時間をとめる


 夕陽射し込むエントランスホールでポストを開けた。中には来年度の受験生向けの教材の資料が入っていた。時が経つのは早いなどと思いながら振り返る。
「ごめん、ごめん。今、退くから」
 背の高い同級生が立っていた。プレートに赤葦と書かれたポストは私の開けていたポストの上だ。私はダイヤルも回さずに横に避けるようにして退く。力んでいた肩の力が抜けていく。
 赤葦は一歩前に進み、ポストを開けた。ポストの中には私の手元にあるのと同じ資料が入っていた。
 赤葦はその資料を手に取り一瞥すると、封も開けずに封筒ごと資料を捻った。読みもしないんだなあ、と思いながら、赤葦が退いたポストの前に立つ。ダイヤルを動かしていると、背後から声が降ってきた。
「不快だろ」
「まあ、いい気分はしないけど」
 手元の資料について言っていることはわかった。
「あっという間だね」
 赤葦は黙りこんだ。その理由は理解できずとも、態度の理由はわかっていた。私は息を吸った。
 エレベーターの前まで歩いていき、エレベーターを待つ。
「その鞄、重そうだな」
 絞りだしたような言葉だった。
「今日は重いけど、いつもは軽いよ。荷物を軽くするためには、なんでもする」
 肩にかかる鞄はずっしりと重い。普段は置きっぱなしにしている教科の副教材も持って帰っているから仕方がない。
 間があいた。
「俺も」
 赤葦の荷物は、着替えしか入っていないとしか思えない、小さなエナメル鞄だけだ。
「無駄に物持っているやつ見ると苛々する」
 赤葦はぽつぽつと喋った。
 エレベーターが開いた。それからは何も喋らなかった。穏やかな夕陽が窓から射し込む。
 じゃあね、と背を向け、私は眩しさを感じさせない橙色のエレベーターをあとにした。
 翌朝は早く目が覚めた。普段は食事をともにしない父親と朝ご飯を食べて、一時間も早く家を出た。学校には、誰もいなかった。運動場や体育館の付近には人がいるかもしれないが、玄関には人気がなかった。
 私は息を吸う。秋の冷めた空気が体の中に入っていく。私はスリッパに履き替えると、己のものではない下駄箱を開けた。
 私は、昨晩書いたメモを下駄箱の中に入れた。
 その日は何もなく過ぎていった。体育の時間に妙に行きが切れたり、現代文の音読で何度か噛んだりしたが、気にはならなかった。授業が終わり、教室が空になると頭がぼんやりとした。私は教室で少しだけ勉強すると、荷物をまとめて学校をあとにした。
 マンションのエントランスホールは静かだった。エントランスホールのベンチに腰かけていると、小さな小学生だったこどもたちが中学校の制服を着て通りすぎていった。目を丸くして見ていたせいか、長い間座っているようには感じなかった。
 日が暮れかけた頃だった。
「断ったのか。落ち込んでいた」
 私は顔を上げた。
「断った」
 赤葦は無表情だ。
「あいつは悪くないと思うけど」
 私を責めるような言い方ではなかった。彼らしい、淡々とした口調だった。
 間はほとんどない。
 私は背後の硝子にだらしなくもたれかかった。赤みを帯びた明かりがきらきらしていた。
「不快」
 肯定ではない。ただ、疑問でもない。曖昧なそれが私の口から漏れた。赤葦が僅かに目を丸くした。
「本人には言っていないよな」
 赤葦はにやにやとした笑顔を浮かべ、淡々とはしているが、軽い口調で尋ねてきた。
「勿論。わかる人にしか言わない」
 いつの間にか、腕時計は八時をさしていた。ただ、マンションの中、あとはエレベーターに乗るだけだ。焦る必要はなかった。
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