沈黙という甘え


 部活から帰ると、玄関の扉が開いたままになっていた。ぼんやりしたところがある兄と違って、俺は今晩何があるのかを覚えていた。
「母さん、何か持っていくものはある」
 玄関から入り、鞄を自室に投げ込み、台所にいるであろう母親に声をかける。怒られないようにするためには、このくらい動きが速い方がいいし、手伝わなければいけないことがわかっているなら、初めから手伝いを申し出た方がいい。
「おかえり、京治。テーブルにあるものを名前ちゃんのところに持っていって」
 テーブルの皿の上には、バーベキューで焼く野菜が綺麗に切られて置かれていた。最近は少なくなったが、うちは隣の名字家といっしょにバーベキューをすることが結構あった。今日は久しぶりのバーベキューの日だった。理由を付けて遅く帰ることも考えたが、最近は部活があまり遅くならない。今日だけ遅くなるのは不自然だった。大体、俺が食べる分まで食材を用意しているのだから、俺がいなくなれば迷惑になる。後を引く可能性もある。だから、俺は素直に参加することに決めていた。
 皿を抱えて隣の家に行くと、既にバーベキューコンロが庭に出ていた。幼馴染でクラスメートの名前がコンロの前で弟と一緒に新聞紙を詰めていた。名前は男物のティーシャツにジャージ姿だった。火ばさみを片手に、弟と一緒に火を起こしていた。四つ下の弟に火の起こし方を教えているらしい。
 俺の大学生の兄は、名前のお母さんとテーブルを用意していた。俺は名前のお母さんが既に拭いた場所に野菜を置き、軽く挨拶をした。そして、箱の中に入っていたジュースを並べ、紙コップを用意する。
「京治君こんなにテキパキ働いているのに、あんたたちまだ火を起こせないの」
 名前のお母さんが、名前の背に向かってそんなことを言った。名前は振り返る。
 目が合ったような気がした。
「新聞しけってるんだよ。炭も古いし、チャッカマンもあんまりよくつかないから、大変なんだよ」
 名前は怒ることもなく、文句を言うというよりも事実を淡々と言った。名前は母親と似ていない。名前の母親はすぐに小言を言うし、よく苛立つが、名前はどのようなときも冷静だった。普通は怒るであろうことに対しても怒らない。
 名前に低レベルな嫌がらせをしているグループに俺が入っていることも、名前は誰にも言うつもりはないようだった。俺に直接言う気もないらしい。それどころか、そもそもその嫌がらせに対して怒っているようには見えなかった。
 そういうどこか冷めたところに馬鹿にされているのではないかという不安を募らせ、嫌がらせを助長するのだが。
「新聞これしかないし、炭もチャッカマンもしばらく使っていないんだから仕方がないでしょう」
「わかってるから大丈夫」
 名前はあっさりと返すと、ぶつぶつと文句を言っている弟に向かって言った。
「すぐつくよ。ほら、燃え移ったみたい。これで大丈夫」
 名前の言葉で名前の弟は安心したようだった。一番苛立ってもいいであろう名前が弟を宥めるというのは奇妙な話だが、昔からよくあることだった。名前は弟に団扇を持たせて扇がせる。時折褒めているためか、弟は随分と気をよくしていた。
 俺は、トングと肉の入った皿を持ってコンロの方へ近づいた。火の様子を見ていた名前がすぐに俺に気づいたらしく、顔を上げた。
「ありがとう」
 トングを手に取り、皿を受け取りブロックの上に置く。トングで肉をとり、網の上に並べる。兄が持ってきた野菜も丁寧に並べていいく。
 名前は肉や野菜が焼けると人を呼び、トングで良い具合に焼けた肉や野菜を皿の上にのせていった。肉や野菜を焼きながら、自分もしっかり食べているようだった。
「名前ちゃん食べてる」
「食べてますよ。美味しいそうなやつを」
 兄が名前の隣まで行って尋ねた。俺も兄の隣に立った。名前の弟は名前の隣にいた。
「名前ちゃん、京治とは違うクラスなの」
 兄が尋ねた。学校の話をしないわけではないが、クラスの話はほとんどしない。だから、兄が知らないことには驚かなかった。
「同じクラス。でも、あんまりしゃべらないかな。一緒にいる人が違うとあまり話さないから」
「京治、無愛想だからな」
 兄が俺に笑いかける。俺は黙って肉を口の中に入れた。すると、名前が俺の代わりとでもいうように言った。
「高校ではそうでもないと思う。学校では私の方が喋らないから。京治君、部活も頑張っているから知り合いとか友達が多いけど、私は交友関係も狭い」
「なんで」
 そう言いかけて、俺は慌てて口をつぐむ。俺の声が小さすぎたのか、俺の呟きには誰も気付いていないようで、俺はそっと胸を撫で下ろした。
 なんでそれを知っている、と言いかけていた言葉を胸の中で反芻する。
 名前にとっては、幼馴染みの俺とクラスメートの俺は同じなのかもしれない。ただ、俺の中ではクラスメートの名前と、今、目の前にいる幼馴染みの名前は別の人間だった。
 クラスメートの女子とその弟と母親と、自分の家族が一緒にバーベキューをしているなんて、おかしな話だった。そして、家族ぐるみでバーベキューをする幼馴染みがクラスの女子というのも、ひどく奇妙な話だと思った。
「姉ちゃん、京治君と一緒のクラスなんだ。いいなぁ」
 名前の弟が無邪気に言った。名前の弟は昔から俺とよく遊んでいた。名前ともよく遊んだが、兄と名前と名前の弟と俺がいたとき、兄と名前がよく一緒にいて、俺は名前の弟とよく遊んでいた。
 ただ、この時ばかりは、何も知らない名前の弟に俺は少しばかり腹が立った。
「そうだね」
 名前は笑った。本当に笑っているかどうかはわからなかった。ただ、名前は昔からあまり嘘をつかなかった。よくわからない幼馴染だった。そして、それは今も変わらない。嫌いではなかった。好きでもなかった。あまり喋らない女子がクラスにいるのと同じように、幼馴染みは隣に住んでいた。
 ただ、この幼馴染みがクラスにいるかと思うと、消化に悪い肉野菜が喉に逆流するような気持ち悪さがした。
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