*『HAPPY VALENTINE´S DAY!』の続きです。










「晴香ちゃんの本命を待ちわびているどっかの不機嫌な化け猫に、早く渡してやってくれってことだよ。」









そんな台詞を残して後藤は立ち去った。

バタンと無機質な音が響いた部屋には先ほどの騒々しさから一変、ただ沈黙だけが残っていた。




本当に要らない事を。




胸中で一人ごち、苛立ちを盛り込んで、ついでに僅かに頬に感じる熱も分散するように八雲は深く深く息を吐き出した。

入口の前で、尚も閉まった扉を見つめ続ける晴香の顔は八雲からは見えない。
見えないが、ちらりと覗いた耳の赤さが全てを物語っている。




だから早く追い返したかったんだ。


そんなぼやきは今更で思わず手で顔を覆った。
そっと指の間から前方を伺うも彼女は未だ固まったように動かない。

このまま沈黙が続く程、なんとも言えないこの空気が膨らんでいく。



「いつまでそんな所に立ってるつもりだ?」



堪りかねた八雲が出来るだけ自然に言葉を投げかければ、晴香はひどくぎこちなく、緩慢な動作で振り返った。



「う、うん。」



視線をさ迷わせて。























――こんな筈じゃなかった。



閉まった扉を見つめ、晴香は深く息を吐き出した。



今日はバレンタインデーで。

その言葉に晴香の脳裏に真っ先に浮かんだ顔はこの捻くれ者だった。

八雲が実は甘いもの好きだからとかそういうこともあるけれど、いつもお世話になってるし迷惑もかけているからそのお礼にいいかもしれない。
…なんて自分の気持ちはとっくに自覚済みなのに変な言い訳をして、八雲へプレゼントを贈る事にした。

そうして出掛けた街はバレンタイン一色で。
色とりどりの既製品が賑やかに並ぶその光景はやはり女の子特有の感覚かもしれないが楽しくなってくる。

折角だからいろんな人に感謝の気持ちを伝える良い機会だ。

そう考え、親しい人たちのことを思い浮かべる。
後藤さんに石井さん、敦子さんと奈緒ちゃん、真琴さん、美樹に冬美にそれから…
次々に出てくるそれぞれの顔を思い浮かべて、吟味して。


一通り選んだ所で手作りのコーナーへと足を向けた。


残る人物、八雲へだ。


既製品を見ても、八雲へとなるとしっくりこなかった。
皆と一緒、ではダメ。
かと言って、一目で分かるいわゆる本命用をあげるのも違う。
そうするにはまだ、足りない。近いようでまだ遠い。

それが私達だ。






そうして考え、思い至ったのが手作りという手段だった。

作るからには、チョコを溶かして固めただけだろ、なんて馬鹿にされることのないよう少し手のかかるガトーショコラにして。


四苦八苦しながらも昨日の夜、見事なガトーショコラを完成させた。
同時に失敗作も数個できたが。


これでもう料理の腕を馬鹿にさせないんだから!


そう晴香が意気揚々と眠りについたのが、昨日のことだった──。









***












八雲の一言に晴香はようやく金縛りにあったように硬直していた身体を反転させた。
ただ、集まった熱はどうしようもなく、正面の八雲を見ないようにするので精一杯だった。


イスに座る時、その手に持っていた大きめの手提げを一瞬机に置こうとして、止めた。
明らかに不自然な膨らみをもつこの手提げを今、八雲の目の前に置くのは憚られた。
仕方なく床に置こうとしたが、やはり中の物のことを思えば床はまずいだろうと最終的にはその膝の上に落ち着けた。


視線は未だ上げられない。
そわそわと落ち着かない気持ちを叱咤してどうにか集まる熱を振り払おうと深く息を吸い込んだ。










***








意気揚々としていた昨日とは打って変わり、迎えた当日は起きた時から緊張していた。


もし居なかった時の事を思い、前日に部屋にいるようにとメールをしておいたから、会えないということはない。と思う。


心配なのはその先だった。


あの八雲のことだからバレンタインというものに興味や関心があるとは思えない。
そしてあの鈍感さを思えば尚更。


だから渡した瞬間、本気で「何だ?」と言い兼ねないし、知った所で「何故?」と聞き兼ねない。


まあ、それならまだ良い。


受け取ること自体拒否されたら?
煩わしそうな顔をされたら?



