彼はなにも泳げない



まるで粘土の海に放り込まれたようだと彼は思った。

彼を包むそれはしっとりとしていてやわらかかったがそれ故に身体にまとわりついて自由を奪い、深い海底にずぶずぶと引きこんでいく。
浮上しようと手足で粘土をかいても意味がなく、このままではいけないと助けを呼んだが、海は無限だった。そのうちに顔まで沈んで声を出すことすら出来なくなった。不思議と苦しさを感じることはなかった。ただゆっくりと確実に体温が低下していく。自分のかたちが崩れて周囲に溶けていくようだった。

静かに外側から殺されていく。死とはこんなにも穏やかに生を飲み込んでいくものなのか。
どうせ開いていたって何も映せやしない目を閉じた。暗闇は黙っていた。恐らく永遠にそうしているつもりなのだろう。

海は、無限だった。
彼の他には誰ひとり存在しない。そして存在しないからこそ、音になれない声で彼は小さく呟いた。

さみしいなあ。

目頭が熱くなったのは確かだが、そこから生まれたものがどこへ行ったのかはすぐに解らなくなってしまった。



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