*リクエスト数第2位でした『嫉妬八雲』です
*前編・後編の二部です














「僕には関係ない」


読んでいた文庫本から顔も上げずに、八雲はそう言い切った。
抑揚のないその声は、まるで鋭いナイフのように私の心に突き刺さり、それ以上の言葉を封じてしまった。




――彼の声が、消えない。



















ブブブッと机の上で携帯が振動した。
その音に晴香はそっと顔を上げ、レポートを書き上げていた手を止め携帯へと手を伸ばす。
そしてそのまま受信したメールを開き、小さく息をついた。

パタンっと携帯を閉じた音が静かな室内に響く。


「…またトラブルか?」


ふいに静寂を破るように晴香の目の前に座っていた人物――八雲が口を開いた。
突然上がった声よりも、その言葉に驚いて目を見開く。
八雲は先ほどから変わらず、文庫本に視線を落としたままだ。

つむじに眼でもついているのか。


「どうして分かったの?」
「携帯を開いた後にあれだけため息をつかれたら、普通誰だって気付く」


心底不思議に思って問い掛ければ、やれやれと言わんばかりの声で返された。

確かに、ため息をつくにはついたが、微かに息を吐き出す程度にしか出したつもりはないのに。
相変わらずすごい洞察力だ。
それよりも――


「…心配してくれたの?」
「別に君の心配じゃない。また僕にトラブルを持ち込まれるのかと、僕自身の心配をしたんだ」
「はいはい、そうですか」



全く素直じゃないんだから。

晴香がくすりと笑えば、八雲がジロリと目を細めた。
腕を組み椅子に深く背を預けるその姿は、やる気なく不機嫌そのものだ。
だが、口を開かず面倒気ながらもこちらを見ているそれは、
ちゃんと続きを聞こうとしてくれているのだと長い付き合いで心得ている。


心配してくれている。
ちゃんと気にかけてくれている。


それがじわりじわりと胸に広がって嬉しかった。
ああ、好きだなぁ。
そんな事を想えば、奥底に隠していた想いが疼いて、少し苦しかった。



――話せば、何か変わるのだろうか。






「実は…」





















「ちょっと、美樹!」
「何よ?」


バンッと机を思いきり叩けば、ノートの上のシャーペンがころころと転がった。
そのシャーペンを机から落ちる寸での所で押さえ、美樹は何とも白々しい声音でとぼけてみせた。


「何、じゃないわよ!これどういうことよ!」


そんな澄ました顔の前に、開いた携帯をこれでもかと差し出した。

その画面には、一通のメール。

とぼける事を諦めたのか、小さく息を吐き出して美樹は観念したように目を通した。


「おっ、あいつ遂に勇気を出したのね〜」
「また勝手な事をして!」


そして今度は開き直ったかのように朗らかに、そう、人事のように呑気に言ってのけた。

突如届いたメールは、知らないアドレスからだった。
何の気無しに開いてみれば、そこには違う学課の男子生徒であること、あと晴香と仲良くなりたかったのだというありきたりな旨と、
ご丁寧にアドレスの入手先――美樹から聞きました、と書かれていたのだ。

殊に色恋沙汰を好むこの友人のことだ、『彼氏を作れ』なんてどうせいらないお節介を焼いたのだろうと腹を立てて詰め寄れば、これだ。



「私は紹介して欲しいなんて言…」
「ちょっと待ってよ、晴香。そいつが教えてって泣きついてきたんだってば!」
「…え?美樹が言ったんじゃなくて?」
「だから、そこにもあんたが気になってたって書いてあるでしょ?あっちから教えてくれって言ってきたのよ」
「何で?全く知らない人だよ」
「何でって…あんたは知らなくとも、向こうは晴香の事が好きなんだって」
「え、えぇ!?」
「それともなぁに?頑張って一歩踏み出して来た相手を、無視する訳?」
「そ、それは…」
「あ〜あ、可哀相だなぁ。友達くらいなってあげてもいいと思うんだけどな〜」
「私にだって都合ってものが…」
「都合も何も、別に彼氏いないんだし良いじゃない」






