構わねぇから離れろ変態


「なぁ、燐。俺さぁ、本当の名前は名前じゃないんだ。本名ってな」
 そう言うと、燐は目を丸くした。
「でも、あいつは名前って呼んでるだろ?」
 そう、メフィストは私のことを名前と呼ぶ。
「名前はあいつがつけた名前。本名は俺の親がつけた名前」
 あいつに感謝していないわけではない。名誉騎士の称号を持つ悪魔は何の不自由もない生活を送らせてくれた。親を亡くして泣いていた私を見捨てなかった。
 ただ、名前も顔も知らない親が唯一残してくれた名前は、私にとって特別な意味を持っているだけだ。


 どこから帰ってきたのか奴は正装していた。
「俺も祓魔師になりたい」
 そう切り出すと、案の定奴は嗤った。
「無理ですよ。悪魔が見えないのですから」
 そんなこと分かってる。私を誰だと思っているのだろう。祓魔塾の塾長の養女だ。
「燐がそれを見えるようにしてくれるってさ。奥村先生にお願いしてくれるらしい」
 奥村先生とはそれ程仲良くはないが、燐が奥村先生と仲が良いことは知っている。少し見ただけで分かった。あの二人は仲が良い。
 奴は私のすることにそれ程興味を持たない。
「どのように、ですか?」
 奴がそう尋ねた時、私はひやりとした。奴が私のなすことに興味を持つのは初めてだった。
「さぁ? 知らねぇよ。むしろ、てめぇの方が」
 バランスを崩して背後の壁にぶつかる。何をされるのかは分からなかった。しかし、身を守ろうとそのまま反射的に離れようとするが背後は壁。いつの間にか壁に縫い止められていた。
「おいっ、メフィスト……」
 頭一つ分違う身長。悪魔と人間。逃れられないことは分かったが、意図が全く読めなかった。
「悪魔を見ることのできる方法を教えて差し上げましょう」
 愉しそうな笑顔は酷く冷たい。明らかに人間のものではない眼に私を映し、口元を歪めて嗤っている。冷たい笑顔はいつものことだ。悪魔の眼もいつものことだ。
 しかし、これ程までに恐ろしいとは普段は感じない。
 いや、違う。忘れているだけだ。この恐怖は知っている。
「構わねぇから離れろ変態」
 押しつけられた手首を退かそうとするが、少したりとも動かない。
「悪魔から受ける傷や病、つまり魔障を受けることですよ」
 そこで漸く、私は奴の意図が掴めた。
「本名」
「その名前で呼ぶな、変態野郎。気持ち悪いっつったのはてめぇだろ」
 長い間呼ばれていなかった名前を呼ばれ、何かが動いた。
「気持ち悪いなどとは一言も言っていませんよ☆ 吐き気がするほど似合わないとは言いましたが」
「てめぇ、怒ってるだろ」
 怒ってなどいないことは知っていた。奴は、メフィスト・フェレスは怒らない。ただ、奴のこの感情を表現する言葉が見当たらない。だから、手っ取り早い言葉をつけただけだ。
「私は怒りませんよ」
 そうやって口元を歪めて笑う奴は怖かった。何を考えているのか、何を思っているのかが全く分からない。ただ、奴がこんな感情を見せたのはこれが初めてであることだけは分かった。それは恐怖だけではなく興味ををわき出たせた。
 しかし、恐怖はすぐにそれをかき消す。
「祓魔師になるのでしょう?」
 犯されることはないことは分かっていた。こいつは憑依した悪魔で私は人間の女だ。
「さくっと諦めて襲われてください☆」
 ふざけたような余裕めいた笑顔は慣れていた。ただ、直視できないような冷たい目が酷く恐ろしかった。
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