「やあ!」
妙に高く上擦った声に、わざとらしい程明るく振る舞うその態度。
扉が開いた途端晴香のその登場に八雲は深くため息をついた。
「また君か」
「あっひどい!ため息つかなくたっていいじゃない」
ずかずかと入ってくるなり腰に手を置き、晴香は頬を膨らませる。そしてもう彼女の特等席になりつつある八雲の正面のイスに腰をおろした。
「わざわざトラブルがやって来たんだ。ため息だってつきたくなるさ」
「ど、どうしてトラブルだって決め付けるのよ」
「馬鹿じゃないならいい加減自分の行動を振り返ってみることだな」
そう言ってやれば、もう!なんて抗議の声があがる。
それをさして気にするでもなく八雲は欠伸を零して大きく伸びをした。
「で、今日は一体どんなトラブルを拾ってきたんだ?」
「うっ……」
イスにのけ反り、仕方がなく話を促せば、晴香もようやく「実は…」と切り出した。
今日も今日とて、他人のトラブルに巻き込まれているというのに、さも自分の事かのように懸命に話す晴香に八雲は内心でため息を零した。
――ぼくがいなかったら、こいつはどうするつもりなんだか。
そんな考えがふと浮かんだ。
またいつかの時のように出来もしないのに無茶をするんだろうな。
「――と言う訳なんだけど、助けてもらえないかなぁ?」
一通りの話を終えたのだろう。
顔の前で手を合わせ「お願い!」と上目遣いで言われたところで我に返った。
話をすっかり聞きそびれた。
「こんな事八雲君にしか相談できないし…」
そう眉を下げ肩を落とす晴香の言葉に八雲は再度ため息を零す。
元より、どうするかなんて決まっているのだ。
そんな顔をされて断れるはずがない。
何より断ればまた一人で無茶をし兼ねないこいつに余計キリキリさせられるのは眼に見えている。
結局、自分は彼女に弱いのだ。
「悪いな」
「え?」
ただ、そんな能天気なこいつに自分だけがこんなにヤキモキしていることが悔しい。
「見えなくなったんだ」
「え?」
「死者の魂」
少しはぼくを悩ませるそのお節介で無鉄砲な性格を省みるべきだ。
そんな思いから出た嘘だった。
おまけに今日はエイプリルフール。単純なこいつには調度いい。
そんな八雲の考えなど知る由もない晴香は大きなその瞳を更に大きく見開いて固まってしまっていた。
「本当に?」
「ああ」
八雲は単調に返事を返すと視線を外して無理矢理欠伸をする。
呆けている晴香に吹き出してしまいそうだった。
「…」
「…」
しかし尚も固まっている晴香に笑いたい衝動は引っ込んだ。
ちらりと見遣ったその呆けた顔は疑いなどなく信じた顔だった。
普通そんなに簡単に信じるか?
八雲は今になって自分の言葉に少しバツが悪くなる。
今、彼女は何を思っているのだろうか。
もしかしたら、失望して落胆しているのかもしれないな。
そう思うと胸がずきりと痛んだ。
――死者の魂が見えなければ、ぼくに出来ることは何もない。
いつの間にかあんなにも憎んだこの能力が、彼女のおかげで意味ある物に思えるようになっていたのだ。
皮肉なものだと思う。
かつて願ってやまなかったこの“嘘”に、彼女がどんな反応をするのか怖いと思うなんて。
「そっか!良かったね!」
そんな風に鬱々と自嘲していた頭に飛び込んで来たのは拍子抜けする明るい声。
「は?」
思わず間抜けな声が八雲の口から飛び出した。
「良かったのか?」
不可解だと言わんばかりに八雲が眉を寄せれば、晴香はキョトンとした顔をした。
「あれ?八雲君嬉しくないの?」
「いや…」
言葉を濁す八雲に晴香は首を傾げた。
「見えないと、君が困るんじゃないのか?」
「え?私?そりゃ死者の魂が見えるなんて八雲君にしか出来ない事だし、その力が無くなっちゃうのはちょっと勿体ない気もするけど…それで八雲君の悩みが少しでもなくなるんならやっぱり良い事じゃない?」
にっこりと満面の笑顔で言い切る。
「別に見えなくっても八雲君は八雲君だし!」
そう恥ずかしげなく。
そんな晴香を今度は八雲がただ呆けたように見つめていた。
そして堪えきれず顔を俯け肩を震わせだした。
「っぷ、くくっ…」
「や、八雲君?」
──僕は何を心配していたんだか。
そうだ。
結局のところ赤い眼だろうが死者の魂が見えようが、彼女からしたら本当にさして問題でないんだろう。
大事なのは僕自身がどうであるかなのだ。
彼女はそういう人だから。
「ねぇ!八雲君なんで笑ってるの?」
「君は相変わらず脳天気だなと思って」
「またそういう事言うんだから!」
「褒めてるんだよ」
「全然褒めてるように聞こえない!」僕の小さな嘘すらもう受け入れて、納得いかないとばかりに怒る彼女にまた笑いは込み上げる。
「もう!変な八雲君!」
そんな八雲を見て、やがて呆れたように晴香も笑う。
八雲が、自分の悩みなんてちっぽけで、悩んでいるのもばかばかしくなるような、あの屈託のない笑顔で。
ふつふつと込み上げた笑いはどうにも治まりそうになかった。
嘘さえも、
(君は救い上げてくれるんだ。)
↓おまけ
一通り笑い終え、すっかり信じた(というか、疑いもしなかった)彼女に、“もっと疑うということを覚えるべきだ。そんなだから、すぐ厄介事に巻き込まれるんだ”そう厭味をこめて告げようとしたところで勢いよく扉が開いた。
「邪魔するぜ」
そんな一言だけ投げ捨てて、ずかずかと入ってきた後藤の姿に、八雲もすかさずお馴染みの台詞を返した。
「邪魔だと分かっているなら、今すぐ帰ってください」
そんな八雲の態度に後藤は一瞬反発しようと口を開きかけたが、手痛いしっぺ返しに合うことを思いだしたのだろう。
言葉は出さずに舌打ちだけ返し
「おい八雲、ちょっと手伝え」
捲くし立てるように机にばんっと両手をついた。
到底人に物を頼む態度に見えないその切羽詰った様を、八雲はひるむことなく見つめている。
──エイプリルフールの嘘、な訳ないか。
八雲はやれやれとため息をつく。
生憎先約があると口を開こうとしたところで、それまで傍観していた晴香が口を開いた。
「後藤さん、八雲君は死者の魂がもう見えないらしいんです」
突如自分の真横から聞こえた声に、後藤は驚いたように振り返る。
どうやら晴香は視界に入っていなかったらしい。
それよりも、
「そいつぁ一体どういう事だ!?」
晴香の言葉に驚いて、声が上擦った。
オーバーなほど目を白黒させて、身体をのけぞらせている。
「私も今聞いたばかりで詳しくは分からないんですけど・・・」
その晴香の言葉に、後藤は「本当か、八雲!」と詰め寄るように再び身体を乗り出した。
めんどくさい事になった。
八雲は大きく息を吐き出す。
しかしまぁ、自分にその力がないと分かれば後藤も大人しく帰るだろう。
そんな風にも思った。
だが、
「黙り込んじまって何だよ!…ちっ、まぁいい。行くぞ!」
予想に反したその言葉に八雲はまたしても目を見開くことになった。
「…僕はもう見えないんですよ?」
「だからどうした!俺なんて生まれてこのかた一度だって見えた事ねえよ!」
ふんっ、と鼻息荒く言い放つ後藤の言葉に八雲は呆気に取られる。
「じゃあなぜ…」
「あん?そんなのお前の頭が役に立つからだろうが!」
とにかくお前が要んだよ!
そう、大の大人が声高に言うような事でない台詞を後藤は堂々と言い切った。
ここまでくるといっそ清清しい。
こいつといい、後藤さんといい。
全く──…
身体全体から力が抜けたようなこの脱力感もどうにもくすぐったい気恥ずかしさも、何だか心地よかった。
「あなたたちは…」
ふつふつとまたおかしさはこみあげる。
小さく八雲が笑えば、後藤も晴香も首をかしげた。
「本当に馬鹿ですね」
そんな呟きとは裏腹に、八雲は優しく穏やかに表情を緩めた。
「なっ、何だと!!」
「ちょっと八雲君、どういう意味よ!」
「単純でからかい甲斐があるってことだよ」
エイプリルフールも捨てたもんじゃない。
― Fin ―
clap?
‐‐‐‐‐‐
4月1日(April Fool's Day)の事をフランス語でPoisson d’avril(4月の魚)と言うそうです。
今更エイプリルフールねた!
晴香は死者の魂が見えるからとかじゃなくて、八雲だから信頼してるんだよ!んで八雲はそんなお節介な晴香にお灸をすえるつもりで嘘ついたもののちょっと自信がなくなっちゃって自分の“価値”にもんもんと悩んじゃうんだな。7巻あたりくらいの八雲さんイメージで。
結局はどんな八雲も晴香は肯定してくれるに違いない。
実は、おまけの後藤さんとのやり取りが本編になるはずでした。
捜査協力が面倒で見えなくなったと嘘ぶっこく八雲氏に
そんなの関係ない、お前の頭が要るんだよとか大学生に普通に言っちゃう後藤さんというお話だったんです。
ただ晴香を出さないという事に耐えきれず、メインだったはずの後藤さんとの話がおまけに!
晴香め!!ホント恐ろしい娘!!
可愛い晴香がいけないと本気で思う。
うむ。いつものことながら糖分が足りないのだが、これは八晴小説だと言い張ってみる…(´・ω・`)
(2011/4/6)
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