晴香は想像するだけで心臓がぎゅっと竦むのを感じた。

…きっと立ち直れない。そんなことを思った。




午前中はそんな事を悶々と憂いて、講義がほとんど頭に入らなかった。
が、そのおかげで良案は浮かんだ。
差し入れのようにフランクな感じで渡すこと。


まず、手作りなんて言うと受け取ってもらえない可能性が高い。
腹立たしいけど。
まして本命だなんて絶対気付かれてはならない。

あくまで『差し入れ』。
なんならバレンタインという言葉も出さなければいいのだ。



…なんて、拒否された時に傷付くのが怖くて、笑い飛ばせるようにしたかっただけなのだけど。



とにかく弱気な心を奮い立たせ、いたっていつも通りを装って八雲の所へ訪れたのだ。

なのに――…










――晴香ちゃんの本命を待ちわびているどっかの不機嫌な化け猫に、早く渡してやってくれってことだよ。









思い起こされた台詞に心の中でため息をついて。
晴香は俯けていた顔を恐る恐る上げて、正面に座る八雲に目を向けた。

そろそろと上がる視線は組まれた腕から白いシャツ、そして胸元を辿り、その顔へ。

その途端、不機嫌そうに眉間にしわを寄せた八雲と目があった。


思わず、大きく視線を外してしまった。




――やっぱり。




晴香は目の前の答えに一気に突き落とされた気分になった。


本当に後藤さんのせいで変な具合になってしまった。
あの台詞は問題だらけなのだ。


まず、この八雲がチョコを、まして私の本命なんて待っているはずがない。
そもそもバレンタインかどうかも分かっているか怪しい。

そして何より問題なのは、後藤さんに本命だとばれてしまっていた事だ。
一瞬で全身が熱くなりあまりの動揺に何も返せなかった。
アドリブが効かない私のその反応に、この鈍い八雲も気付いてしまったかもしれない。


だから後ろを向くのが怖かった。





そして案の定、目の前の八雲は酷く不機嫌な顔をしていた。

きっとさっきの言葉に不機嫌になってるに違いない。


僕はそんなもの待っていない。バレンタインなんてくだらない、とか
君の本命なんてお断りだ、とか。
そんな言葉が降って来るんだろう。


手作りを断られるのと本命を断られるのでは意味が全然違うのだ。






「で?」
「…へ?」






鬱々と考えている頭に急に八雲の声が割り入った。晴香が思わず顔をあげると、またその目とあう。



「前日にわざわざメールでここにいるようにと言ったのは君だろ?」
「うん?」



確かに言ったけど…


要領を得ない質問に首を傾げる。


そんな晴香にはぁー、なんてこれみよがしに溜息をついて。
じっと晴香を見ていたその視線は八雲の方から逸らされた。




「…何か用があったんじゃないのか?」
「!」



頭を掻き回しながら視線をふい、と逸らして。ふてぶてしく、小さく呟いた言葉をなんとか拾い上げた。



「あ、え、えっと…そのっ!」




チョコ渡しに来ました!
なんて今更言えるはずもない。
しかもそんな不機嫌なのに。
差し入れなんて言い張るのだってもう無理だ。




「何を言ってるか分からない。日本語を喋ってくれ。」
「げ、元気にしてるかな〜って!」



しどろもどろに出た言葉に目の前の八雲はぽかんとしている。



「…誰が?」
「八雲君に決まってるでしょ?」
当たり前じゃないと続ければ
心底呆れたような目で見られてしまった。



「昨日も会ったのにか?」
「うっ…。」
「昨日どころか連日、君が人の迷惑も考えずに押しかけるから顔を合わせない日がないじゃないか。」
「…来ないと不機嫌になるくせに。」
「何か言ったか?」
「いえ、何も。」



やはり苦しい言い訳だった。
でも八雲はそれ以上追求することを諦めたのか、溜息をついて押し黙ってしまった。

たださっきよりも確実に不機嫌になっている。
眉間に刻まれたしわは沈黙に比例して深さを増すばかりだ。



――もう泣きたくなってきた。



せっかく、今日という日に二人っきりだというのに。

踏み出すことを、何かが変わってしまうことを恐がって、躊躇って。逃げているのはきっと私。

これじゃ何も変わらない。


鼻の奥がつんと痛み、じわりと目が熱くなった。







「――あの熊より…」



不意に呟いた八雲の言葉に、急に意識が呼び戻された。
突然の言葉に驚いて見つめたその顔は依然むすっとしている。



「何、八雲君?」
「…だから、」



珍しく歯切れの悪い八雲の様子を不思議に思いつつ、途切れた言葉の続きを待つ。
自分の零した言葉を悔やむように、忌々しそうに顔を歪めていたが、やがて観念したように八雲は肩を竦めた。





「君が一番感謝すべきなのは、あの熊なんかより僕じゃないのか?」
「――え?」





我ながら何とも間抜けな声がでた。



「君が日頃誰に一番迷惑をかけているのか、思い返してみるといい。」
「え?え?」
「…だから、あの熊が一番に感謝されるなんておかしいと言っているんだ。」
「それはどういう…」
「何だ、もう耳が遠くなったのか?その若さで老化が始まるなんて気の毒だな。」
「っちゃんと聞こえました!」



そうじゃなくて!



「今のそれって…」
「言葉通りだ。」



相変わらず、その顔は不機嫌そのもので。そしてその頬はどことなく赤い。

そこで、ふと気付く。
むすっとしたまるで不貞腐れた子供のような表情。
その言動。

考えるより先に口をついた。



「もしかして…八雲君ヤキモチ?」
「…何でそうなるんだ。」



まさか、と思いながらも胸の内でそれは確信めいていて。



「君はどれだけ自意識過剰なんだ。」
「あーそうですね!すみませんね!」



がりがりと髪を掻く仕草も合わせてくれない視線も更にむすっとした表情も、どうにも自分の都合の良いようにしか映らなくて。



「何ニヤニヤしてるんだ。気持ち悪い。」
「別に〜」



バツが悪そうなその姿さえもうおかしくなってきて。晴香がついつい吹き出してしまえば、八雲にぎろりと睨まれた。
その顔はどことなく悔しそう。


なんて分かりにくい催促だ。


それが例え自分の都合の良い解釈だとしても、さっきまでの不安もどこかへ飛んでいって、晴れ晴れとしたような気持ちが広がっているのを晴香は感じていた。

今なら──。




「実は、八雲くんに渡したいものがあるんだ。」
「…トラブルならお断りだ。」



本当に一言余計なんだから。


出かかった反論は、辛うじて飲み込んだ。
せっかくこの捻くれ者が少し素直になってくれたのだ。
その態度が大分不遜なのは少し腹が立つけど、私も変な意地を張るのはやめよう。


晴香は膝の上に置いた手提げから、傾かないよう慎重に丁寧にラッピングを施した箱を取り出す。

そして目の前でいかにも興味なさそうに腕を組み、欠伸まで零した八雲に差し出した。




「はい!いつも迷惑かけてるから、そのお礼。」




こう改まるとやっぱり恥ずかしくて。
晴香は“お礼”を強調した自分に苦笑した。

出来るだけ、自然に、当たり前のように差し出したそれを八雲も普通になんてことなく受け取った。

受け取ってくれた。




「…でかいな。」
「ケーキワンホールだから。」
「どうせ僕にと言いながら君が食べるつもりなんだろ。」
「そ、そこまで食い意地はってないよ!」
「どうだか。」



それでも、相変わらずの皮肉が照れ隠しのようで、その顔が優しく柔らかく見えるのは、自惚れだろうか。


心臓が暴れて煩い。




そんな風に晴香が一人顔を熱くしていれば不意にびりびりっと音がした。



「あ!ちょっと八雲くん待って!」



目に飛び込んできたのはすでに包装を剥がしにかかっている八雲の姿。

突如晴香から掛かった制止の声に、片眉を何故?と言わんばかりに吊り上げている。



「開けるのは私が帰ってからにして!」
「これはもう僕が貰ったものだ。いつ開けようと僕の勝手だろ。」
「もう!」


子供か!


