なんだか八雲に会いたくなって、ふらりと立ち寄った映画研究同好会の部屋。

いつもの定位置で向き合って。
特に何を話すでもなく目の前のお茶を眺めていれば、ふいに八雲が口を開いた。


「君は情動伝染と言う言葉を知っているか?」
「え?」


唐突に切り出された言葉に、思わず首を傾げた。
いきなり何の話なんだか。

そんな私の様子なんか目の前の八雲はお構いなしだ。


「情動、伝染?」
「他者の特定の感情表出を知覚することによって、自分自身も同じ感情を経験することを心理学用語で情動伝染と言うんだ」
「…聞いたことないなぁ。それってどういうこと?」


まぁ考えた所で八雲の考えを掴めるはずもない。
だからこういう時はとりあえず黙って聞くのが一番だ。


「君にも分かるように言うと、他者の感じている感情を自らも感じてしまうということだ」
「うん…」
「つまり、感情は伝染するということだよ。」


なんで八雲が説明するとこうも難解に聞こえてしまうんだか。


「楽しいとか悲しいとかそういう気持ちが相手にも伝わるってこと?」
「簡単に言えばそういうことだ」


なるほど。それなら分かる。
笑ってる人を見て、なんだか自分までおかしくなったり、逆に泣いている人につられて悲しくなって泣いてしまったり。
そんな経験なら自分にもある。

最初からそう言ってくれればいいのに。

思わずそういってやろうかと思ったが、そんな文句はすぐに消えてしまった。



「よく母親が不安になると赤ん坊もそれを感じて泣くと言うだろ。逆に笑いかけてやれば、つられるように笑ってみせる。それも情動伝染の括りに入るらしい」



そう言った八雲は何かを思い出しているような、少し穏やかな顔をしていたから。
きっと赤ちゃんの頃の奈緒ちゃんを思い出しているんだろうな。


「そうだね。子供なんて特に繊細で敏感だもんね」



私もそれを想像してなんだか穏やかな気持ちになって。自然と頬が緩んでいた。



「君は特に子供に近いからな」
「ちょっとどういう意味よ!」



またまた唐突な話の切り替え。
しかもかなり失礼だ。



「すぐに他者の感情に同調するだろ」
「…別に悪いことじゃないじゃない」
「だからすぐにお節介を焼いて、トラブルを持ってくるんだ」



びしっと言われてしまえば何も返せない。
うっ、と返す言葉につまった。

断りきれないこの性格と、すぐに感情移入しがちなこの性格は確かに否定できない。

でも、性格なのだ。
作られたものを変えることなんてそう簡単なことじゃない。


八雲はわざわざ情動伝染なんて言葉を持ち出して、結局私のトラブルメーカーのレッテルをちくちくとつつきたいだけだったのだろうか。
そうだとしたら、なんて奴だ。




「まぁ、そこが君の良い所でもあるんだろうが」




悶々とそんな事を唸っていれば、かすかに苦笑を含ませた八雲の言葉に弾かれたように彼を見る。
当の本人はゆるく口の端を吊り上げて笑っていた。

びっくりした。
“良い所”だなんて、まさか八雲の口からそんな事を言われる日が来るとは思ってもみなかった。



「…何だ?」
「あっ、いや、別に!!」



そんな事を口に出せば、台無しにする一言が返ってくるのは明白だ。
慌てて誤魔化した私をじとりと眉を吊り上げて一瞥して。

その寝癖頭を掻き回した。





「そんな、君だからこそ“出来る事”があるんじゃないか?」




何やら照れくさそうにそっぽをむいたまま紡いだ八雲の言葉に私は首を傾げてしまう。

そんな私を呆れたように見遣ってから八雲はやれやれと言ったように首を小さく振った。





「だから、いつも騒がしい君が深刻そうな顔をしていれば、周りにも不安が伝わる」
「…それで?」
「…君が笑っていれば、それだけで救われる人だっているんじゃないのか?」
「……」



なんて遠回しで分かりにくい伝え方。

それでも伊達に一緒に過ごしてきたわけじゃない。
言わんとしていることは分かった。

心が、じんわりと熱くなる。





「君はいつもみたいに能天気に笑っていればいいってことだよ」





──素直に元気だせって言えばいいのに。


でも、そんな八雲の優しさが、じわじわと心に浸透して。
まるでうつったかのように私の心も優しい気持ちで満たされた。






「脳天気な君が辛気臭い顔をしているのは、似合わないからな」
「だから脳天気って何よ!」





そんな物言いさえも、今は優しく聞こえて。
せめて、八雲にもこの嬉しい気持ちが伝わればいいと、精一杯笑ってみせた。









「ありがとう!」














伝わる
(そして、想いは届く)


















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