数学では語れぬ
数学の正答まであと一歩だ。
「考えてよ」
数値は出ているが、答えは出ていない。数値まで出ているのだから、答えまであと一歩だ。それだというのに、目の前の影山はシャープペンシルを置いてしまっている。
私の言葉に、影山は私を睨み付けると、シャープペンシルを手に取った。
何十秒が過ぎただろうか。
「これは、解答はあるのか」
「正解」
答えは、解なしだった。
最初は理由がないわけではなかった。私は影山に数学を教えることを先生に頼まれていた。そして、私の友人は影山と同じ中学を卒業していたからだ。ただ、今は惰性で理由なくよく行動をともにするせいで、その噂をされるのは、肯定はできなかったが理解はできた。
「影山、どっちが好きなんだろう」
それを聞くたびに、私はこの背の高い青年の視界にそれが入らないように願った。
「付き合ってほしい」
影山にそう言われたとき、ぐわんと頭の中が揺れるような感覚がした。同時にぐるぐると頭が回転を始めた。まるで、見たことのない数学の問題を目にしたときのようだった。ただ、私の中では答えは出ていた。だから、ただ頭は空回りするだけだった。
今週に入ってから、影山の様子がおかしいことは気づいていた。彼は私からわざと視線を逸らせたり、声を上擦らせながら喋っていた。
彼の変化は突然だった。だから、私はわかった。
「嘘はつかなくてよいよ、影山。誰に何を言われたのかはわからないけど」
誰かに言われたことに対して彼は戸惑っていることぐらい、私は何も考えずともわかった。考えることを放棄したのだろう。あの数学の問題と同じように。影山は、切れ長の目で私を見た。ここ数日、見ることのできなかった、好印象を抱かれにくい目だ。
私はその目をぼんやりと見た。
「正直よくわからねえ」
私は息を吐いた。足が地につくような感覚がした。彼は数学の解答にはたどり着かないくせに、それ以外の解答には簡単にたどり着ける。
「私もそう。私はそれでいいと思う」
そうだな、と影山は言い残し、部活があるのだろう、教室をあとにした。
何色とも言えない、茶けたグレーのような色のペンケース。私はお気に入りのペンケースを鞄の中のいつもと同じ場所に仕舞った。
鞄を背負いながら、今日はたまたま数学のない日だったなどと思いながら、私も教室をあとにした。