とどめの一言に、あっさり言い負かされたのは言うまでもない。





















「で、君は友達にすら丸め込まれたと言う訳だ」
「うぅ…」


そんな先日のやり取りを思い返し、かい摘まんで話せば、八雲に盛大なため息をつかれた。


「それで、君はよく知りもしない男とメールしている、と」
「…はい」
「自業自得じゃないか」


おっしゃる通り。
はっきりと断れないのはもう性格だ。

痛い所を突かれて、内心でがっくり肩を落としながら、ちらりと伺い見る。

先ほどまでは晴香を真っ直ぐ見据えていたその瞳は、今はもう、興味なさげに逸らされて文庫本へと舞い戻っていた。
晴香を映しもせず大欠伸すら零して。いっそ冷たいくらいに。

ずきり、小さく胸が痛む。

八雲は、いつもと変わらなかった。





「…そんなに嫌ならメールを返さなければいいだけだろ」


何も返せずにいたのを違う風に捉えたのか、ため息混じりに沈黙を破ったのは八雲だった。




「それで、解決だ」



手を払う仕草とあまりにも投げやりな言葉に、思わずムッとした。
なんて奴だ。



「解決って…あのねぇ!私はどっかの誰かさんと違って返さないなんて失礼な事はしません」
「へぇ?僕は嫌々返信する方がよっぽど失礼だと思うけどね」
「別に嫌って言うんじゃなくて……ちょっと待って八雲君」



聞き捨てならない言葉をうっかり流してしまう所だった。



「いつも私のメールに返信をくれないのは嫌だったからなの?」
「は?なんでいきなり僕の話しになるんだ」
「だって嫌々返信する方が失礼なんでしょ?」
「だからと言って、返さないのが全てイコール嫌だとは言ってない」
「同じようなものじゃない」



なんで君はそう極端なんだ。
そう八雲の馬鹿にしたような声が耳に入ってきたが、どんどん腹が立ってきてほとんど頭に入ってこない。

そうだ。
思えば、八雲はいつもいつも人がメールを送っても返さない。
返ってきたためしがない。
…まぁ、本当に用がある時は電話をするし、八雲も電話にはすぐ出てくれるけど。
それでも一言くらい返してくれたって、他愛のないやりとりなんかをしたっていいじゃないか。
八雲から返って来ないのが当たり前になっていて、むしろもう返って来ないのを前提にメールを送ったりしていた。
すっかり八雲のペースに順応していた。危ない、危ない。




「そうよ。やっぱり、返さないのは相手に失礼よ」




うんうんと改めて、そして今更ながらに憤って告げれば、目の前の八雲が
「その突っ走る性格を君はどうにかした方がいい」とため息をついた。
が、お返しに無視してやった。





「じゃあ、君は嫌々メールを返し続けるわけだな」
「だから、メールが嫌とかそういうことじゃなくて…」





そこまで口に出して、言い淀む。
そう。“嫌”な訳ではなくて。
単純にメール交換に気が乗らなかったのだ。
ただそれだけのため息。

向こうは確かにメールをしてみた限り良い人だ。
だから、嫌いだとか、そういう風に思いもしない。
ただ、明らかに自分に対して向けてくれるその好意に、どんどん申し訳ない気持ちばかりが膨らんで、晴香に重くのしかかっていた。

応えることは、出来ないのだ。絶対に。


八雲が好きだから、なんて言えるはずもない。







「だから、」
「嫌じゃないなら」






だから、さっきのため息は忘れて。
そう言おうとした言葉は、少しトーンの下がった八雲の声で遮られた。






「何も問題ないじゃないか」






ぴしゃりと言い放たれた言葉の冷たさに、驚いた。
思わず八雲を見れば、当の本人は欠伸をしながら伸びをして、無表情に活字を追っていた。
至極、面倒くさそうに。
だが、長い付き合いで分かる。
その声音には明らかな怒気が含まれていた。



