天才


「影山君、調理実習、私たちと組まない?」
 影山は、ああ、と愛想のない返事をした。そして、その視線を私の隣に立つ名字に動かした。
 友達の名字が影山に勉強を教える始めて二週間が経った。成績優秀、得意の数学に関しては教師を凌ぐ天才的センスを持った友人は、基礎の基礎すら危うい影山に一所懸命数学を教えていた。しかし、天才には凡人の気持ちはわからない。影山は名字の言っていることがわからないし、名字の方は影山がなぜ理解できないかがわからない。影山は女子にかけるにしては乱暴な言葉で文句を言ったが、自分の言葉が通じないことなど当たり前の名字は全く気にしない。彼女のその態度が影山の姿勢に拍車をかけていた。
 影山本人は少し不快そうな顔をしているだけだと思っているのだろうが、元々の目付きが悪いせいで誰が見ても名字を睨み付けるようにしか見えない。そんな影山を見つつ、彼も天才ではあるんだろうけど、と見たこともない光景を、知識だけから勝手に想像する。
「料理できないだろ」
「そうかな」
 女性に失礼な言い方に対して、名字は無表情だ。男にしろ、女にしろ、みんな意味もなくニコニコと笑う馬鹿な女を好む。愛想の欠片もない素直で怜俐極まりない友人は、その逆をいく。生意気な女の不機嫌な顔にしか見えない。しかし、私は彼女が上手い別解を見つけた時のように、上機嫌であることがわかる。名字とて隠しているわけではないのだ。そうは見えないだけで。名字はいつもよりも少し柔らかい無表情を浮かべていた。
 私は調理をしていないことを、埃をかぶった皿を洗って誤魔化しながら、調理を始めた二人を見ていた。
「玉ねぎ切り終わった?」
「まだに決まってるだろ。お前の方こそ、ジャガイモ」
 玉ねぎと悪戦苦闘していた影山が顔を上げ、声を荒らげた。影山は一所懸命切っていたがゆえについ声を荒らげてしまっただけだったようだが、近くの班の何人かの注目を集めてしまう。これ以上の言葉を吐かれても気にしない名字だが、少しだけ周囲を見渡すように視線を動かしていた。ツンとした玉ねぎの臭いがした。
 影山が玉ねぎを切っている間、名字は、米の準備を済ませ、鍋を火にかけていた。鍋の中にはジャガイモが入っているのだろう。
「手が空いたから手伝うよ」
 影山は真面目だ。努力したのだろう。しかし、影山の前にある玉ねぎは、みじん切りには到底見えない。粗いだけではなく、大きさもまちまちだ。影山も自覚があるらしく、大人しく名字に場所を譲った。手持ちぶさたになった影山は、火にかけられた鍋の方へ向かう。
「おい、ジャガイモの皮くらい剥けよ」
 名字は顔をあげず、とんとんとまな板を叩いている。
「剥かない方がホクホクしていて美味しいと思うけど」
 名字は玉ねぎを切り終わると、影山の横に立った。そして、鍋の炎をやや弱くする。
「沸騰していないぞ」
「皮つきジャガイモはじわじわ茹でた方が美味しいよ」
 愛想笑いさえもせずに淡々と返す。苛立ちもなく無感情に聞こえる。
「名字、米が鍋に」
「炊飯器が足りなかったから鍋で炊こうと思って」
 名字は、やはり淡々と返しながら、水を吸った米を入れた鍋を火にかけた。
「お前……」
 名字は、ほとんど一人でコロッケを形にして、からりと揚げる。揚げたコロッケをキッチンペーパーの上に並べる。キッチンペーパーを取りに行く仕事だけはちゃんとこなした影山は、何か言いたげに名字を睨んだ。
「不機嫌にならないでよ。別に何も思ってない」
 名字は火を止めるとそう言った。名字は本当に何も考えていない。彼女は料理が好きで上手いがゆえに、できるできないに拘らない。
「何も思っていねーよ」
 影山は声を荒らげた。人が見れば、不穏な雰囲気が二人の間に漂っているように思えなくもないのだろう。しかし、私は特に何かを思うこともなく、コロッケの香ばしい匂いを吸いながら、早くコロッケが食べたいなあなどと考えていた。
 一々声を荒らげる影山に対し、名字はそう、とだけ返した。
「影山君、名字は料理が上手いでしょ」
 お菓子を作ってくるような性格をしていないゆえに知られていないだけで、名字は料理が上手い。この愛想の悪い友人唯一の男受けの良いところだ。影山は、上手いかどうかは食ってみないとわからない、などと愛想のないことを抜かしていたが、名字は淡々とそうだね、と返すだけだった。
 私はコロッケを皿に盛り付けた。