そんなツッコミをいれる間もなく、八雲はあんなに苦戦した包装をいとも簡単に剥がし箱を開けてしまった。


中身を覗いた八雲は、「おっ」と少し目を開き驚いたような顔をして。
そのまま黙り込んでしまった。




「…」
「…」




沈黙が居た堪れない。

感想くらい言うのが礼儀だ。
そう心の中でぼやいて八雲の様子を伺う。



──何か、このケーキにダメなところでもあったのかな…



そんな一抹の不安を抱えていれば、まじまじとケーキを見ていたその視線がふいに戻ってきた。



「…君が作ったのか?」



そう、ストレートな質問が飛び出した。
相変わらずな寝ぼけ眼ではあるが、真っ直ぐと見据えられどことなく真面目な口調だった。




――やっぱり要らないなんて返す気じゃ…。




私が作ったものだからではなくて、手作りなど重い、そう思われていたら。




「あ、安心して!別に本命とかじゃない、から…」




繕うように、誤魔化すようにとっさに出た言葉。



「…安心?」



その言葉に八雲がぴくりと反応して。
盗み見るように見た顔には、やはり深いしわが寄っていた。むしろ怒っているようにすら見える。



「だ、だから、そんな深いもんじゃないから八雲君も別に軽い気持ちで受け取ってって事を言いたくて、えっとその…」



ああ、完璧にドツボに嵌まった。

何が言いたかったのか、したかったのか。何だか自分が情けない。
がっくりとただ晴香はうなだれる。

つむじに痛いくらいの視線を感じた。



「…君にしちゃ、よく出来てるじゃないか。」
「…!!べっ別にそれくらい普通だよ。」



飛び込んできた台詞に、うなだれていた晴香はばっと顔を上げた。
あの八雲が褒めたのだ。自分の手作りを。
予期せぬ言葉に両手放しで喜びそうになったが、なんとかそれは抑えられた。
当の八雲はそんな晴香の様子を気にもしないようで「…普通、ね。」と呟いて、じっとケーキを見つめている。

やがてその視線が晴香へと上がり、ばちりと目が合った。

妖艶に真っすぐ揺らめくその瞳は息を呑むほど綺麗だ。
その視線に絡めとられたら、もう目を逸らすこともできない。



「さっき後藤さんに渡していた物と比べて随分な手の懲りようだな。」
「…っ!」



にやりと口の端を意地悪く吊り上げて。
挑戦的にも見えるその眼差しはじりじりと晴香を焼くようで。



「そ、そんなことないと思うけど。」
「じゃあ君は全部にこんな趣向をこらしてばらまいてるのか?」
「そういう訳じゃない、けど…」
「そうして勘違いでもした男を釣ろうとでも?」
「ひどい、違うよ!」
「そうだろうな。君の場合は釣ろうとして、逆に釣られるのが目に見えているからな。」



なんて失礼な奴なんだ!



「ちょっと言い過ぎじゃない!」
「事実を言ったまでだ。」



頬を膨らませ、何とか強気に立ち向かうものの心臓はどくどくと脈をうち、破裂しそうだった。

辛うじて応戦するが、もう分かってる。





「じゃあ、これは“普通”なのか?」





勝てっこないんだ。






「…特別なのは、八雲君だけだよ。」





観念して紡いだ言葉は消え入りそうで。

まんまと誘導されてしまった自分を悔いるよりも、目の前の八雲の満足気な顔に恥ずかしさは込み上げた。


見つめあったまま、まるで世界が止まってしまったかのようだ。




そして八雲は満足げにその意地悪く吊り上げた口で
優しくも卑怯な言葉を言って見せた。











「僕も、君だけだ。」
























(欲しいのは君からの物だけ。)


















甘くて、ほろ苦い。


「他の人から貰わなかったの?」
「来たが、断った。」
「え?」
「…君だけだと言っただろ。」

そうぼそりと呟いたきり、黙々と食べる姿にどうしようもなく頬が熱くなって。

赤い顔を見られまいと口にケーキをほお張れば、甘くてほろ苦い味が広がった。












clap?




‐‐‐‐‐‐
『HAPPY VALENTINE´S DAY!』の続編でございます!有り難くも続編読みたいというお声をいただきましたので後藤さんの立ち去った後をむふふと妄想して書かせていただきました。

目の前で後藤さん、更には石井さんに先を越されて(っていうか、自分以外に渡されて)ご機嫌ななめになる八雲さんの様子に一人突っ走ってしょんぼりしてしまう晴香たん!!
そしてしょんぼりした晴香に「義理だよ」的なことを言われむっとしてしまう八雲さんの策略にまんまと乗っかってしまう晴香たん。

くそぅ…!どこまで素直になれないんだ八雲め!!私も晴香たんからのプレゼントがほしいぞ八雲め!!

なんか続編楽しみにしていただいてた方々をがっかりさせてしまったのではと恐ろしいですorz
とにもかくにも、楽しんでいただけたら幸いです。






(2011/3/11)






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