*リクエスト数第2位でした『嫉妬八雲』です
*前編はこちら
何をしているんだろう。
冷静になった頭が一番に弾き出したのは、そんな思いだった。
悲しさと腹立ちとで感情のままに部室を飛び出してしまった。
あのまま居れば、泣いてしまうと思った。
だが、今更になって後悔していた。
だって八雲は何も悪くない。
少し考えれば分かることだった。八雲がどう返してくるかなんて。
なのに、私が勝手に期待して、勝手に傷ついただけなのだ。
そもそも、臆病な私が曖昧にしたかっただけで、八雲からしたら私たちの線引きなど初めから友達でしかなかったのだろう。
冷静になればなるほど、
恥ずかしくなってきた。
あんなことで部室を飛び出すなんてと、八雲はきっと呆れてる。もしかしたら、私の気持ちに気付いたかもしれない。
ああ、私のバカ。
こんなだから、八雲に突っ走るなと言われるんだ。
ぐるぐると渦巻くいろんな想いに頭を抱えていれば、気付けばもうマンションの目の前で。
踏み出しかけた足をピタリと止める。
(引き返そうか…。)
きっと間が空くほど、行きづらくなる。
どんな顔をすればいいか分からないけど、今なら、まだ。
『聞くって言ったのに八雲君が投げやりな態度とるから』って言い訳して(僕は聞くなんて言ってないとか、僕はいつもあんなだ、なんてきっと手痛いしっぺ返しが来るんだろうけど)それで、『私も大人げなかったね、ごめんね』って謝って。
私のこの想いは奥底へしまって、隠して。
新しく得た、“友達”の名を大事にして。
そうして、いつも通りに戻ればいい。
いつも通りに。
(…だめだ。)
戻ろうと引き返しかけた足は再び止まった。
それ以上踏み出せなかった。
だって、やっぱり。
友達だとしても、あの投げやりな態度とか、どうでも良さそうな感じは、許せない。
物には言い方がある。
だから。
やっぱり行かないでおこう。会いに行けないんじゃなくて、行ってやらないんだ。
なんて、再び滲んだ視界のせいではないんだと、そんなたくさんの言い訳をした。
そして意気地無しの私は、今度こそエントランスへと入っていくしかなかった。
「あれ?晴香、もう帰るの?」
最後の講義も終え、帰宅しようと正門を出た所で美樹に声をかけられた。
「え?うん、今日の授業は全部終わったから…」
「そうじゃなくて、斉藤さんの所行かないの?っていうか、ここ何日か真っ直ぐ帰ってるじゃない」
いつも通い妻してたのに、なんて美樹が訝しむように眉を潜めた。
存外この友人は鋭かったりする。
「通い妻って…私と八雲君がそんなのじゃない事は美樹だって知ってるでしょ?」
「まぁ…」
「ただの友達なんだから、会わない日だってあるよ」
そう笑って見せれば、ますます美樹が眉を潜めた。探るような視線が痛い。
「…そっか」
けれど、美樹はそれ以上は追及することなく納得したように笑った。
それに対して内心安堵の息をつけば、美樹はじゃあねとそのままあっさり立ち去った。
さすがというか何と言うか。
多分何かに気付いたけど、今はこちらの気持ちを酌んでくれたんだろう。…そして多分、近々、根掘り葉掘り聞かれるのだろうな。
今そっとしておいてくれただけでも感謝かなと、近い未来の事を考えて重いため息をついた。
八雲に何日も会わない、なんて事は今までだってあった。
テスト期間になれば行かないことだってあったし、多忙であれば連絡すら取らないことも。
それが、普通だった。
なのに、いつからか、八雲に抱いた淡い想い。
それが心を占めるほど、会いたくて、繋がっていたくて。
優しい八雲が拒まないのを良いことに、ほとんど毎日会いにいった。
そうして、会えない、今。
会わないでいられたあの頃、どうやって自分が過ごしていたのか分からない程に、苦しかった。
こんなにも、八雲が好きだったのかと、思い知った。
(…行って、みようかな)
八雲の事を考えないように努力していたと言うのに、さっきの美樹の一言で一気に心が様変わりしてしまった。
八雲に会いたくて仕方がない。
自分の内を覆い尽くしてしまう程のこの想いを、また押し退けることは出来そうもなくて。
(行こう)
そう思った時にはまた正門をくぐっていた。
(とは言え、入りにくい…)
映画研究同好会のプレートを睨みながら、扉前でひたすら立ちすくんでいた。
ドアノブに手を伸ばしては、引っ込める。
もう何回繰り返しただろう。
(だって、何て言えばいいんだろう)
ゴメン、も違う。
かと言って、いつも通りももう無理がある。
ただただ、気まずい。
あの日、八雲に突き付けられた言葉に傷ついて、堪えられなくて逃げ出した。それは私に八雲への想いがあったからこそ。
でも八雲からしたら、あれは(あの態度も)日常会話に過ぎなかったはずで。
その最中で私が明らかに飛び出してしまったのだから、八雲からしたら訳が分からないことだったはずだ。
…むしろ怒ってるかもしれない。
(うぅ…どんな顔して入ればいいのか分からない…)
考えれば考えるほど、ドアノブに触れることが出来なくて。
下ろした手を固く握った。
やっぱり、明日にしよう。
そんな自分でも呆れる結論に到った時だった。
ブブブ、と鞄の中で携帯電話が振動する音がした。
そういえば、講義の為にマナーモードにしていたんだった、とごそごそと携帯を探して。
ようやっと見つけたそれを開けば、一通のメール。
受信画面をみれば、
「…うそ」
八雲からのメールだった。
斉藤八雲。
見間違うはずもないその名前。
初めての、八雲からのメール。
その事実に衝撃を受けると同時に、心臓が大きく跳ねた。
震えそうな指を動かして、ドキドキする心臓を宥めて。
開いた画面にかかれていたのは
「…『君は不審者か』って…」
拍子抜けする一文だった。
『君は不審者か』
句読点すらなし。
ふにゃりと力が抜ける。
変に緊張していただけに、思わずその場にしゃがみ込みそうになった。
そして、脱力したまま不躾に送られてきた内容を読み返し、すぐに意味に気付いた。
…ドアスコープ。
どうやらドアに空いたこの拳大の穴から、私が扉前にいることに気付いていたらしい。
こうなれば、仕方がない。
もう後に退けないのだと意を決して、扉を開いた。
ガチャリ。
扉の開く音がやけに煩く聞こえた。
一歩踏み込んだ室内は、外の世界より格段暗い。その奥に、八雲は居た。
いつも通りの定位置に座り、腕を組んで椅子に深く腰掛けて。
ただ、いつも眠そうなその瞳は、冷たささえ孕んでこちらを真っ直ぐ見据えていた。
射竦められる。
扉の閉まる音を背後に聞きながら、ただ動けないでいた。
「…えっと、久しぶり」
「…」
何か、何か言わないとと持ちうるあらゆる物を振り絞った第一声は、自分でも分かるくらいに声が上擦り、不自然だった。いつもならすかさず八雲に突かれそうなものだ。
しかし当の八雲は口を閉じたまま。そしてこちらを見据えたまま。
沈黙が、痛い。
「えっと、その…」
「良かったな」
居た堪れなさに言葉がうまく出ないでいれば、空気を低く震わせて、八雲の声が小さく届いた。
「…え?」
そして確かに鼓膜に届いたその言葉を理解出来ずに、しばし固まってしまった。
「良かった…って何が?」
ようやく言われた言葉の意味を頭の中で理解して。理解した結果理解出来ずに尋ね返した。この状況、この空気、何をどう見たって良くはないし、良かったなと言われる事もない。
心底意味が分からず、八雲の真意をさぐろうとその瞳を見つめ返す。しかしそれは、ふいっと八雲の方から逸らされてしまった。
「別に今更隠すことないだろ」
「隠す…?何を?」
八雲は不機嫌そうに眉間にしわを寄せていた。そこには何だか責めるようなニュアンスが感じられたが、仕方がないじゃないと心の中で反論する。
分からないものは分からないのだ。
「だから、ようやく君にも恋人が出来たんだろ」
「……え?」
だからオメデトウ、なんて淡々と紡がれた言葉は、思いもよらないものだった。
それは再び私の思考を止めるのには十分で。
恋人が、出来た…?
「…誰に?」
「君だろ」
ばっさりと切り捨てるように言われた言葉に、ようやく自分の事を言っているのだと気付いた。
「ちょ、ちょっと待って!」
ハッと我に返り、つかつかと机の前まで歩みよる。そのまま机に手をつけば、八雲が驚いたように顔を上げた。
驚きたいのは私だ。
「恋人が出来たって、何でそうなるの?」
「…彼氏が出来たらここへは来ないと、君が言ったんだろ」
「確かに言ったけど、」
「それを宣言した直後、毎日人の迷惑も省みずに押しかけてきた人間が、ぱたりと来なくなったんだ。誰だってそう考えるのが普通だろ」
「それは、この間の事があったから…」
「そうだ。この間、僕があの相手の男の事を口にした途端、君は怒って…」
そこで八雲は言葉を切って、苦々しげに眉を寄せた。
「泣いて、出て行った」
そうして吐き出すようにでた言葉は、苦しそうで。
私のことだと言うのに、どうしてか八雲の方が辛そうだと思った。
「それは…」
「好きな相手のことを悪く言われたからじゃないのか」
「そうじゃないよ!」
思わず口をついていた。
あぁやっぱりあの時泣いちゃってたのか、なんて今更なことはどうでも良くて。
だって、こんなのって、
私が好きなのは――
「私が好きなのはっ、」
八雲だよ。
私が好きなのは、八雲なんだよ。
けれど。
「…その人じゃ、ないよ」
それは形にならず飲み込んだ。
だって伝えられない。
伝えちゃいけない。
「だから、恋人なんて出来てないよ」
これでいい。
こうでいい。
いつもの私達に戻れるのなら。居られるのなら。
こんな胸の痛みなど、いくらでも堪えられる。
会いたくて仕方がなかった八雲の顔を見た瞬間に、驚くほど自然に、そう心は決まっていたから。
「いっつも人の事を猛牛扱いして、突っ走るなとか言うくせに、八雲君だって人の事言えないじゃない」
努めて明るく笑ってみせれば、目の前の八雲は少し驚いたような、何とも言えない顔をしていた。
大丈夫。私はきっと、笑えてる。
「この間は、八雲君の言い方にカチンと来ちゃっただけ。だって、いくら私達が友達だからって、あんな言い方はひどいと思うよ」
「……」
“友達”の単語を口にするだけでチクリと胸が痛む。でも、それは無視して気付かないふりをした。思わず机に置いた手をぎゅっと握り締める。
頑張れ、私の浅墓な虚栄心。
「そりゃ…いつもいつも私が勝手に押しかけてるだけだし、」
「……」
「私に彼氏ができたって、八雲くんにはどうでも良いことかもしれないけど、」
「……」
「私が居なくなったって、良いのかもしれないけど…、っ」
折れないで、負けないで、崩れないで。
溢れないで──
「君を友達だと思ったことはない」
突然だった。
空気を裂くようにはっきりと八雲の声が響いた。
「っ!?」
そして言葉の意味を考えるよりも先に、急に手を掴まれた。
机に添えた私の手に重なるように、力強く、けれど優しく。
あまりにも突然のことに思わず俯けていた視線を上げれば、机に手をついた姿勢の私のすぐ正面に、八雲のきれいな赤があった。
いつ見ても、きれいで、深い、優しい赤。
目が、離せない。
「…どうでもいいとも、思っていない」
ギッ、と小さくパイプイスが軋み、八雲が静かに立ち上がる。
魅入ってしまったまま、その視線を外せなくて、さっきとは一変して、八雲を見上げる形になって。
その表情は、ただ真っ直ぐで、少し眉を寄せたその瞳は切なげで。
「どういう、意味…?」
思考を必死にめぐらせても現状に追いつけなくて、戸惑いながら振り絞った。
だって、友達だと思ったことはないと言った。
けれど、どうでもいいとも思っていない、と。
八雲の言いたいことが分からなくて、ただその瞳を見つめ返した。
「本当に君はウスラトンカチだな」
「なっ…」
ふっと緩んだその表情にさらに戸惑う。
「君が居なくなると、困る」
そして、ふてぶてしさもなく、小さく告げられた確かな言葉に息を呑んだ。
「僕じゃなくたって、君を守ってくれる奴がいるなら、」
「八雲く…」
「君が幸せなら、それで良いと思ってたんだけどな」
まるで独り言のように自嘲めいた笑いを口許に浮かべて、でもどこか弱弱しい声音に言葉が詰まる。握り締められた手首が熱い。心臓が煩い。
勘違い、しそうになる。
「…何よ、それ。私の幸せは、私が決めるんだから」
「あぁ、そうだな…なら僕も自分のために自分本位でいかせてもらうよ」
え?と聞き返し見た八雲は、先ほどの表情と一変した、いつもの力強さを持った八雲で。
美しい赤が燃えているようだった。
「君は別に、そのメール相手とやらが好きな訳じゃないんだな?」
突如戻ったその話題に困惑しながらも、確かに頷いて返事を返せば、微かに掴む手に力が篭った気がした。
「そいつとどうこうなりたい訳でもないんだな?」