不機嫌そのもの、だ。



突如変わったそのピリリとした空気に、無意識に強張ってしまう。





「八雲君…?」
「君を気に入る物好きがいて、君も嫌ではない」




ペラリ、とページをめくる微かな音が厭に響く。






「何も、問題ないだろ」
それは聞きたく無い、言葉だった。
言い換えれば、八雲にとってはどうでも良いと言うことだから。


ずきり、ずきりと胸が痛む。



顔を上げない八雲は、まるで頑なにこちらを見ないようにしているようで。
拒まれているようにすら感じた。
先ほどまでの温かな空気など微塵も、ない。





「・・・八雲君、怒ってるの?」
「怒ってなんかない。それに怒る理由もないだろ」





痛む胸を堪えて、振り絞るように聞けど、やはり顔は上がらない。
けれど、理由など見当がつく。


要領を得ない私の話に、一体何が問題なんだとイライラしているんだろう。


それはそうだと自分でも思う。
せっかくこの八雲が悩みを聞いてくれたのに。


だけど。
だからって、こんな理不尽に冷たくされるのには納得がいかない。






「うそ。だって八雲君、怒ってるもん」
「…」





ぺらり。またページを捲る音だけ聞こえた。





「僕が怒る理由なんてどこにもない。強いて言うなら、その相手の感性のおかしさに、呆れてるんだ」
「っ酷い!」




あまりの言い草に、カッとなる。




「酷くて結構。僕は思ったままを述べたまでだ」
「だからってそんな言い方しなくてもいいじゃない!」
「別に、ちょうどお似合いでいいじゃないか。・・・君の感性もどうかしてるんだから」




そう八雲は嘲るように笑った。
でもそれがどこか自嘲的で寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか。





「君に恋人が出来るかもしれない、せっかくのチャンスじゃないか」
「チャンスって…!」
「精々逃さないよう、頑張るんだな」
「〜っ八雲くんは、それでいいの!?」





しまった、と思った時には遅かった。
我慢が出来なかった。
縋るように、堪らず吐き出してしまっていた。


八雲が、眉を寄せた。





「何が?」
「だから、その…。もう、ここへ来なくなるかも、しれないんだよ」




恋人が出来れば。

そう繋げた言葉は消え入りそうで。
震えていたことに、八雲は気付いただろうか?バカだな、私。
八雲がどう返してくるかなんて、分かりきっているのに。





「僕は来てくれなんて君に頼んだことはないし、やかましいのが来なくなるならむしろ清々するよ」





ほら、やっぱり。

こう返ってくることなど、分かっていたのに。
なのに、なんで。
どうして抉られるように胸が痛むの。






「そう、だね」
「ああ。僕は君のトラブルに巻き込まれることもなく平穏に生きられるし、君は恋人ができて幸せになれる。万々歳だ」






腹立たしさなど、もうなかった。
怒りもなにもかも抜け落ちてしまった。
握り締めた手の熱さが、やけに鮮明に感じられた。




止めないと。
この話を、もう終わりにしないと。




ズキズキと止まない痛みが警鐘を鳴らす。








「それに第一…」








けれど、もう遅い。













「僕には関係ない」











心が、裂かれたようだった。














心の何処かで、この話をすれば何か変わるかもしれないと、願うように想っていた。
八雲が気にしてくれるかもしれない、と。


でもこれで、二人の間にある線引きがはっきりと浮き彫りになってしまった。
曖昧なのが苦しくて、でも分かるのも怖かった、その線が。



八雲にとって、私はただの友達でしかない。
















「そうだね。八雲君には、関係ないもんね」
「…」




ガタリとパイプイスが床を蹴る。






「…帰るね」





そう一言告げて、席を立った。

八雲はちらりとこちらを見て、少しはっとした顔をした。けれど、何も言わなかった。


広がったままのレポートを乱雑にまとめ、鞄を掴み、足早に扉まで進む。
ドアノブを握り閉め、最後に振り返ろうとして、止めた。



『またね』



いつも必ず口にするその言葉の代わりに、ただただ無機質な扉の閉まる音だけが響いた。








哀しさも悔しさもいっしょくたになっていた。
滲む視界に頬を伝う涙が、熱い。

いつから泣いていたんだろう。
部室を出てからだと良いんだけど。

そんな事をぼんやり思う。

でないと、八雲に知られてしまう。
ばれてしまう。

傍に、いられない。




そんな事を思えば、堪えようとすればするほど、拭えば拭うほど、なぜか涙が止まらなかった。



















零れ溢れる
(浅墓な、恋心。)










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(2012/2/14)






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