喪失


「ありがとう、愛してる」
 ありがとう「ございます」の「ございます」の代わりにいつからかつけるようになった、「愛してる」。乱発はよくない、ということをやんわりと友人に言われたこともある。
「愛している人にしか言ってないよ」
 友人たちも後輩も、愛しているのだから構わないだろうと思っていた。私の言葉を信じているかどうかはわからなかったが、それでもよかった。これは自己満足、感謝の気持ち、つまり、私にとっては「ありがとう」とほとんど変わらない言葉だった。
 放課後に勉強をしていたが、煮詰まったところで家に帰ることにした。友人とともに帰り支度をして、昇降口まで歩く。フロアにひとつしかないトイレに寄り、さのまま階段を降りて、一階を昇降口に向かって歩く。
 通りかかった保健室の前に人影があった。
「菅原、何してるの」
「後輩を待ってて」
 それが、隣のクラスの知り合いであることに気づくと、私は声をかけた。ジャージ姿の同期は、スマートフォンをいじっていたが、私が声をかけると顔をあげた。愛想よく目を少し丸くしてから朗らかに笑う。
 彼の後輩は部活の練習中に額にたん瘤を作ったらしい。病人もいるため保健室を追い出され、後輩が手当てされるのを待っているという。
「最近どう」
 質問に、気がかりなことを答える。
「いやあ、国語が全然だめでさあ」
「数学はできるんだろ、大丈夫」
 まだ部活をやっているのだろう、ジャージ姿の同期は明るく言ってくる。保健室のくもった空気がもれているのか、廊下は妙に暖かい。
「じゃあね。ありがとう、愛してる」
 菅原はにいと歯を出して笑った。
 菅原とは中学から一緒だった。淡い髪の愛嬌のあるクラスメートは、中学の頃から愚痴を言い合うよい友人だった。クラスが違うこともあるが、廊下ですれ違ったときに話したり、昇降口や駐輪場で話をしたりした。ほとんどは挨拶程度だったが、話し込むこともあった。
 菅原と別れて、昇降口にたどり着いた。友人の隣で靴を履く。
 ふと、友人が口を開いた。
「菅原くん、彼女いるでしょ」
 友人の言葉は咎めるような言い方ではなかった。ただ、知ってるの、くらいの軽い言い方だった。
 私は、グランドから流れてきた風で体が冷えるのを感じた。
「そっか」
 菅原に彼女がいることはなんとなく知っていた。ただ、勘違いをされるということを知った。それだけだった。
「知ってるよ」
 言い聞かせるように言った。友人の表情など目に入らない。
 靴に影が入った。
「忘れ物」
 振り返ると、先程まで話をしていた菅原がいた。菅原の手には私の傘があった。どうやら、立ち話をしていた時にどこかに立てかけて忘れてきてしまったらしい。
「ありがとう」
 菅原はにいと歯を出して笑った。
 肌寒いのは気のせいではないらしい。夏は終わりかけている。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -