかった」



背後から聞こえた言葉に引き留められた。

何を?そんな疑問に首を傾げながら再び振り返れば、真っ赤な瞳がまるで窘めるように向けられていた。


「足」
「え?」
「足、痛めたのか?」



不機嫌さを隠しもしない声音で告げられ、晴香はようやく八雲の言わんとしている事を理解した。

同時に自分の迂闊さを悔やむ。


――こんな事で心配をかけたくなかった。



「別にどうもしないよ」
「庇うように歩いてたくせによく言うよ」
「それは…」



どうやら言い逃れは出来そうになかった。

確かに、倒れてきた箪笥が直撃した右足は痛んでいた。
それでもオーバーな痛みではなく、打ちつけた所が体重をかければ少し痛む程度のことで。
さっきまでは物が散乱していた為、避けるように歩く事でごまかせたが、物が退けられた今、ごまかして歩く事が出来なかったのだ。
それでもばれるとは思いもしなかったのだが、体重をかけすぎないよう歩いたほんの些細な変化を八雲に見抜かれてしまったのだろう。



「救急箱」



怒りすら孕んだ声で言われてしまえば、「はい」と小さく返事して、救急箱を掴んで隣に座るしかなかった。








「最初に言えばいいものを」
「だってそんなに痛くなかったし…」
「大体君に隠し事なんか出来るわけないだろ」
「隠し事って訳じゃ…別に言う程の事でもないなぁって思っただけで…」
「君は本当に屁理屈ばかりだな」
「…八雲君には言われたくない」



ジロリと睨みつけられ、口を噤む。


ばれた時に覚悟していた事ではあるが、八雲は小姑のようにぐちぐちと何故言わなかったのかだとか、君は鈍臭すぎる(足を挟んだ時に想像した通り!)だとか、文句を零していた。
ただ、その口ぶりとは違い、手当てを施す手つきは優しかったが。



「明日には腫れも引いてるだろ」



そう言って、熱さましを貼付けた右足をお終いとばかりにパシンと叩かれた。



「いったぁい!」



じん、と疼きながら響く痛みに反射的に声を上げてしまった。
何て事をするんだ!

すると頭上から悪びれもしない暢気な声。



「やっぱり痛いんじゃないか」



叩かれたら痛いに決まってる!八雲のひとでなし!


そう抗議してやろうと精一杯睨みつけて顔を上げて仰ぎ見た。
そして目に飛び込んできたその顔に、呆気なく怒りも批難の言葉も萎んでしまった。



「我慢せず、痛いなら痛いと言えばいいだろ」



そう言い放つ口ぶりはいつもの八雲だと言うのに、その表情はひどく優しかった。
真っ直ぐに晴香を見据えるその瞳は労るように柔らかい色を湛えていた。



「君が無理をしてどうなる」



まるで諭すような、あやすような温かさを含んだ言葉。
その声音に潜む八雲の優しさを瞬時に理解して、思わず目の奥が熱くなったのをぐっと堪えた。



「だって、ただでさえ迷惑かけちゃってるし…」
「君の迷惑なんて今に始まったことじゃないだろ」
「だから心配までかけたくなくて…」
「人の心配なら必要以上にするくせに」
「そ、それに、私より大変な思いをしてる人だっているのに…」
「そうかもしれないが、君だって大変な思いをしたことには変わりないだろ」



何を言おうともすぐさま切り返される言葉の応酬。
遮るようにはっきりとした口調で言い切られた最後の言葉に、晴香は思わずはっと息を飲み込んでいた。

“君だって大変な思いをしたことには変わりないだろ”

深く、その言葉が響いていた。





それは、許されたようだった。
甘えたって、泣いたっていいんだと、言ってもらえているようだった。





「怖かったなら、怖かったと言えばいい」





きっと。
きっと八雲にはお見通しだったんだろう。
どんなに自分で蓋をしたところで、ずっと気付かれていたんだろう。




「…怖、かった」




泣いてはいけないと思った。
弱音を吐いてる場合じゃないと思った。

不安で怖くて心配で。
でも、それは私だけじゃなくて。
八雲だって、きっと皆だって同じで。



だからこそ、こんな時だからこそ、頑張って自分を奮い立たせなければいけないと思った。






押し留めていたものが、溢れ出るようだった。






「全く。始めから素直にそう言えばいいんだ」
「…っ」





気付けば、視界はすでにゆらゆらと滲んで。
その優しい顔と優しい声に抗えるはずもなく、堪える間もなく涙が零れ落ちた。

それはぼろぼろと留まることなくいろんな感情を入り混ぜたままに、溢れ出る。

堰を切ったように流れ出る涙はどうしようもなく、隠すように両手で覆っても、漏れる嗚咽は隠しようがなくて。

そして背中に温かな何かが触れたと同時に、そのまま優しく引き寄せられた。
そこは確認するまでもなく、八雲の胸の中で。
全身を包む温もりに、今度こそストッパーが外れたようだった。



「子供みたいだな」



そんな厭味を耳元で聞きながら、八雲くんが泣かせたくせにと少し恨めしく思う。
けど、そんな憎まれ口よりも、この温かさこそが八雲なのだと分かってる。




「…まぁ、早く元気を出したいなら溜め込むよりも出してしまったほうが手っ取り早そうだ。君みたいに単純な奴なら尚更」




本当に一言余計なんだから。
それでもそっと頭に添えられた手の心地よさに免じて、それは聞き逃すことにした。



未だ止まらない涙を情けなくも思うけど、溜まっていた澱が身体から流れ出ていくようで、強張っていた肩の力が緩やかに抜けていくのが分かった。
我ながら単純だとは思うけど、それだけで気持ちまで晴れやかになっていくようだった。



確かに、八雲が言った通りかもしれないと嗚咽混じりに小さく笑った。



「ありがとう」と言葉にならない掠れた声で呟いて、少しでもこの気持ちが伝わればいいと八雲の背中にそっと手を添えた。
そしてそれに応えるように、少し力の篭った八雲の腕の力強さに、私は一人じゃないのだと安堵した。








少し休めば、きっともっと元気になれる。

だから今だけは甘えてしまおうと、そっと八雲に擦り寄った。











泣いたっていいんだよ。
(ちゃんと明日は待っているから。)















(2011/6/9)






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