風船の話


日曜日。
昼食をつくるのが面倒だったので、コンビニまで買いに行くことにした。
外に出るのも面倒だったが…よく考えれば、作るのは面倒である以前に冷蔵庫的な事情で不可能だったのである。
渋々玄関へ向かい、履き潰したスニーカーを足に引っ掛けて外へ出る。

家を出て暫く歩くと、小さな公園があった。
ぼくがこの街に越して来る前からある公園だった。
ブランコやジャングルジムなんかの数少ない遊具はどれも錆び付いていて、どこからか伸びてきた蔦がびっしりと絡みついている。
遊んでいる子供は一人もいない。乳母車を押して鳩に餌をやる老婆もいない。
いるのはペンキのはがれたベンチにうずくまる男が一人だけだ。
季節が季節とはいえ、随分閑散とした風景だと思った。

公園の前を通過しきろうとした時、不意に冷たい風が吹いてきた。
(しまった、もっと服を着込んでくるべきだったか)
ぼくは冷たい両手をジーンズのポケットに突っ込み、身体を縮めて耐える。
風に揺すられる木々が、季節ではなく何かの病気のために枯れているように見えた。
(あれ、)
そうやって木を眺めていると、色の無い風景の中で場違いに鮮やかな物体の存在に気がついた。
…どうやら、木の枝に何かがくくりつけられているらしい。
目を凝らしてじっと見てみると、その正体がわかった。

赤い風船だ。
浮かぶタイプの。

ぼくは思わず、身体を小さくしたまま足をとめた。
何故こんなところに風船があるのだろう。いやここは公園であるから、子供がそういった物を置いていくというパターンは不思議ではないのだが、しかし、ここはこんなに寂しいところなのだ。ほとんど死んでいる場所なのだ。
…それに、あの位置は子供が届く場所ではない。

ぼくは目の前の光景に靴を左右履き違えたような違和感を覚え、赤い風船に手を伸ばした。
蝶の形に結ばれた紐を解き、片手で持ってみる。
…これはこれで変だ。しかし懐かしい気分にもなった。

「離せ」

どこからか、明らかに苛立ちを孕んだ調子の低い声が響く。

「離せ」

前よりも強く、もう一度。

「離せ」
「え」

ぼくはうろたえた。
まさか、この風船が声を発しているのか?

信じられない気持ちで風に揺れる赤を凝視していると、離せ、と更に強く声がして、ぼくはとうとう掴んでいた紐を離してしまった。
風船は冷たい風にのってぼくのもとを離れていく。

風船が言った。「お前も飛ぼうとは思わないのか」
「こんなところにいたらおかしくなるぞ」

ぼくは辺りを見回した。
どの方角にも薄汚れた煙突の建った工場が並び、そこから排出される黒い煙が空に溶けていく。

「俺は空の青いところへ行く」

赤い彼はふうわりと揺れながら、暗い空をかけていった。

「なんだって言うんだ、風船のくせに」

ぼくだって、自ら好き好んでこの街に住んでいるわけじゃない。
もし他の街にもっと儲かる仕事があったなら、迷うことなくそちらへ行っただろう。
…しかし今思えば、こうして寿命を縮めるようなことをしてまで手に入れるような金だったのだろうか。

見ると、風船は随分小さくなっていて、今にも雲の中に消えようとするところであった。
ぼくはまたジーンズのポケットに手を引っ込め、彼の行方を羨ましい気分で見つめていた。


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