「好きだから」は何の根拠もない最大の理由


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 クルトナーガは憂鬱だった。三者懇談会自体は嫌ではなかった。成績や素行に問題があるわけではない。問題はその順番だった。父親の仕事の都合で、その日の最後から二番目で、時間通りに三者懇談ができる保証はない。むしろ、大幅に遅れていて、待たなくてはいけない可能性が高いのだ。それだけならばクルトナーガも構わない。ただ、その日の最後に懇談をする予定になっている人物、つまりクルトナーガの次の順番の人間が問題だった。クルトナーガはその人物が嫌いなわけではない。むしろ、好感を抱いていた。ただ、クルトナーガはその人物とほとんど話したことがなかった。
 しかし、関わりがないわけではない。話すべきことがないわけではない。
 クルトナーガが父親のデギンハンザーと共に、懇談予定の五分前に教室の前に行くと、丁度一組の親子が教室に入っていくところが見えた。そして、教室の前には二組の親子が待っていた。一人あたりの懇談の時間は十五分、少なくとも四十五分は待たないといけないのか、とクルトナーガは思った。
 クルトナーガはデギンハンザーと一緒に、教室の前に並べられた机に座った。デギンハンザーは先に座っていた二人の親子に挨拶をし、クルトナーガも丁寧に挨拶をした。二人のクラスメートは、デギンハンザーを見上げて、媚び諂うように笑顔を作った。クルトナーガはそれ程不快ではなかった。たとえ、その二人が自分をクラスで排斥する中心的なメンバーの中の二人だとしても、クルトナーガにとっては問題ではなかった。黙って座っているだけで良いのだ。
 ただ、何れにせよ、クルトナーガは彼女とは話をしないといけない。クルトナーガは自分にそう言い聞かせて、ただ黙って座っていた。
 足音が聞こえた。クルトナーガは顔を上げ、足音の方向を見た。すると、ぼさぼさの黒い髪の、人柄は悪くはなさそうだが町で会っても近づきたくないような体つきの良い男が歩いてきた。
「デギンハンザーじゃねぇか。息子か?」
 男はデギンハンザーを見るなりそう言った。
「ああ、そうだ、ティバーン。お前も子どもか?」
「いいや、妹だ。親の都合がつかなくてな。年が離れているから良いだろう」
 ティバーンと名乗る男をクルトナーガは見た。今日の懇談の最後は彼女であるため、彼は彼女の兄なのだろう、ということはクルトナーガにはすぐに分かった。似ているとはクルトナーガには思えなかったが。
 デギンハンザーと知り合いということについても、自分の父親の顔の広さについてクルトナーガは知っていたため、驚きはしなかった。ただ、椅子にも座らず、書道作品を眺める姿を見ながら、クルトナーガは掌に汗をかくのを感じた。
「これがあいつの書いたやつが? 破けているじゃないか」
 緩やかなカーブを描く女性らしい形の良い字の前で、ティバーンが立ち止まった。何も言わなくても構わない。クルトナーガはそう思った。しかし、彼はティバーンを見た。
 人の悪い人間にはとても思えなかった。そして、この場にいる彼の父親は、クルトナーガの性格を熟知しているため、本人が反省していない場合を除いては怒ることはしない。そもそも、クルトナーガは怒られることが怖くはなかった。
 彼女はいつでも時間きっかりにやってくる。彼女の懇談予定時間まで、まだしばらく時間がある。
「それは……」
 クルトナーガは、隣に座っていた首謀者の方に目もやらず、ただ「あったこと」を淡々と話した。自分が同級生の恐喝を止めたこと、いくら諭しても聞き入れず、恐喝を続けた相手にキレたこと、暴れ回ってしまったこと、それで恐れられしまい、関係のない人間にまで外れ者にされるようになってしまったこと。そして、最後に名前のことを話した。
「私、クルトナーガと同じ班が良いから」
 クルトナーガは、修学旅行の班決めで、一人でぼんやりと賑わうクラスメートを眺めていた。そんな時だった。クルトナーガにとってはたくさんいる女子の中の一人の声が聞こえてきたのは。
 クルトナーガは慌てて声の主を見た。ほとんど話したことはなかったが、クラスメートの声をクルトナーガは大体把握していた。声の主、名前は女子数人の輪の中にいた。その輪には、妙な沈黙が流れていた。
「名前が気を使う必要なんてないんだよ」
 その中の一人が諭すように言った。ざわざわ、と女子たちは話出し、異変に気付いた男子がお気に入りの女子から話を聞き、ざわめきが広がる。
 そして、次第にそれは不快な笑い声に変わっていった。クルトナーガはそっとしておいてほしかった。一人班でも構わなかった。クルトナーガも、周囲から馬鹿にされるようなことを言われて、何も思わないわけではない。それならば、無視されている方がずっと良かった。
 しかし、その笑い声は一瞬で消えさる。
「黙れ」
 クラスの中で、とりわけ目立つわけではない女子生徒だった名前。普段は高くも低くもなく大きくも小さくもない声の持ち主は、女性とは思えないほど低くそして教室のざわめきを押し潰すほどの大きさで言った。静かになった教室で、ぽつりぽつりと不快なざわめきが戻るまで、黒い双眸を鋭く細めて、ただ口角だけを上げたまま、名前はクラス中の人間を睨み続けた。



「なるほどな。お前がキレて、周囲から外れ者にされたところを、名前もキレて外れ者になったということか」
 ティバーンは顎に手を添え、いつものおどけたような声でそう言った。デギンハンザーは暫くして、彼らしい低い声で淡々と言った。
「似た者同士だな。お前たちが悪い」
「私には彼女が何故キレたのか理解ができなくて」
 すみません、どうすれば良いでしょう、とクルトナーガはティバーンに尋ねた。クルトナーガはティバーンが自分に腹を立ててるようには見えなかったが、それはティバーンの為人に由来するのであって、自分に否があることは変わらないと考えていた。そのため、ティバーンは自分の妹のためになすべきことをクルトナーガに教えてくれる、と彼はそう思っていた。
「簡単だと思うぞ。あいつはお前と違って何も考えていない。楽しんでこいよ、修学旅行」
 はあ、とクルトナーガが呆気にとられていると、かちゃかちゃと鍵の音が近づいてきた。
「おい、デギンハンザーの息子のことを気に入ったらしいな。良かったな、同じ班になれて」
 ティバーンの言葉に、クルトナーガは体を震わし、そして張本人の顔を見た。走って来たばかりの名前はティバーンを見て、そしてクルトナーガの父親であるデギンハンザーの顔を見て、そしてクルトナーガの方を向いた。そして、溢れる何かを押し殺すように唇を噛んだまま口角を上げ、目を細め、ゆっくりと頷いた。そして、ティバーンの方を向いて言ったのだ。
「兄さんも分かった?」
 ああ、とティバーンは答えた。隣でデギンハンザーが溜息をついたため、クルトナーガは慌てて父親の方に目をやった。しかし、デギンハンザーはその目を手で覆い、ただ口元を緩めていた。その向こうに座っていたはずの同級生とその親はいつの間にかいなくなっていた。
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