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「あなたはそれで幸せかい?」



キラリと太陽の光を反射したそのレンズの向こう側。切れ長で綺麗な瞳は険しく細められ、まるで射るような鋭さを含んでいた。


幸せか、なんて。
なんてくだらない問い掛けだろうか。


その瞳を見つめ返し、朦朧とした頭でぼんやり考えながら小さく笑う。ハンジが問い掛けてきた単語を頭の中で反復すれば、いつだったか誰かが言っていた事を思い出した。


幸せ、とは。
心が満ち足りていること。


なんてシンプルなことだろう。この空虚な世界で、多種多様、複雑怪奇な心が、満ち足りているかどうか。やたら難しく囚われがちなこの問い掛けも、満ち足りているか否かで考えてしまえば、実に容易い。



「幸せだよ」



だから、答えもすんなりと口をついて。
揺るぎないそれが空気を震わせた。

そして。



「この状況でよく言えたもんだな、てめぇ」



私の声とは対照的に、低く、どすの利いた声が私の鼓膜を震わせて。ぎりりと自分の肩が軋むような音がした。ああこれは心が満たされていく音か。そっと耳を澄ませれば、もれなく強烈な痛みもやってきた。



「〜っい、っだだだだ!!折れる折れるぅう!」



再開された右腕がもげそうな痛みに、バンバンと自由な左手で机を叩いて悶絶する。必死な思いで私の腕を捻り上げている張本人、リヴァイを振り仰ぎ、ギブアップと叫べば、ようやく腕は解放された。ありえない方向に曲がりかけた右腕は、じんじんと痛みもはや痺れている。



「懲りないねぇ。またリヴァイのベッドに潜りこんだんだって?もう何回目だい?」



そんな解放された腕を押さえ、ぐぉぉ、なんて色気のない声で唸っていれば、場違いな呑気な声が降ってきて。その声の主であるハンジは、それはそれは愉快そうに笑っていた。



「数えきれないね!」



それに対し、自信満々に答えてやれば、ハンジが吹き出す。

そう、夜リヴァイの布団に潜りこむのはもはや習慣だった。変態だと言われようが、寝ぼけた頭は自分の欲求に忠実で従順、勝手にリヴァイを求めて毎夜毎夜夢遊病者のように足を運んでしまうのだ。
あの安心感だとか清潔な寝具の香りだとか理由はいろいろあるけれど、何より、目覚めたばかりのリヴァイの姿が実にけしからんのがいけない。
寝起きの最凶な目つき、普段きちんと整えられた黒髪がぴょこんと跳ねている姿、低く掠れた声、その声が紡ぐ3割り増しくらいの暴言悪態、ああ可愛い!あれを見る為なら何回でも潜りこむね!



「…てめぇには、どうやら躾が足りないらしい」



途中から、どうやら口から出ていたらしい。




ゆらりと真っ黒なオーラを纏い、リヴァイが指を鳴らしてにじり寄る。あ、ヤバい。視線だけで殺される。マジだよこれ。



「あっはっは!リヴァイ、いくら躾したって無駄だと思うよ!あなたの持論は効かないんじゃないかな」
「なら効くまで試すまでだ」
「ハンジ煽らないで!」



呑気に笑うハンジを一喝し、底冷えするような目(なんて言うか虫を見る目だな、これ)でまたじりじりと寄ってくるリヴァイに身構える。

ああ、あの開かれた大きな手。間違いない、私の頭を握り潰す気だな。
この小さな巨人め!



「どうせやられるならば…ていっ!」



勢いをつけ、思い切りよく地面を蹴った。そしてそのまま小さな衝撃。

訪れた無音。



「…」
「…」
「…おい」
「…何かね、リヴァイ」



あーっひゃっひゃ、なんて腹を抱えて笑うハンジの声が響く。



「…何しやがる」
「見ての通り抱き着いてみました」



もごもごとその胸に顔を埋めて答える。さほど身長の変わらないリヴァイだけど、やはりそこは男の人。私より幾分広いその胸にきちんと私は収まっていた。そのままぎゅうっとしがみついてみる。

あぁこれこれ、この充足感!満足感!



「…んなこた見りゃ分かる。何で抱き着いてきたか聞いてんだクソ女」
「何でって、どうせ捕まって痛い目みるなら、自ら抱き着くことで些細な反抗と反発を…って、あだだだ!嘘です少しでも良い思いをしてやろうかと!」



頭蓋骨が変形しそうな痛みにあっさり下心を吐露すれば、盛大なため息が降ってきた。そして予想に反してすっと下りたリヴァイの手。



「てめぇは、」
「ん?」



呆れたようなリヴァイの声に頭をあげれば、すぐ近くでリヴァイの視線とかちあった。後ろでは尚もハンジがバカ笑いしている。
っていうかハンジうるさい。



「一体何がしてぇんだ」
「何ってリヴァイと触れ合いたいだけだけど?」



好きな人とはじゃれあいたいもんでしょ?