念を押すように聞かれ、ますます困惑した。戸惑いがちに、うん、とだけ返した。
掴まれた手は、まだ離れない。
「じゃあ、そいつにメールなんて返すな」
「え?」
予想外の言葉だった。
でも、何より、その言葉を渇望していた自分にもっと驚いた。
「どう、して?」
「君にその気がないんだから、変な期待を持たせないほうがいいだろ」
「そりゃあ、そうかもしれないけど…」
そうじゃなくて。
そうじゃなくて、私が本当に望んでいるのは、
「八雲君は、止めて欲しいの?」
「…まぁな」
素直な、言葉だった。
憎まれ口を叩くこともなく、はぐらかすこともなく、心の内に触れたような気さえした。
私は、自惚れても良いんだろうか。
居ないと、困ると言ってくれたこと。
私の幸せを想ってくれていたのだということ。
そしてその表情が意味することも。
私の独りよがりでは、なかったのだと──。
「それは、」
「なんで、なんて聞くなよ」
いつものようにぶっきら棒に、ふてぶてしさを孕んだ物言いに私の『なんで』は遮られて。
けれど照れくささを混えたそれに、泣きそうになった。
ずるい。
いつだって、結局私は八雲に振り回されちゃって。
この素直じゃない捻くれ者は、ずるい。
はっきり言葉にしないくせに、言外で、もっと深い所で私を容易に捉えてしまうんだ。
だから、これはせめてもの悪あがき。
「やめろ、なんて言われても、別に私は八雲君のものじゃないもん」
厭味を込めて、小さな反発心を閉じ込めて。
そんな私に八雲は小さく「そうだな」と口端を緩め、そしてそっと私の手を引いた。
強引でもなく、優しく、ゆっくりと。
容易に抗えるほど、弱い力で。
本当にずるい。
「じゃあ、僕のものになればいい」
そんな甘やかな言葉を全身に感じながら、けれどようやく貰えたものに完全に抵抗する気など削がれて。
ゆっくりと引かれるままに、静かにその胸に身体を寄せた。
幸せを数えて掬う
(ずるいよ。ちゃんと言ってよ、そう胸の中で口を尖らせれば、)
(耳元に八雲が唇を寄せて。)
(目一杯の幸せを返された。)
「…と、いう訳で、八雲君と、その…」
「付き合うことになったわけね」
女学生で賑わう落ち着いた雰囲気のカフェテリアで、美樹は、おめでとう、とにっこり笑ってくれた。
そして、ようやくか、とも笑った。
「見てるこっちがもどかしいくらいだったから、ようやくくっついてくれて、すっきりしたわよ!」
あはは、と笑う美樹の表情から、この友人が心から祝福してくれているのだと伝わってきた。
なんだかくすぐったい。
女友達に報告するのは、すこし恥ずかしいけれど、嬉しいものだ、なんて。
「八雲君もたまにメール返してくれたりするようになって、…って、そういえば、メール最近来なくなったなぁ」
「あぁ、あいつ?」
ふと、口にした言葉に美樹はすぐ誰のことか気付いたようで、のんびりとした声で反応した。
「私が、晴香に彼氏が出来たーって言っておいたからね」
「え、えぇ!?」
思いもしなかった事実に、つい大きな声をだしてしまった。
ちらり、と隣テーブルの人に見られ、慌てて声を落とした。
「い、いつ!?っていうか、付き合い出した事、今報告したばかりなのに!?」
一体どういうことなのか分からずあわあわと美樹に訊ねれば、
「この前、正門で会った時に晴香の様子がおかしかったから、多分これが原因で斉藤さんと何かあったんだろうなーって思って、ね」
それなら、まぁ私の責任もあるじゃない?だから手を回しておいたの。
そうにっと笑ってみせた。
思わずがくりと肩の力が抜けた。
どうやら少し美樹の事を侮っていたようだ。
「だからって、そんなデマカセ…」
「あら?もうデマカセじゃないじゃない」
「結果的にはそうだけど、」
「それに!」
びしっと人差し指を突きつけられ、うっと言葉に詰まる。
カラン、とグラスの氷が落ちた。
美樹は呆れたような目をしていたが、その口許は楽しげに弧を描いていた。
「私は、こうなるって分かってたわよ」
そしてそう、意味深に笑って見せた。
恋愛において、私が分かり易すぎるのか。
それとも、鈍すぎるのか。
どちらにせよ、この友人に隠し事は通じないのかもしれない。
楽しげに、それで斉藤さんとはどこまでいったの?なんてはしゃぐ友人を見て、頼もしい気持ちになったことは内緒にしとこうと思った。
clap?
‐‐‐‐‐‐
ORCA9th記念リクエスト第2位「嫉妬八雲」です。ホント時間かかりすぎてすみません、そして嫉妬八雲分かりづらくてすみまry
力量不足を痛感しましたが、楽しかったです!
リクエストありがとうございました!!
(2010/3/8)
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