嫉妬


 窓の隙間から、ぴゅーぴゅーと風の音がした。しかし、その音は人の声にかき消された。不快ではなかった。唇にリップクリームを塗りながら、隣を見やる。隣の席の及川徹君のまわりに二人の女子生徒がいた。いつもの二人だ、と思いながらリップクリームに蓋をする。
 及川君の隣の席になった初日だった。駅前のお茶の専門店で買ったティーバッグを浸したペットボトルを開ける。薄らとしたブラウンの液体を喉に流し込む。見た目の通り味は薄いらしい。どうやら、まだ飲み頃ではなさそうだった。
 私は、現代文の本文を流し読みしながら乱暴に下線を引っ張っていた。現代文の最初にはセンターの過去問を使った小テストがある。席替えの翌日、今回も簡単な問題だと思いながら、問題を解き終えてペンを置いた。時間になるまで本文を読む。DNAの二重螺旋構造を発見したワトソンとクリックに関するその文章は、読みやすくおもしろかった。隣の席の及川君と交換して採点した後、授業の終わりに小テストを提出した。チャイムの音と同時にふと隣を見やると、駅前のお茶の専門店のティーバッグを浮かべたペットボトルを及川君が飲んでいた。黄味の強い水色のお茶は、アイスティーにぴったりだと思った。
 数学の授業を聞く。シャーペンの走る音を背景に、教師の言葉に耳をすませ、黒板をじっと見る。シャープペンシルは動かさない。少しだけ視線を感じて隣を見ると、シャープペンシルを握る及川君と目が合った。席替えからは二日が過ぎていた。
 その日も現代文の小テストがあった。いつものようにさらさらと問題を解いて、及川君と交換をする。昨日よりも点数がよいなあなどと、どうでもよいことを考える。ふと視線を上げて本文を見ると、昨日はなかった下線が何本も引かれていた。
 翌日、及川君の席に一人の男子生徒がきた。及川君の友達だろう。
「及川、数学のノート見せろよ」
「お前、教科書の例題は板書しないんだな」
「どうせ教科書に載っているし、理解を優先させたいと思ってね」
 私は寝ているふりをするように目を瞑った。
 百舌鳥の囀りが聞こえた。どうやら、他の鳥の鳴き真似をしているらしい。
 ねえ、と及川君が声をかけてきた。私は目を開けた。及川君は人の良さそうなきれいな笑顔を浮かべていた。
 男子生徒はいつの間にかいなくなっていた。
「そのリップクリームはどこのメーカー?」
 まともに話しかけられたのは初めてだった。
「唇はどうしてもダメでね」
 きれいな形の唇を見てみると、ところどころカサカサしていた。
「これはね」
 メーカーと売っているドラッグストアを教える。このリップクリームは、どこでも売っているわけではないのだ。
「同じシリーズの、もうひとつのさっぱり気味のやつの方がよいかもしれないね」
 ふーん、ありがとう、と及川君はにこにこと笑う。そして、そのままの表情で続けた。
「ココロ、広いねえ」
 賢いとか、成績がよいとか、そんな言葉はよくいただいていた。ただ、この言葉は初めてで、身に覚えもなく、思わず表情が強張った。すると、及川君は唇を歪めるようにして笑った。見たことのない笑い方だった。
 身震いして目を逸らすと、窓が開いていた。冷たい風が流れ込んでいるらしい。私は何かを落ち着かせるように、及川君のそれよりも落ち着いた色の渋味のある紅茶のペットボトルを握った。
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