井戸は笑う


 ヒワダタウンの任務は、ランス班で取りかかることになっていた。内容は、町中のヤドンを攫い、ヤドンの尻尾を切ることである。
 アスアは計画書を読みながら、溜息を吐いた。
「私は切断担当かぁ」
 ヤドンを攫ってくる仕事、野生のヤドンを捕まえる仕事、見張りの仕事など、仕事は他にもいくつかある。しかし、体重がヤドン以下であるアスアにできる仕事は限られている。
「でも、このぐらいの時期だったら、あの二人と一緒になってしまうだろうな」
 ヒワダタウンにはジムがある。二つ目のジムだ。当然、ヒビキとシルバーの二人はヒワダタウンを通過するだろう。
「バトルはいいけど、ロケット団として関わるのは嫌だな」
 アスアの脳裏に浮かぶのは、黒い髪の少年。彼は、町中のヤドンが攫われたと知れば、取り戻しにやって来るだろう。
「彼は優しいから」
 レッドと同じように、困った人を放っておけない。



 次々と井戸の中に放り込まれるヤドンの尻尾をナイフで切断していく。
「これって何に使うんですか?」
「金持ちの珍味です。高く売れるのです」
 少し離れたところで尻尾を切っているランス。やあん、と首を傾げるヤドンを相手に仕事をしている姿はとても滑稽に映った。
 ポケモン嫌いな効率主義の上司と、ピンク色のヤドン。それだけでも、アスアにとっては十分おもしろかった。
 その後、アスアはトイレに行こうと思い、井戸の外に出た。ふらふらとポケモンセンターの方向に歩いていると、ロケット団の下っ端に囲まれた少女が見えた。
「すみません、悪気はなかったんです」
 少女はマリルを連れていた。
「うえっ、このマリル、雑巾みたいな臭い……」
 マリルを盗もうとしたのか、尻尾を引っ張り上げた下っ端が顔をしかめる。下っ端は手を離し、ぼとりとマリルが地面に落とされた。
 見張りの仕事に戻るのか、下っ端たちは少女に何も言わずにその場を離れていく。下っ端たちが離れたのを確認してから、アスアはコトネに近付いた。
「大丈夫?」
 尻もちをついているコトネに手を差し出す。
「大丈夫です。ありがとうございます」
 マリルを抱きかかえ、コトネはにっこりと笑った。顔についた泥が痛々しい、とアスアは思った。マリルも怪我をしているようだった。
「一緒にポケモンセンターに行く? その子も怪我しているみたいだから」
 アスアはロケット団にいるため、同年代の女の子と接触することはほとんどない。うん、ありがとう、と頷くコトネとマリルと共にポケモンセンターに向かう。
「マリル可愛いね」
 真ん丸な青い体のポケモンを愛らしいと思うのはだれでも同じだ。
「うん、でも水を弾くから洗ってあげるのが大変で……」
 だから雑巾みたいな臭いになっちゃって、と困ったように言う。
「私のブラッキーなんて洗わせてもくれないよ。どうなっているんだか」
 二人で他愛のない話をして、別れ際に言う。
「コトネちゃんね。今、ヒワダタウンは物騒だよ。あんまりポケモンを出して歩かない方がいいかもしれない」
 暗くなった空を背景に、アスアはそう言って微笑んだ。


 アスアがいない間、ヤドンの井戸は急展開だった。森で団服に着替えて、井戸に向かう。見張りがいない、ということに気付いたアスアは、不審に思いながら井戸の中に入る。すると、井戸に入ったところに老人がいた。
「おじいちゃん、腰大丈夫?」
 腰をさすっている老人。アスアがそう尋ねると、老人はアスアを睨みつけた。
「ロケット団が……何を……」
 途切れ途切れの言葉から、相当痛いんだろうな、と思ったアスアは、三つのモンスターボールを投げる。
「クサイハナ、ブラッキー。クロバットの背におじいちゃんを一緒に乗せよう」
 ブラッキーとクサイハナと共に、クロバットに老人をそっと乗せ、アスア自身も乗る。そして、ブラッキーとクサイハナをボールに戻し、井戸を一気に上昇する。
「お前、何者や」
 老人はクロバットの上でそう尋ねたが、アスアは答えなかった。
 井戸から出て、町の入口に老人をクロバットから降ろすと、老人に言う。
「ロケット団だよ、おじいちゃん。私たちの組織は恐ろしいから、これからは近付かないでね」
 アスアはヤドンの井戸に急いで戻った。老人がいた場所を通りぬけ、深部に向かって走っていく。侵入者がいたようで、下っ端たちは瀕死のポケモンを持っていた。
 非常事態である。アスアも全速力で走っていた。しかし、足は途中で止まってしまった。岩とヤドンの狭間に倒れこむ。そして、笑い始めた。


「私は、ロケット団で最も冷酷だと言われた……」
 ランスがそこまで言った時、笑い声が響いた。井戸では声は反響する。当然、笑い声も反響する。
 ランスは、反響した笑い声に聞き覚えがあった上、それが無視できないぐらい増幅されていたため、台詞を止めた。
「ねぇ、レイキ。ついに聞いちゃったよ。二年、二年もかかった。生の、あの噂の、痛い台詞っ」
 さらには、声を潜めているのだろうが、井戸中に響き渡る。
「あのー……」
 自分以上に戸惑っている侵入者を無視して、声のしている方向へ向かう。連れてきた部下はそれ程多くはない。
「アスア、あなたは何をしているんですか!!」
 ヤドン紛れている少女の首根っこを掴むと、ゆっくりと顔をこちらに向ける。表情を真っ青にして、謝ることすらできないのだろう、凍りついている。
「あとでゆっくりと話を聞かせていただきます」
 そう言うと、黙って何度も頷いた。そして、顔色が僅かに変わる。こちらの真意を読みとったようだ。
 "あとで"ということは、今は話を聞かせてもらつもりはないということである。
「ランス様、私が代わりにバトルいたします」
「当然です」
 すたっと立ち上がり、モンスターボールを手に取る。普段の行いは兎も角、頭の良い部下だとランスは思った。