「俺にも食べていい?」
 私は盛り付けているだけだが、そんなことはどうでも良いのだろう。クラスの中でもお調子者の男子のグループが私たちのテーブルに近づいてきた。
 影山は名字の隣で鍋を洗っていた。
「なんであいつらここに来るんだ」
 影山の、おそらく嫌味でも牽制でも何でもないただの何も考えていない馬鹿な質問に、名字はさあ、と首をかしげる。名字はペットボトルに油を流し込みながら、顔をしかめた男子生徒の一人を見た。そして、僅かにその表情を暗くした。
 男受けの良い私とつるんでいるだけで、影山は同性の友人が作りにくくなっている。本人はそのことに気がついていないだろうが。
 影山のような同性を小馬鹿にしない真面目な性格は、本来なら同性の友人が作りやすいはずである。影山にとってもそれが幸せだろうが、私は影山の幸せはどうでも良い。ただ、名字が気にしている。それは嫌だった。
「名字、すっげーうまいな。本当に料理できるんだな」
 空気を変えたのは影山だった。一人、私の盛り付けたばかりの皿を目の前に、バリバリと豪快にコロッケを食している。
「あんまり大きな声を出さないで」
 名字は声のトーンを抑えて、影山に囁いた。
 名字は私よりも容姿が劣るだけで、別に不細工ではない。彼女の卓越した頭脳と併せて、その料理の上手さに対する感想は、感嘆の声として表現される。男も女もざわついて、わざわざ私たちのテーブルまでやってくる。
 教室にはコロッケの匂いが充満していた。私は体の中に入ったそれを吐き出すように小さく咳をした。周囲の人だかりを見ながら、軽く目を瞑る。
 純粋な驚きや感嘆だけではない。教師に気に入られるその成績だけではなく、料理も得意な私の友人に対する僻みを胸に抱いている者もいる。それならば黙って座っていれば良いものの、僻みを認めず表面だけの感嘆し、内心は小馬鹿にすることを我慢できないのだ。私は彼らを馬鹿にはできない。何故なら人には少なからずそのような側面があるからただ。それらが全くない者の方が少ない。
「天才って言われたくない」
 一人は悪意を感じ、居心地悪そうにする私の親友だ。
「わけわかんねえ」
 もう一人は、口を歪めながら名字を横目で見ている影山飛雄だ。
 影山はきっと小難しい解法と同じようなものだと思ったのだろう。影山は名字が天才であることを理解はしていないだろうし、頭が良いかどうか分かっているかさえ危うい。ただ訳のわからない変なやつ、それが影山にとっての名字だ。影山は悪意に鈍く、また悪意を持たない。悪意に晒されることが多いのに関わらず、悪意から遠いところにいる。私のように、悪意を向けられるのは美人だから仕方がないと思うような、そんな性格の悪さで乗りきっているわけではない。ただ、名字のように、悪意を感じ、それに敏感に反応する人並みの繊細さと純粋さで苦しんでいるわけではない。
 ただ、こいつはどうしようもなく鈍いのだ。
 ほとんど表情が変わらない、そんな名字が嬉しそうに笑い、そう、と答えた。こいつの底抜けの頭の悪さと鈍さに、私の賢くて純粋で綺麗な友人は救われているのだ。
「影山君も王様って言われたくないでしょ」
 菅原さんに聞いた、唯一彼が悪意を感じた言葉を例に出す。菅原さんに聞いたから、私は知っている。
「同じことなのか」
 影山は私ではなく名字に尋ねる。いつもそうだ。名字の言葉が分かりにくいことなど誰よりもよく知っているだろうに、影山は名字に質問をする。私の真面目で不器用な二人の友人たちは気づいていないだろうが。
 名字はいつも真面目だ。きっと影山もそれに気づいている。私が影山の過去を知っていることに疑問を感じないくらいには馬鹿だから、それに気づいていることに気づけないだろうが。
「多分同じことだよ」
 何も知らないはずの名字が私の代わりに答えた。天才が何を考えているかはわからないが、きっと天才ゆえに、知らなくてもわかるのだろう。平凡な人間が向ける悪意を知らないのに関わらず、わかることと同じように。
 私はコロッケを口に含む。からりとした薄い衣、ほくほくとした甘いジャガイモ、程よくきいた胡椒。うちの班のコロッケは、きっとこのクラスのどの班のコロッケよりも美味しいだろう。




素敵な企画美しく息をするに参加させていただきました。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -