*死ネタですので、ご注意ください。
*リクエスト数第一位でした『八雲の左目に映る晴香』&『ひたすら切ない話』
















うつらうつらと遠退きかけていた意識は、ふと感じた人の気配に引き戻された。


ぼんやりとする頭で八雲は考える。
部屋の主が寝ていると言うのにずけずけと入ってくる人物。

考えるまでもなくそれはこの時点で二人に絞られた。




そっと静かな気配は恐らく眠っている自分を気遣ってのものだろう。
この事から更に一人に絞るのは容易な事だ。
思い当たる二人のうちの一人に、そんな配慮が出来るとは思えない。



――なにより表現しがたい、この暖かで優しい気配。



知るかぎり、一人しかいない。




「…また君か」
「っきゃ!びっくりした!」
机に突っ伏したまま、完全に意識を覚醒させた八雲はその人物に声をかけた。

まさか起きているとは思わなかったのだろう。
八雲がのそりと顔を上げた先には、
驚いた表情で胸に手を当てた晴香の姿があった。

少し。
ほんの少し八雲の口許が緩んだ。



「起きてたならそう言ってよ!」
「今、起きたんだ。君こそ入ってくる前に僕に断りを入れるべきだろ?」
「八雲君が寝てたから静かに入って来たのに!」
「余計一言かけるべきだ。それとも君は寝込みでも襲うつもりだったのか?」
「もう!違うってば!」



頬を膨らませる晴香を横目に、八雲は縮こまって硬くなっていた身体を伸ばした。
猫みたい。そんな呟きが聞こえたが、それには応えず欠伸を零す。

なるほど彼女が入って来たのにも気付かない訳だ。

ぼんやりとしている視界にどうにも重たい瞼を擦った。



「で、今日はどんなトラブルだ?」



伸びもそこそこに、八雲はそう一言投げかける。

彼女の落ち着いた様子から、
別にトラブルなんて今日は拾ってこなかったことは見て取れた。
分かってて言っている。
こいつのことだからそう言えばその感情のまますぐ変わる表情で「違います!」なんて頬を膨らませるに違いない。



そのころころ変わる表情は見ていて飽きない。
八雲がそう思っている自分に気付いたのは大分前だ。




「トラブルって言う訳じゃないんだけど…」
「…?」



しかし晴香から予想していたような反応は返ってこず、
その代わりに返ってきたのは困惑したような弱々しい声。


何だ、本当にトラブルだったのか。


思わずその顔に目をやれば、途端胸が締め付けられるように痛んだ。





――ああ、こいつのこんな顔は見たくない。





眉を弱々しく下げて
今にも泣きそうな目で。
そして、その口許は静かに微笑んでいた。


違和感のようにざわざわと胸が騒いだ。




「何かあったのか?」




自然に口から出た。

晴香のそんな表情に、自分まで苦しくなった。

それが意味することも、大分前から知っている。




「んー。やっぱり何でもないかな」
「そんな情けない顔してよく言う。一度鏡を見た方がいい」
「元々こういう顔なの!」
「…まさかと思うが、君は自分がどれだけ顔に出やすいのか分かっていないのか?」
「うっ…。それはちゃんと自覚してます」
「安心したよ。自覚していなければ救いようがない」



刺々しさを含んだ言葉も
じわりと滲む腹立たしさも。


何か隠されていることが、頼ってこないことが、気に食わない。


けど、そう素直に伝える器用さは生憎持ち合わせていない。





「確かに、救いようのない馬鹿なのかも」





八雲が言いようのないもどかしさに心のうちでため息を零していれば、
ぽつりと聞こえたそれ。

憤慨するかと思いきや拾い上げた言葉は妙に明るかった。

でもどこか寂しさを孕んでいるように聞こえたのは、
自分の思いすごしだろうか。


予想外の反応にちらりと八雲が伺えば、目があった晴香は笑ってみせた。



どうにも調子が狂う。




「…僕はそこまで言ってない」
「いつも人のこと馬鹿呼ばわりするくせに」


おかしそうに笑ったその顔はいつもの笑顔で。

無意識にほっと胸を撫で下ろしたことはなんとなく悔しくて今は気付かないフリをした。


どうにも居湛まれなくてイスから立ち上がり、
冷蔵庫からお茶のペットボトルを二本取り出した。


ありがとう、そう晴香はふわりと笑う。


そして八雲が目の前に置いたお茶に視線を落とし、口を噤んでしまった。



「…」
「…」



目の前に置かれたお茶には手を出さず、
笑顔が消えたその顔は再び頼りなく眉をハの字に下げていて。

困ったように八雲は寝癖だらけのその頭を掻き回した。



「…チョコは昨日君が食べたので最後だ」
「もう!そこまで食い意地はってません!」



わざとそう言ってやれば、すぐに膨れっ面に切り替わる。



――チョコ、買っておけば良かったな。



そうすればここから更に笑顔に一変したんだろうな。
そんなことを頭の片隅で思った。




「チョコじゃないなら、何なんだ」
「本当になんでもないの」
「トラブルも持たずにここに来たのか?まさか君が?」



尚もシラをきる晴香に八雲はあえて怒らせるように厭味を込めた。


単純なこいつなら、ボロを出すに違いない。
そんな期待を込めて。


僕が知っている彼女はこんな儚い微笑みなんかじゃなくて、
子供みたいに怒ったり、もっと真っ直ぐに笑う人間だから。







「八雲君に会いたかったの」






凜とした声が、心に直接響いた気がした。


「だから、来たの」


恥ずかしがることもなく、はっきり言い切った彼女は何だか迷いがなかった。


真剣に真っ直ぐに向けられた言葉に照れ臭い気持ちを隠して、
精一杯の憎まれ口を叩く。



「君は本当に変わった奴だな」



こんな僕に会いたいと思うなんて。



「八雲君は本当に世界一の捻くれ者だよね」
「そりゃ光栄だね」
「でも、誰よりも優しい」



不意をつかれたその言葉に目を瞠る。



「私、たくさんたくさん八雲君に迷惑かけてきたよね」
「…“かけた”なんて過去形にしてもらっちゃ困る。トラブルを引き寄せるのは君の天性の才能だからな、どうせこれからも持ち込む気だろ」
「…そうだね。あと少し、八雲君にお世話になると思う」



ぽつりと漏らしたその言葉が、寂し気で。
伏せった瞳に陰がさしたようで。




「あと少しって何だよ。やっぱりまたトラブ…」
「私は、」




そうして再び上がった瞳は、柔らかな光を燈していて。


けれどその奥の強い何かを感じて、その瞳に射竦められたような息苦しさを覚えた。





「たくさんたくさん助けてもらった」
「…」
「たくさんたくさん救われた」
「…僕は何もしていない」


僕は誰も救えてない。
救えない。

その歯痒さばかり飲み込んできたのだから。





「そんなことない。
そんなことないよ八雲君」




ひどく優しく力強い声に俯けていた視線を晴香に戻した。

包み込まれるような微笑みに八雲は言葉が出てこなかった。




「私は八雲君に、ずっと抱えてきた…ううん、きっと一生抱えるはずだった想いを救い上げてもらった」
「僕は君のお姉さんの言葉をただ、伝えただけだ。何もしていない」
「八雲君だから、出来たことだよ」



その声音に、言葉にどうしてこうも癒されるのか。

何故頑なな心が君がそう言うのなら信じてみようと思えるのか。




「八雲君のそのきれいな瞳に、私もお姉ちゃんも救われた」



“きれいな瞳”

