イチャイチャしたい片桐有本
片桐に押し倒されると、有本は時々身動きがとれなくなる。
彼の頭の両脇に伸ばされた細い腕は、それでも多少は鍛えている男のものだ。見かけよりも逞しい。が、野性動物のように無駄のない身体をもつ有本なら、払いのけることが不可能なはずはない。
勿論怪しい薬や大量の酒を盛られた訳でもない。
「…よひと」
強いて言うなら片桐の甘い声。
グレイの瞳。
柔らかく優しげな微笑みと、その中に混ざる劣情、寂しさ。
そんなようなものたちが、そしてそれら総てが今自分だけに向けられているという事実が、彼を狂わせる麻薬だった。
「…八束、よせ」
「やだ。ちゅーしたい」
「っ…ん、」
ふわりと口づけられると、彼はいよいよ駄目になる。
現実感を遠ざけていく甘い匂い。
彼はこの感覚を酷く恐れていた。
このまま様々な感情が雪崩れ込んでくると、今は曖昧だが見えている、片桐の隠した感情に気付く余裕が無くなってしまう。
俺とこうしたくてしているのか。ちょっと違う。だからといって、自分が誰かの代わりだという気はしない。しかし確実に俺を通して何かを見ている。
後ろめたさは、少し感じる。
だが有本にはその先が見えない。もっと人の心情に敏感なら、そこまで、仕舞い込まれた奥まで見ることが出来ただろうか。
「…呼人、どうしたの?」
「どう…?」
「泣きそうな顔してるから」
いやだった?
黒髪を優しく撫でて、すぐ近くの片桐が小さく首を傾げた。
「そんなことは」
「ないの?…やめてもいいぜ。オレ、お前を苛めたい訳じゃないから」
これもいけない。
こういう時の片桐は、普段の憎たらしさは夢かと思うほど優しい。
その台詞と仕草が他人相手に使いなれたものであるかもしれないと考えても、流されたくなってしまいそうだ。
有本は悔しくなって、目の前の柔らかい表情から顔を背けた。そうすると相手に真っ赤な耳と首筋をさらすことになるとは気づいていないらしい。
ついでに部屋の状況が確認できた。
弁当の空き箱や倒れたコーラのペットボトルが机の上で絶妙なバランスを保ち、なんとか落ちないままでいる。
床には踏むと流血沙汰になりそうな工具と機械の部品がちらほらと転がっていて、全体的に汚い。
そして天井からは色とりどりのコードが束になったものと、逆さまにこちらを見つめる子供の顔が覗いて―…子供の顔?
「!!」
「わっ…、ちょ」
有本は片桐をはね飛ばし、大袈裟な音をたててベッドから転がり落ちた。ネジを一本下敷きにしたが、寝ていたので大した痛みではない。
「ヤツカ」
「…ああなんだ、コードくん見てたのお?」
天井からするすると降りてくるのは片桐の可愛がっているロボット、コードくんだった。生々しいほど人間に近い姿。だがその顔に表情は無い。
「もう、邪魔しちゃダメって前にも言っただろ?ハムスのとこで充電して貰ってこい」
「ヤツカ」
「あれ」
コードくんは床まで降りて部屋の端で体育座りをした。片桐の指示は完全に無視している。
何故ならもう充電は完了していたのだ。だから待機。
「……………」
「…まあいいや。呼人、続きしよー」
「も、物凄く見られているのだが」
「ロボットだ」
だが本物と見紛うような人の形、それも少年の姿だ。二つの瞳は人外の輝きを放っているが、逆にはっきりと視線を感じる。
「しかし」
「見てるのはオレのことだけだよ。ただの指示待ち」
「ちょ、ちょっと待、」
片桐は有本の背中に腕を回しながら再度彼を押し倒した。服の裾から片手を滑り込ませ、割れた腹筋をゆっくりと指先でなぞるように撫でる。
「床で、か」
「なんか面倒になっちゃって…たまにはいいでしょ?」
「っ…良くな、ぁ」
「八束ー、ちょっと下のトラックの調子が…え」
ノックも無しにドアを開いて部屋を覗いた戸狩は、そのまま言葉を失った。
「っ!!!?」
「ろくちゃん、ノックくらいしてよお…」
片桐は二度目の中断にかなり不機嫌になっている。口調は緩いが、目が笑っていない。
「ちっ違う、違うんだ戸狩!これはちょっとした事故っで、だな、八束が!バランスを!崩して…ほら八束、さっさと離れろっ」
「コードくん、ろくちゃんの記憶抹消しといて」
「むっ無視するな!離っ…うわ!?」
「大丈夫、もう何も気にしなくていいから」
「〜〜〜!!!」
*
(翌日)
「よお八束。あのさ、ちょっと下のトラックの調子見てくれよ」
「いえーいろくちゃんおはよ〜!うん、今工具箱取ってくる!」
「おう。…なんだ?今日はやけに機嫌良いな…有本さん、アイツ何かあったんすか」
「………さあな」
「そ、そうっすか(ウワァ有本さんめっちゃ顔怖い!なんかめっちゃ機嫌悪い!)」
おわり。
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