そう間髪いれず答えてやれば、いつだって鋭いその瞳が驚いたように見開かれた。



「おい…誰が、誰を、好きだって?」
「え?私が、リヴァイを、だけど?」



え?何?私変なこと言った?


驚いたように目を見開き、何とも言えない表情でこちらを見てくるリヴァイの視線に何だか居た堪れず(そしてその理由が全くもって分からない)、助けを乞うようにハンジを振り返れば、奴は奴で腹を抱えて笑い転げていた。何故だ。



「〜だ、から、躾は効かないって言ったんだよっ」


ヒーヒーと呼吸を切れ切れにしながらハンジは言葉を紡ぐ。だから何がそんなに可笑しい。



「だいたい、それすら幸せだって言ってる人間に効く訳がないじゃないか。分かった、リヴァイ?」
「…うるせぇ」
「というか、まさか本当にリヴァイも分かっていなかっただなんて、びっくりだよ」
「…いつもこんなふざけた調子の奴だぞ。分かるか」



何だ一体なんのやり取りをしてるんだ?

目尻に涙を溜めて笑うハンジと、ムスッとそれでいて様子がおかしいリヴァイを交互に見る。それでも話しが分からずただ首を傾げて見ていれば、そんな私を見てハンジは、あなたがそんな調子だから肝心な事が伝わらないんだよ、と笑った。いや、だから何なんだ。



「おい、今までのは嫌がらせじゃねぇのか」
「何で嫌がらせしなきゃいけないのさ」
「痛い目見せても懲りずに繰り返すのは、嫌がらせとしか思えねぇ」
「そんなの夜じゃないとリヴァイを独り占め出来ないからに決まってるじゃない。それにそうしたら朝もこうして遊んでくれるし」
「…好きだからやっていたと?」
「そうだよ?いつも言ってるじゃん」



リヴァイって馬鹿なの?

そう言ってやれば、リヴァイは再び何とも言えない顔をした。
そして深いため息をついたかと思えば、顔を沈めて。再び上がったその瞳には獣のような鋭い光が灯っていた。

そっと、リヴァイの大きな手が私の肩に置かれた。


「リヴァイ?」


ちりりと芯を焼かれそうな程の眼差しを一心に受け止め、予想以上に優しく暖かい掌に戸惑いながらもその名を呼べば、リヴァイは眉を少し潜めて切なげな吐息を漏らした。そしてゆっくりとその端整な顔が近づいて。



「あああのっ、ちょっ、」


視線は絡み取られて捕まったまま逃げられない。


もしかして、これって、あれ、もしかしなくとも、これはもしやっ…!



「リヴァっ…!」
「そんな事、言われたことも聞いたこともねぇ」



ゴッと鈍い音とともに、リヴァイでいっぱいだったはずの目の前が、ちかちかと星でいっぱいになった。

ああ、うん。
こんなことだろうと思ってた。



「ぐぁぁぁっ!ず、頭突きとはっ!」
「削がれなかっただけ、マシと思え」



変形どころか割れたんじゃないかと思う頭を抱えてしゃがみこめば、容赦ないねー、なんてまたハンジの笑い声がした。
すると、もう容赦はしねぇことにした、なんてリヴァイの恐ろしい返答が聞こえたもんだから、更に額が痛んだ。見上げたリヴァイは、それはそれは意地の悪い顔で。


「い、一体どこでリヴァイのドSスイッチが…?」
「てめぇが入れたんだろ」
「えぇ!?」


どこか晴れ晴れとしたような涼やかな顔は、長い付き合いだからこそ分かる上機嫌さで。言葉とその表情の噛み合わなさにただただ頭に疑問符を浮かべていれば、リヴァイはそのままくるり、と踵を返して扉まで歩き出してしまった。
そして出る直前でぴたりと足を止めて。



「とりあえず、今夜はコソコソ忍び込まずに普通に入って来い」


可愛がってやるから覚悟しとけ。



そうリヴァイは振り向き様に告げて、今度こそ扉から出ていってしまった。


カツカツと足音が遠退いて。
残された私はただただポカンと閉められた扉を見つめて。



「…ハンジ」
「何?」
「あれは死刑宣告ですか?」



震え上がりながらそう隣に立つハンジに告げれば、ほんと幸せな奴らだね、なんて答えにならない答えが返って来た。






(そう言ったハンジの顔は、楽しそうに満たされていた)







日々満ち充ちて、
それは、



「それでも、幸せなんでしょ?」
「そうだね、まさしく“死合わせ”だね!」





企画「幸福論」様へ提出




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