君のその一言こそがどれほど僕を救ったか君は知らない。
僕の全てを肯定してくれたその言葉が、今なお支えとなっていることも。


そして、今では君自身が僕の全てだということも。


この想いを伝えられたなら――。
そう思ったって、結局いつだって言葉に出来た試しはないが。




「それはきっと私達だけじゃない。だから八雲君はもっと自分に自信を持ってよ。私が保証する!」
「君に保証されたら余計不安だな」
「もう!すぐそういう事を言う!」
「…まぁ、有り難く君の保証ごと受け取っとくよ」



その言葉が嬉しかったのか、目の前のこいつは今日一番の笑顔を浮かべた。
とても満ち足りた顔で。
照れ臭くて持て余した右手で頭をがりがりと掻いた。


いつもと違う調子にすっかりやられて、僕もすっかり違う調子になっているに違いない。



「良かった。それをどうしても八雲君に伝えたかったの」



満足だと言わんばかりに、こいつは立ち上がる。
途端、未だ拭えない違和感が焦燥のようにじりじりと身体を焦がした。




「…本当に、本当にそれだけを言いに来たのか?」
「え?」



自分でも意識しないうちに言葉に出た。
何故そんな事を聞いたのかは分からなかった。

分からないけれど、その笑顔が無理しているようで、
瞳の奥の何かが僕に訴えかけているようで、引き留めていた。




「まだ言いたい事があるんじゃないか?」
「…本当は、」




小さく、掠れた声だった。
必死に拾い上げなければ、消えてしまいそうだった。




「何だ?」
「本当は、」




時間も感覚も全て支配されたかのように、息を忘れて続きを待った。
呼吸音すら彼女の言葉を掻き消してしまいそうで。





「私、ずっと八雲君の事…」







真っ直ぐに搗ち合ったセピア色の瞳が、小さく揺れた。







「…ううん。何でもない」


ふっと視線をまた逸らし、苦しそうにこいつは小さく首を振る。
また胸がギシリと軋む。




「言いかけて止めるなよ。気になるだろ」
「言えないよ」
「…なぜ?」
「言えば、八雲君を苦しめる」




そう呟いて、目尻に涙を溜めて。
それでもあの笑顔で笑って見せた。


そして静かに立ち上がり、くるりと背中を向けた。






こいつの背中は
こんなにも細く小さかっただろうか。

唐突にそんなことを思った。


何故か消えてしまいそうにすら思えた。






「もう、行くね」





振り返る事なく、なんて事ないよく通る明るい声でそう告げて。

どうしてか何も言葉を返せずにいれば
彼女も何も言わずに歩きだした。





そして気付く。






「…足」
ひょこひょこと右足を庇うように歩いている。



「足どうかしたのか?」
「…ちょっとね。でも大丈夫だよ」




立ち止まった彼女は、振り向かない。



頭から爪先まで得体の知れない何かが突き抜ける。




全然大丈夫そうに見えない右足を凝視して。息が止まりそうになった。






「…お、いっ」






掠れた声は彼女に届いただろうか。


その右足は、みるみるうちに深い赤に濡れていった。
とめどなく溢れるその色は、あっと言う間にその細身のジーンズを染め上げた。





「どこが大丈夫なんだ!」




慌てて立ち上がれば、がたんとパイプイスの倒れる音が響いた。

耳をつんざきそうなその音に一瞬身を竦め。
駆け寄ろうと改めて見た彼女にただ驚愕した。





いつだったか掴んだその細い腕も
自分の心ごと包み込んでくれたその優しい手も
いつだって真っ直ぐで、時として頼もしかったその背中も


真っ赤に染まっていた。














どくどくと
心臓の音だけが煩くて。



まるで世界がなくなってしまったかのように静かで。









そういえば、彼女はいつ入って来た?
いつもなら彼女が部屋にやってくるあの軽快な足音で起きるのに。
いつもなら彼女の騒がしい開け方で気づくのに。











「…君は、」
「八雲君」







消え入りそうな声で呼ばれて。

脈うつ心臓の音が、煩い。


そして。














「   」



















震える手で右目を押さえた。














赤い世界が滲んだ
(煩い鼓動が警鐘のように鳴り響いた。)




























