猫の夢を見た話



恐らくは昨夜妙な本を読んだことが影響しているのだろう。
朝からなんとも気味が悪い夢だった、と、すかすかの電車の中で振動に身を任せながら思った。
ぼんやりと視線を向けた窓には気だるそうな自分の顔が映っていて、疲れてんのかな、と口の中で呟いて僅かに俯く。

いまいち本当にあったかどうか不確かな白いもやの中、記憶が再現した駅のホームからそれは始まった。
先に言っておくが、ぼくはそれが自らの夢だとまるで気づいていなかった。ホームの正確なつくりを無意識のうちに脳に染みつかせていたのか、あるいは普段風景としてしか見ていなかったからか、とにかくそこにいた間、ぼくはひとつの違和感も感じなかったのである。

時間などを確認できるものは無かったが、自分が帰宅するところだということは何故か理解していた。というより足が勝手に帰路をたどり始めたので、ああそうだったと自分をのせた。
ホームと同じようにすっかり見慣れた道を少し歩いたところで、ふと足元に転がる塊が視界に入った。反射的に障害物とみなして横に避け、避けてから背中にひやりとしたものを感じて振り向く。

猫の死骸だ。
白に薄いベージュの混じった毛色をしていて、顔や足、腹のあたりは薄汚れてごわごわと固まっている。

無造作に横たわるそれは十分にぼくの心を冷やした。気を抜くと胃が盛大にひっくり返りそうだったので、慌てて頭を働かせる。顔や身体が大きく壊れていなくて良かった。血は出ていないし虫もたかっていない。良かった。それにあれはもう死にきっている。死に際なんか見たらもう駄目だ。良かった。大丈夫。これは最悪ではない。もっと悪い状況はまだまだある。大丈夫だ。よし。

ぼくは見るのをやめた。
はやく帰りたくて仕方がない。


家までの道のりはそこまで長くない。
長くないはずだった。
長くないはずなのに、長い。終わりが一向に見えない。
知っているはずの道が延々と続き、そのところどころに猫の死骸が落ちている。最初に見たのとはどれも違う。

暫くすると気にするのをやめた。かわりにちゃんと前には進んでいるから大丈夫だと思うことにした。

「あいた」

向こうから来た若い男が手をポケットに突っ込んだまま死骸に躓いた。

「なんだよ、あぶねえな」

男は舌打ちをしてから苛立った様子でぼくとすれ違う。ぼくは立ち止まった。
なんだよ?あぶねえな?

後ろから早足に歩いてきた女性が道の途中で立ち尽くすぼくを追い越し、追い越す際怪訝そうにこちらを一瞥する。
彼女はかつかつと高いヒールを鳴らしながら前に進む。目前に猫の死骸。蹴り飛ばす。前に進む。
鞄は真っ赤な革のやつだった。

ぼくは光を返す爪先にこめかみを抉られた気がした。

「イチ、ニイ!」

数メートル先の角を曲がり、体格の良い学生の集団が走ってくる。二列に並ぶ彼らはみな同じような髪型をしていた。野球部かなにかだろう。
ぼくは彼らの邪魔にならないように道の端に寄り、はっとして前方の塊を見た。

まさか。

腹から絞り出すような掛け声をしきりにあげながら、集団が近づいてくる。先頭と死骸との距離は少ししか残っていない。足元を見る者はひとりもいない。

まさか。


ぼくは走った。
保健は得意だが体育が大の苦手であるぼくの走りなどたかが知れていたが、走った。
集団は突然走り込んできたぼくに驚きながらも二列の間をあけて通れるだけの幅を作る。

ぼくは死骸を飛び越えて止まった。両脇を学生達が流れていく。
集団の最後を走る学生は他と違って髪がなびく程度に長く、ぼくの顔を見、足元を見、またぼくを見た。
今にも泣き出しそうな顔だった。

「俺もそう思います」

彼はぼくの目を見つめてそう呟き、集団について走っていった。
足元には猫の死骸があった。

あの塊をあのように映したのはきっとぼくと彼の目だけなのだろう。
そう思っている中で目が覚めた。今朝に繋がった。

電車を降りて改札を抜けると、年期の入った包丁を持つ男がすぐ隣に立っていた。

「だよな」

ぼくは無意識のうちに話かけていた。自分から知らない奴に話かけるなんて、無理強いされない限りしようとすら思わなかったのに。
男がぼくを見る。
ぼくは言った。

「ぼくもそう思うよ」



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