違和感、だ。
ようやくその言葉に行き着いた後藤は、目の前で椅子に座り大あくびをしながらのけ反る八雲を見た。寝癖だらけの髪をがしがしと掻きながら気だるげに伸びをする様は、猫そのものだ。
そんな八雲をじっと凝視する。
果たして、それを感じたのはいつからだ?
―─いや、最初からだった。
先日、見事八雲の暗躍により解決した事件。その事後報告にいつもの如くやって来たのが数分前。
「邪魔するぜ」
返事も待たずにいつも通りの掛け声とともに扉を開き、映画研究同好会の部室に足を踏み入れた。
この台詞を吐けばすぐさま
『邪魔だと分かっているなら帰ってください』
そんな皮肉が飛んでくるんだろうことも想定済み。これもまたいつもの事なのだ。
そんな事を考えながら足を踏み入れたのだが、いつもなら矢の如くすぐさま射返される皮肉がとんで来ず。
扉を開けた先、いつもの定位置に座っていた当の八雲は、弾けるように手にしていた文庫本から顔を上げ、驚いたようにわずかに目を見開いていた。
珍しい。
「・・・なんだ、後藤さんですか。」
「なんだ、はないだろう。」
ようやっと発せられた言葉はやはり、可愛げないものだった。
こっちは律儀に事後報告に来てやってるというのに、まいど可愛くない。
まぁ、事後報告という名目で面倒な書類仕事を石井に押し付け、実はサボりに来てもいるのだということを八雲は察しているんだろうが。
後藤はこれまたいつも通りに、八雲の向かいのパイプ椅子にどかっと腰を降ろす。
先ほどの表情とは一変して、八雲はすでに眠そうないつもの顔にもどっていた。
「・・・誰だと思ったんだ?」
見当などついている。
ついた上で、訊いている。
後藤はニヤニヤとした口元を隠すことなく、少し身を乗り出した。
「・・・別に。」
ふい、と不貞腐れたように逸らされた視線がもう白状してしまっている。
後藤は思わず噴出しそうになったのをなんとか飲み込んだ。
そんな後藤を横目で睨んだ後、八雲は口の端を吊り上げて
「ただ、冬眠中の熊が降りてきたのかと思って驚きはしましたけど。」
と言ってのけた。
「本当に、かわいくない奴だよ。」
「後藤さんにかわいいだなんて思われたくないです。」
ああ言えばこう言う奴だ。
これ以上噛みついたところで手痛いしっぺ返しがくることは分かっている。
後藤は軽く咳払いをした後、話しを切り出した。
先日の事件の顛末(といっても、上に通すために霊の関与を一切省いたものだが)の調書報告、さらに、犯人の現在と今後の処遇、それから新たに浮かびあがった背景。その他諸々。
それらを弁舌に語りきった所で後藤は眉をひそめた。
えらくスムーズだった。
そう。スムーズに話し終えたのだ。
いつもなら、八雲の横槍で必ず話しが脱線したり、ひどい時には説明が分かりづらいとやり直しをさせられる。
だというのに、今日は八雲の横槍どころか、「そんな事聞かなくても知っています」なんて言う、皮肉すら飛んでこなかった。
いや、確かにそれ自体は喜ばしいことなんだが。
「・・・で?」
「あ、ああ。終わりだ。」
「そうですか。」
「・・おう。」
つっこみ所がなくて、すんなり終わったのか?
「ありがとうございます。」
いや、違う。
例え死にかけてたって、皮肉を吐くようなひねくれ者が皮肉も吐かず、報告くらいで俺にありがとうだなんて。
「この後に、なんか予定でもあんのか?」
これは早く切り上げようとしているに違いない。
その結論に到り、探るように問いかけてみれば、八雲はまた少し驚いたような顔をした。
その顔には何故分かったんだ、とかいてある。
「別に何もありませんよ。」
眠そうな眼でしらっと言いきるがどことなくバツが悪そうで。
長年の付き合いで嘘だと分かる。
ほんと、人間変わるもんだな。こいつは、その境遇の中で自分の中にあるものを奥底へ奥底へと隠して生きてきた。
それは、迷いや不安、怯える弱い心。
だが人間ってのはその弱い心を持ってしてようやく、喜びや幸せを見出していく。
昔の八雲は、その弱い心をただひた隠すことの代償に、それらを諦めてしまっていた。
でも、今は違う。
その弱さも含めて、自分だと受け止めたようだった。
そしてその影の部分と対にして沈められていた自分自身の光を見据えるようになった。
だから、今では年相応の表情を出すことが多くなったし、作り上げたのではない、自然な自分をさらけ出すようにもなった。
まぁ、その素自体がひどく捻くれちまっているんだが。
本当に、変わった。
でも、何に一番驚くかって、
こいつを変えたのがたった一人の少女の力だってことだ。
小沢 晴香。
彼女が八雲の分厚い心の壁を取っ払い、
陽の光のもとに八雲を引きずりだしちまった。
「晴香ちゃんと約束か?」
「約束なんてしていませんよ。」
「ほぉ〜?」
晴香ちゃんのこととなると、途端に分かりやすくなる。
八雲が年相応のガキに見える唯一の瞬間だ。
「じゃぁ、もう少しここに居させてもらうかな。」
「用が済んだなら帰ってください。」
「いや、まだ用は済んでねぇぜ。」
「・・・なんです?」
不機嫌そうに睨んでくるが、やっぱり落ち着きなく、どこか焦ってもいるようだった。
それに、ちらっと時間も気にしていた。
いつもいつも八雲にバカにされてはいるが、こういった挙動にゃ、職業柄目ざといんだ。
どうだ、まいったか!
「まだ、俺の時間つぶしになっていない。」
「警察が堂々とそんなこと言っていいんですか?」
「いいんだよ。」
「呆れた警察官だ。税金分くらいしっかりと働いてください。」
「学生が生意気なこと言ってんじゃねえ!」
「そもそも、ここを誰の部屋だと思ってるんですか。迷惑って言葉の意味分かりますか?」
「うるせーよ!それに、晴香ちゃんの言葉で言わせてもらえば、ここは学校の部屋だ!」
後藤がしたり顔で反論すれば八雲が言葉なく苦い顔をする。
ただ反論できないのか、はたまた晴香を引き合いに出されたからか。
八雲は更に不機嫌そうに頭を掻いた。
「ま、お前に先約があるってんなら今日は引き上げるが?」
にやり、と後藤が笑う。
珍しく八雲より優位に居られることが楽しいのだ。
「…」
「そうだ、この間のお礼に飯でも連れてってやろうか?」
「後藤さんの顔を見ながらなんて食欲がなくなります。」
「どういう意味だよ!」
「言葉通りです。」
机にばんっと両腕をたたき付け怒鳴るもそれに対し八雲は満足げに笑ってみせるだけ。
優位に立ったのは一瞬だけだったと後藤は思わず舌打ちを零した。
「とにかく、僕はここにいないといけないらしいんですよ。」
「何だそりゃあ。」
「知りませんよ。」
「どういうことだよ?」
「講義が終わったら来るから、いるようにってメールが入っていたんです。」
何だ、やっぱり晴香ちゃんじゃねェか。
「なるほどね。だから俺が来た時に驚いた顔してたんだな。」
まだ講義中の時間だったから驚いたって訳だ。
そう漏らせば、ムスッと、そういう訳じゃありませんと返された。
じゃぁどういう訳なんだか。
「それにしても…」
「何ニヤニヤしてるんですか、気持ち悪い。」
「何とでも言えよ。 この捻くれ者がね〜。」
「何です?」
「いや〜そうか、そうか。」
「言いたい事があるならはっきり言って下さい。」
「晴香ちゃんにそう言われたからってお前が素直に聴くなんてな〜と思ってよ。」
俺もオッサンだな。
ニヤニヤする口許を抑え切れない。
「いないと後でうるさいんですよ。」
そう如何にも迷惑そうに言っているがさっきから時間を気にしたり、俺を早く帰したがっている様子からは全然説得力がない。
可愛いやつだ。
「で、晴香ちゃんはどんな用でくるんだ?」
「だから知りませんよ。どうせトラブルじゃないんですか?」
そんな事言いながら、
晴香ちゃんがらみのトラブルなら必死になるくせに。
後藤は心の中で苦笑をこぼす。
「何だ、デートの約束でもしてんじゃないのか?」
「何で僕があいつとデートしなきゃいけないんですか。」
「じゃあ、何でさっきからそんなソワソワしてんだよ?」
「後藤さんがいる事にイライラしてるの間違いですよ。」
前言撤回!
やっぱり可愛くねえ!