どうして、いつだって失って気付くのか。
どうして、知っていたはずなのに繰り返すのか。
どうして、名前を呼んでやらなかったのか。
どうして、君に伝えなかったのか。

どうして、僕は見えるんだ。








彼女を掴まえようと伸ばした右手は虚空を掴むようにさ迷った。
悪あがきだと知っていても、伸ばさずにいられなかった。


「…ごめんね」


そんな僕を見て優しく微笑んだその顔を涙が伝って。
どこまでも澄んだその雫を拭い去ろうと指を伸ばすのに拭えなくて。


「君は、トラブルだけ残して行くのか」


行くな。


「ほら、私トラブルメーカーだから」
「開き、直るなよ」


行くな。


「ごめんね」
「……」


行くな。行くな。



「じゃあね、八雲君」
「っ逝くな!」




驚いたように見開かれた瞳。

その言葉が意味を成さない事も、その言葉が残酷なことも知っていた。
だから叔父さんにだって言えなかった。
そう想うことすら、縛りつけてしまう残酷なことなのだと知っていた。
けれど叫ばずにいられなくて。聞き分けのない子供のように縋り付きたくて。



君と出会って僕の世界は色付いた。
僕の世界の中心に、君がいた。

僕は、こんなにも―




「八雲君で、良かった」




そうひどく穏やかな声の先で、静かに彼女は微笑んだ。ただ、幸せそうに。






ああ、君が、霞む。
薄れる、消えていく。










「待ってくれ、僕は君がっ…!」




そして、永遠に伝わることのない僕の言葉と心をこの広く味気ない世界に残して、



君は消えた。





その笑顔も声も心も鮮明なままに。

君がいたという記憶だけ残して。






「君が、好きだ…」




この言葉は、もう届かない。
















彼女が消えた後、すぐに厳しい面持ちをした後藤さんと蒼白な顔をした石井さんがやって来た。


晴香ちゃんが───。


そう呟いた彼らに僕は、知ってますと返した。

ここに、居たんです、と。


車道に飛び出した子供を迫るトラックから庇ったらしい。
救急車が到着した時には、もう既に息はなかったと。
ああ、全く君らしいと笑ったけれど、僕の世界は真っ赤なままだ。


どうして、見たくないのに僕のこの眼には見えるんだ。






「そうか。晴香ちゃんは、独りで逝っちまった訳じゃなかったんだな」





お前がいて、良かった。






そう力無く笑った後藤さんの言葉にはっとした。





彼女の最期の言葉が蘇る。

“八雲君で良かった。”

その言葉の真意は、分からない。





分からないけれど、僕は僕で良かったと、そう思った。
見えて良かったと。君を独りにしないで済んだと。



僕だから、君の最期に、君に逢えた。




そして。
そう思わせてくれた相手が、
僕の世界に大切なものをたくさん残してくれた人が、



君で良かった。




そう心から想う。




















「…晴香」

















この世界に君が居なくとも僕の世界は君のままだ。


















clap?




‐‐‐‐‐‐

ORCA9th記念に読みたい話でリクエストを募った第一位のお話です。
まさかまさかのたくさんお声を頂いたのが『切ない話』と『八雲の左目に映る晴香』でした!
び、びっくり!!

せっかくリクエストを頂いたので、おっかなびっくり有り難く書かせていただきましたが、
内容がバッドエンドなだけにUPするのにビクビクしております。
い、石を投げないでっ!!!
苦情も出来れば・・・まぁ、やんわりとなら・・・びくびく。

色々つっこみ所があるかと思いますが、目をつぶってやってくだされば幸いです。リクエストくださった方々、本当にありがとうございました!
そしてこんなにも遅くなってしまい、すみませんでした(土下座)

これからもORCAをよろしくお願いします!





















2011/9/1







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