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 白と赤の混じった縁起の良い髪の綺麗なお嬢さんだった。たくさんの金魚草から生まれた奇跡の神様。神様が生まれるのは奇跡だ。犬にも猿にも猫にも神様がいるように、金魚草に神様が生まれるのは決して不自然なことではない。ただ、それは奇跡なのだ。
 桃太郎君は、僕に彼女を預けて芝刈りに行ってしまった。勿論、出て行く前に妙に念押しされた。流石に僕もその気のない子に手を出すようなことはしないのに。
「鬼灯様がどのように仰るかは不安ですが」
 金魚草の女神様は、人の体になれたことをとても幸せに思っているようだった。ただ、それも控えめに喜んでいた。理由を尋ねれば、あいつの名前が出てきた。
「あいつのことなんて気にしなくて良いよ」
 そういうと、そうですか、ありがとうございます、とありきたりな返事が返ってくる。そんな言葉は女の子に何度も言われてきたが、つん、ととげのようなものが喉に引っかかることはあまりない。おとなしく椅子に座り、鍋の番をしている僕を眺めている彼女を見て、僕はすぐに悟った。
 口内で先ほど味を見たせいで口に含んだ苦味がじわりとよみがえった。その苦味を消すように、僕は口角をあげたまま口を開いた。
「僕ね」
 鈍い光をもったまんまるな黒い眼が僕の方を見た。
「素直な女の子が好きなの」
 黒い目がすっと細められる。
「鬼灯様は素直じゃないですか。あれほど素直な方もそういないと思いますけど」
 その言葉に、僕は僅かに眉を動かす。思った通りだ、と。
 物理的な世界を見たことはないため、彼女は目を輝かせるが、所詮神様。感覚的な知識は膨大だ。
「あいつは男だから嫌い。可愛くないのも嫌い」
 ただ鬼灯は所詮元人間。僕の鬼灯に対する嫌悪感は、僕自身に根ざしていない、表面的なものだ。ただ、彼女は違う。
「そうですか」
「君は理性で生きている。そして、理性的に生きたいと思っている。どうも昔の自分を見ているようでねえ」
「そうですか」
 金魚草の女神様は淡々と返してくる。眼の色が暗くなっていくのがわかる。
「わかっちゃった?」
 にっこり笑ってそう尋ねると、金魚草の女神様はゆっくりと首をかしげた。
「さあ、なんのことでしょう」
 金魚草の女神様はふわりと微笑んで見せる。
 僕はお利口さんは嫌いだ。感情を押し込めて、理性で感情を制して生きることを良い生き方だと信じて疑わない人間が。彼女は人にそれを強制しないだろうから、多くの人は気にならないだろう。ただ、僕は鼻につく。なぜかって、それは僕とよく似ているからだ。
 必要のない鎖を自分で巻いている。見える人には見える。金魚草だから、神様だからと。そうやって、不必要に自分を縛りつける。
「ねぇ、お茶飲む?」
 そう尋ねると、口だけで笑って見せた。あの煌々としていた双眸は、妙に冷めた色をしていた。ああ、信用されていないな、と思うと、少しだけ愉快だった。
両手を組み合わせた。祈りのためではなく感情を閉じ込めるために


 桃太郎君は、毎日僕に金魚草の女神様を預けて、芝刈りをしてくれている。金魚草の女神様は、僕と一緒にいて愉快になるはずもないのだが、きっと桃太郎君には何も言っていないのだろう、おとなしくやってくる。
 僕に話しかけられないように、何か他のことをしたり、漢方の質問をしたりすれば良いものの、金魚草の女神様は黙っている。
「ねぇ、ここで働かない」
 僕としては、働いてもらっても構わないのだが、僕が彼女を好ましく思っていないことを彼女もよくわかっている。嫌みな質問に対して、彼女は不快な表情ひとつせず、その穏やかな声に相応しい表情を浮かべて聞き返してきた。
「ここで、ですか?」
「可愛い女の子は大歓迎だよ」
 間髪いれずに答えると、金魚草の女神様はにっこりと笑って見せた。
「そうですか」
 面白くないなあ、と思いながら、鍋に次の材料を入れる。
「身の振り方は考えておいた方がよいよってことだよ」
 そう言って、親切ではない世話を焼いたことを僕は示した。それは僕としては全く意味のないことだが、話の落とし所としては機能した。
「君は神様なんだから、自由に決めないとね」
 そう続けると、そうですか、と例の面白くない返事が返ってきた。長く白い指を机に力なく置き、天井を見上げる横顔を見ながら、僕はため息をついた。髪を上にあげているせいだろうか、滑らかな弧を描く首筋に目が行く。
「君が神様じゃなければよかったのに」
 ぼそりと漏らしたそれは、本音だった。
「神様ではない私は、ただの金魚草です」
「それが困るんだよね」
 僕はため息をついた。いっそのこと、あの醜い金魚草のような顔をしていてくれたら良いのに、と。そんなことを思いながら鍋を見る。鍋はふつふつと煮立っていた。
「ただ、これでわかるね。あいつが君を気に入っていたのか、それとも物言う金魚草を気に入っていたのか」
「前者であると良いなあと思いますけど」
 それは希望ではなく、そうであることに対して自信があるような言い方だった。緩やかに口元に笑みを浮かべたその表情は間違いなく本物だった。そういうところで嫌いなんだよ、と心の中で毒づく。神様らしい、万能さ。
「どうだろうね」
 あいつの性格上、いきなり態度変えたり、邪険に扱うようなことはしないだろうし、責任を持って仕事を斡旋するだろう、と思うけど、と心の中でつけ加える。そして、僕は可愛げの欠片もない女神様を見やった。
「楽しみだねえ」
 いつか万能に飽きて僕のようになるのかどうか、と。こればかりは、きっと別の意味で取られているだろう、と僕は心の中でほくそ笑んだ。
誰かのためだと詠いながら、最後に帰結するのはいつだって己の欲望だ


 枯れた金魚草を鍋に入れた。彼女の方に眼をやると、ぼんやりとこちらを眺めていた。
「金魚草は薬に使うんだよ」
 意地の悪い言い方だと自分でも思ったが、この程度で堪えないことも分かっていたため、全く罪悪感はなかった。
「鬼灯様も、枯れた金魚草を集めていました。薬にするといって」
 予想通り、金魚草の女神様は淡々と返した。ただ、僕はその答えに、少しだけ目を丸くした。
「へぇー、あいつそんなこと言ったんだ」
 ただの金魚草として、甘やかしてばかりだと思っていたが、そうでもなかったらしい。
「そういえば、明日には迎えに来るんだったっけ」
 そう言ってみると、金魚草の女神様は穏やかな声で、はい、とだけ答えた。僕は少しだけ考えた。おそらく、そのようなことはないだろうとは思うが、何かがあれば、もう二度と会うことはないかもしれない。
「先輩として助言をあげるよ」
 ゆらりと僕は立ち上がり、金魚草の女神様に近づいた。金魚草の女神様は、少し冷めた目で僕を見ていた。自己防衛染みた冷めた目で。与えられた役割以上に自分を縛りつけるからこうなるのだ、と心の中で呟きながら、僕は顔を近づけ、まんまるの黒い双眸を覗き込んだ。一瞬だけ、眼が見開いたような気がした。
「神は孤独だが、孤独に甘んじるなよ」
 ひっと息を吸う音がした。同時に、あの黒い双眸が少しだけ揺れたような気がした。
「神様じゃなくても、これは言えるんだけどね」
 金魚草の女神様は俯いた。おや、と思っていると、すっと顔をあげた。
「心に」
 顔にかかっていた白と赤の混じる髪をその長い指でかきわける。
「留めておきます」
 黒い双眸が僕の目と合った。
「そうしなよ」
 ああ、ちょっと可愛くなったかなあ、と思いながら、同時に、それは相対的な問題だろう、と思い、本質的なところは何一つ変わっていないであろう金魚草の女神様を見下ろした。
希望なんて残らず消えてしまえばいい、僅かな期待にも一抹の未練にも、綺麗な思い出にすらならないように


 扉が開いた瞬間、視界が真っ暗になった。そして、激痛と衝撃が走った。
「何するんだ」
 犯人が誰かなんて確認するまでもなかった。僕は赤くぼやけた視界で、入口の法に顔を向け、力の限り怒鳴ってやった。しかし、あいつは僕の質問に答えもせずに、金魚草の女神様の方を見た。まさか、気付いたのか、と僕は思ったが、そうではないようだった。
「その方は? あなたの毒牙にかかった方ですか」
「違うっての……わからないの?」
 視界がはっきりとしてくる。神獣の回復力は人の非じゃない。勿論、痛いものは痛いが、この程度では人のように失明したり、命が危険に晒されたりすることはない。ただ、よろりと起き上がろうとしたとき、再び視界が真っ暗になり、激痛が走った。
「ちょっ……と……おま……え」
 頭に血が上る。金魚草の面倒を見てやったというのに、一体どういうことだ、と。
「鬼灯様、私です、金魚草です」
「あなたは本当に金魚草なのですか?」
 二人の会話が聞こえた。あいつの声は、淡々としていたが驚いていないことはないようだった。
「はい」
 その言葉に重ねるように言う。
「ただの金魚草じゃないよ。この娘は神様だ」
「どういうことですか」
 真赤っかの視界に黒い頭が映った。
「この娘はもとから喋っていただろ。最初から神様だったんだよ。ただ、人の姿をとれることを知らなかっただけ」
 喋れば喋るほど鉄の味が口内を占める。ああ、僕って良い奴。地獄が金払いの良いところでもなければ、こんなことはしないだろう。
 黒い頭のあの鬼神の表情は見えない。気にならないこともなかったが、他の目を駆使して見る気にはならなかった。すぐに使える第三の目は、既にあの鬼に潰されている。
「ああ、桃太郎さん、金魚草の面倒を見てくださり、ありがとうございました」
「無視か」
 鬼神は何事もなかったかのように桃太郎君に挨拶をした。視界が徐々にはっきりしてくる。
「さあ、帰りましょう」
 踵を返した鬼神の後を、金魚草の女神様の影が追っているのがぼんやりと見えた。まだ、鬼神はあの金魚草の女神様が上手く歩けないことを知らないようで、やや背の低く華奢な影がよろけているのが見えた。
「ありがとうございました、桃太郎様、白澤様」
 柔らかな声が響く。
「また、遊びに来なよ」
 桃太郎君が二人を追うのが見えた。
「いつでもおいで。そして、おまえは二度と来るな」
 僕はぼんやりと見える入口に向かって叫んだ。
泣いているようにあるいは憤るように、みっともなく震えていた右手を覚えてる


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