先輩後輩2


試験当日の早朝、安口は大きな荷物で両手が塞がった姿で家を出た。
今日の試験は一日がかりのデッサン、袋に突っ込んだ自前のカルトンは縁が黒く汚れていて、薄っぺらいのに重い。玄関のドアを蹴って閉めた振動で肩にかけた紐がずり落ちたのを、腕を回して戻す。

溜息は真っ白だ。

自宅から駅までの道はそれなりに長い。普段なら自転車に乗る距離だが、今日は徒歩。運転できる状態ではない。
以前キャンバスを持ったまま自転車に乗ったことがあったが、どちらかといえばどんくさい部類に入る安口の運動神経では無謀な行為。バランスを崩してガードレールに激突したのだった。

手袋をしていても手先は冷え、痛いほどだ。

昨日の夜からつい先程まで、ずっと絵を描いていた。緊張しているのに妙な高揚感があり、眠ろうと思っても眠れなかった。向き合う木炭紙が絶えず波打っているようだった。

歩いているうちに首に巻いたグレーのマフラーがほどけだし、首元が外気にさらされてゆく。安口は不機嫌そうに眉をしかめたが、手が使えないため直しようがない。さむ。掠れた声で呟く。

「あ」

それから十秒も経たないうちにもう一度、今度は少し大きめの声で言った。
マフラーが巻けないのはいい、だが、このままだと改札が抜けられない。定期券を準備しなくては。

気になったらそのままにはできなくなった。道路の端に寄って重い荷物をすべて下ろし、時間には余裕があるから大丈夫だろうと少しだけ休憩。
あれとこれを纏めて持ってみようか、これをこっちに分散させるべきか。

(めんどくさい…)

寒いし疲れたし、あんまり頭使いたくない。めんどくさい。
もうここに放り出して、必要な道具だけ現地調達すれば何とかなるんじゃないか?

元々面倒臭がりな性格に加え、睡眠をとっていないため彼の思考回路は少しおかしくなってきている。

…いいや。



「ちょちょ、何してんすか!?先輩!先輩って!」
「…なんで居るんだおめー」

手ぶらで歩き出した安口のもとに彼の後輩、戸塚が走り寄ってくる。
アイデンティティの金髪がふわふわ揺れている。少し寝ぐせがついていた。

「何すかその顔!先輩をお見送りしようと思ったんすよ。そしたらこれじゃないすか。手ぶらとかアホかと」
「うっせ。手ぶらじゃねえし。そこに荷物あるし」
「はあ!?これ全部あんたの荷物!?」
「うん」
「…うんじゃねーよ…駅まで片方持ってあげるんで、先輩もアホなことしてねーで駅行ってください」

黒髪と金髪の男子学生二人が大きな荷物を持って、雑談をしながら早朝の道を歩く。
試験当日の風景としては少しほのぼのし過ぎているような気がするが、その方が安口にはありがたかった。こうしていれば緊張に押し潰されずに済む。

「なあ戸塚、今お前がいてよかったって割と思ってる」
「そっすね、こうやって荷物持ちボランティアしてあげてるし。よかったすね本当〜」
「…お前全く先輩を敬おうって気がないよな」
「わざとっす」

やがて二人は駅の改札まで辿り着いた。
ここは大きな街ではないから、朝でも人はまばらだった。駅員のおじさんはうとうとしている。

「やっとここまで来た…いや、長かったな」
「そっすね…あ、荷物は先輩が改札通ってから柵越しに渡すんで」
「おー。…あれ、そういやお前学校は?」
「面倒なんで二限からで」
「まじかよ勉強しろよ」
「先輩に言われたくねーっす」

もさもさしながら安口が改札を通る。寝癖だらけの後ろ髪を、後輩は黙って見つめていた。

「んじゃ、行ってくるわ。荷物ありがとな」
「はいどうぞ。頑張ってきてくださいね…あ」
「ん?」
「マフラー、ぐしゃぐしゃになってる」

荷物を返して身軽になった戸塚は、身を乗り出して柵越しに手を伸ばした。

ぐい、と引かれる灰色のマフラー。



それと、




「…それじゃ、健闘を祈りますよ」


素早く離れ、俯きながら戸塚が笑う。呆然とする安口は、彼がそのまま逃げるように帰っていくのをただ見送るしかなかった。
今何が起こった?

こんなに寒い今日なのに、顔だけが妙に熱い。マフラーが邪魔になるほど。もう少しで爆発しそうだ。
到着した電車のブレーキすらも、随分遠くで鳴っているような気がした。

なに考えてんだよ、戸塚。

安口はひとつ舌打ちをして、自分の唇に手の甲で触れた。


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