まぁ、結局何だか理由は分からないが八雲は晴香の用に心当たりがある素振り。
そしてそれに対して落ち着きをなくしているのも間違いない。
この八雲をそんな風にしてしまう理由が気にはなるが、まぁ、でも。
「は〜仕様がないから、若いもん二人にしてやるか。」
よっこらしょと重い腰を上げる。
「何だ、もう暇つぶしとやらは済んだんですか?」
白々しく聞こえた台詞に思わず苦笑がこぼれた。
早く帰って欲しいくせに。
そう言いたかったが、言った所でムキになって否定するのは分かっている。「俺もそれなりに忙しいんでね。」
「それなら石井さんに押し付けてないで早く帰って仕事をして下さい。」
「うるせーよ。」
二人っきりがいいなら素直にそう言えばいいのに。
…そんな事を八雲が言ったら言ったで、まず心配になるだろうが。
「じゃあ、邪魔したな。」
そう言って扉前に立ち八雲を振り返ったその時、ほんの一瞬。
わずかながら八雲がぴくりと反応した。
そしてすぐに背後で、たたたっと軽やかな足音が聞こえた。
「やあ!…っわゎ」
ガチャリと扉が開く音と共に、明るくよく通る声が響いた。
勢い良く顔を覗かせたその声の主は目の前に立ち塞がっている俺に驚き少しバランスを崩す。
「よぉ、晴香ちゃん。」
お姫様の登場だ。
「後藤さん!こんにちは!」
驚いた顔からすぐに人懐っこい笑顔を浮かべた彼女につい俺までつられて笑顔になる。
彼女はそうさせるだけの何かがある。
「ホント、八雲にはもったいないよ。」
「え?」
ついついこぼれた言葉はどうやら彼女には聞こえなかったようだ。
後ろからはひしひしと痛いくらいの視線を感じるが。
はいはい、
帰りますよ。
「八雲に用事だろ?俺はもう帰…」
「後藤さん、ちょうど良かったです!」
帰るからと告げようとした言葉は被せるようにあげられた言葉に消えた。
後ろでは何故か八雲のため息が聞こえた。
「何かあったのか、晴香ちゃん?トラブルか?」
「もうっ!八雲君みたいな事言わないで下さい!」
そう頬を膨らませた後、その手に持っていた紙袋を何やら漁り始めた。
一体何だ?
そう訝しんで彼女を待っていれば、
「はい!これ後藤さんにです。」
そう元気の良い声と同時に、なにやら可愛く包装された箱を差し出された。
反射的にそれを受け取る。「こりゃぁ・・・」
「バレンタインのチョコです!いつもお世話になってるんで。」
そうか。
今日はバレンタイン。
「ははは!」
理解すると同時に沸き上がる笑いを抑えきれず声をあげて笑えば、目の前の晴香ちゃんの肩がびくっとはねた。
後ろでは八雲が大きなため息を吐いて苛立たしげに頭をかき回していた。
最初に感じた違和感の数々。
理由がようやく分かった。
「ご、後藤さん?」
「すまねえ。いや、この歳でこんな可愛い子から貰えるとは思ってなかったんでな。」
「喜んでもらえたなら、良かったです。」
晴香ちゃんの手にかかれば、八雲もただの男か。
「晴香ちゃんありがとな。」
「いえ!あ、石井さんの分もあるので、渡してもらってもいいですか?いつお会いできるかも分からないんで。」
「おう。お安い御用だ。きっとアイツ泣いて喜ぶぜ。」
「あはは!そんなオーバーな。」
いや、冗談じゃなく、本気で泣くと思う。
「さてと、行くとするか。」
「あ、これからまたお仕事ですか?」
「仕事よりも、どっかの誰かさんがもう怖いんでね。」
「え?」
首をかしげる彼女に苦笑をもらして、背後に尚も感じる不機嫌な空気に身をすくめる。
今、後ろを向けば確実に睨まれていることだろう。
外に足を踏み出して、なおも不思議そうにこちらをみている彼女と、彼女のその奥、パイプ椅子に座りながら早く扉を閉めろと威嚇する八雲に目を向けて。
「晴香ちゃんの本命を待ちわびている、どっかの不機嫌な化け猫に、早く渡してやってくれってことだよ。」
日ごろの恨みをこめて、そんな言葉だけ残して扉を閉めた。
扉の向こう、二人の表情を想像すると、どうにも胸が躍った。
HAPPY
VALENTINE´S DAY!
みんなに幸あれ!
(晴香ちゃんの頼みなら仕方がない。)
(泣きながら書類に埋もれている石井に今から渡しにいってやろう。)
(…あと、今日は早く家に帰ってみるか。)
clap?
‐‐‐‐‐‐
なんて事だ・・!
ぜんぜん、八晴じゃない。orz
いや、私の中では八晴小説なんですがね!
他の人から見た八晴が大好きなんですよね!
ORCA本館にてバレンタインフリー小説として公開していたものでございます。配分期限は終了しましたが、欲しい方がいらっしゃればお気軽にご連絡下さい。
***
なお、続きが読みたいとのお声を頂いたので、続編『欲しいのは、』にてこの後の二人を書いております。こちらの携帯サイトには後日続編もアップします!しばしお待ち下さい!(2010/2/14)
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