 ランスと名乗るロケット団幹部。ヒビキは、どこかで見たことがある、と思っていた。しかし、ランスが呼んだ名前でそれは確信に変わりかけた。それでも、そんなことはないと信じていた。
「こんにちは、ヒビキ。ありがちなセリフだけど、可能であればこんなところでは会いたくなかった」
 桃色の髪だったが、その顔もその声もその喋り方もヒビキの知っているアスアだった。ロケット団の団服を纏い、ランスの前に立つ。
「アスア、ロケット団なの?」
 そう尋ねると、アスアはそうだよ、と言って頷いた。
「何で? あんなにポケモンを大事にしていたのに!! ヤドンの尻尾を切って売るなんて……」
 詰め寄ろうとするが、それは叶わなかった。アスアの背後に立っているランスの、凍てつくような視線に晒されて、踏み留まる。ヒビキは一瞬その緑眼を見たが、直視し続けることはできなかった。
 そのため、ヒビキは自分が目を逸らした後、ランスが笑ったことには気づかなかった。
「まぁ、その辺は置いておいて」
 アスアの方は、すっと腰に手をやったかと思うと、握っているのはモンスターボール。出してきたのはクロバット。
「マグマラシっ、ひのこ」
 ヒビキは勝てるとは思っていない。ヒビキは、アスアが自分よりも遥かに強いポケモンを持っていることを知っていた。それでも、ヒビキはマグマラシに指示を出した。



「クロスポイズン」
 クロバットの素早さや癖を完璧に把握しているアスアは最も的確なタイミングで指示を出す。クロバットのスピードは、マグマラシよりも速い。マグマラシが指示を受けて、ひのこを口から出すよりも前に、クロスポイズンを仕掛ける。
 マグマラシとモココは、クロバットの攻撃が急所に当たり、一発で倒れる。三匹目のポケモンはウパー。キキョウシティの実家近くで見たことのあるポケモンで、見るからに水タイプなのだが、泥の中によくいるような印象を受けた。
「戻って、クロバット」
 地面が入っていたとすれば、クロバットでは無理がある。
「クサイハナ、メガトレイン」
 呆気なく倒れたウパーを確認してから、アスアはクサイハナをボールに戻した。
「そういうわけで、じゃあね、ヒビキ」
「アスア!」
 銃声が響いた。ヒビキの顔が恐怖で歪むのをアスアは見てしまった。銃弾が当たることはなかったが、ヒビキは怖かったのだろう。
 暗いヤドンの井戸、ロケット団、拳銃。恐怖を感じるのには十分な条件がそろっていた。
 そして、銃を使った人間は、パン、と手を叩いた。
「撤収しますよ。彼が戻って来るより前に」
「ランス様、銃の使用は……」
 ロケット団では禁止されています、と部下が続けるよりも先に、ランスは早口で言いきった。
「当てるつもりなどありませんよ。ただの脅しです。彼が混乱すればするほど、時間稼ぎになります」
 ランスは最初から撤収を想定していた。撤収を成功させるためには、ヒビキが応援を呼びにくい状態にしなければいけない。
 ヒビキの冷静さを失わせる。それには様々な攻め方があるが、ランスが使ったのは恐怖である。
「早く段ボールを纏めて!! 今日中にアジトに戻りますよ。日が暮れるまでにウバメの森を抜けますからね」
 ランスはまだ売っていないヤドンの尻尾を纏めさせる。ランス班の者たちは荷物を纏め始める。アスアはクサイハナをボールに戻し、それを手伝った。
「センターで回復はさせますか」
 ヒビキによって瀕死にされたポケモンを持った下っ端がランスに問う。
「話を聞いていなかったのですか? そのような時間はありません。ウバメの森のポケモンは、アスアに全てを追い払わせます」
 傍から聞いていたアスアは、私ですか、と思って呟く。
「クロバットで帰りたい……」
 大した仕事をしていないアスアだが、疲れてはいた。ヤドンの井戸を出て、ヒワダの裏山を通ってウバメの森に抜ける。その途中だった。
「アスア、現在ロケット団でゴルバットを持っている人間もクロバットを持っている人間も一人もいないということに、"書類上"なっていることはご存知ですか?」
 アスアの隣を歩いていたランスが、不意にそう言った。アスアはランスの言わんとしていることが分かり、顔色を変える。しかし、それだけでは止まらなかった。
 井戸の中で、ランスのことを笑っていたのも原因の一つかもしれない。
「報告義務を怠っていたということも当然処罰の対象ですが、報告義務を怠っていた原因についてもお尋ねしたいことがあります、二年前も今も、ゴルバットやクロバットを持っている者はいないということになっているのですよ」
 もし、アスアがランスを笑わなければ、絶対零度の視線に晒された挙句、二年前の事件のことを蒸し返されることはなかっただろう。頭の回転は無駄に良いアスアは、ランスの言っていることを理解してしまう。
 二年前、朝食の席でゴルバットにランスの髪の毛を引っ張らせた事件である。
 そして、今のアスアの顔は、この世のものを見ているとは思えないような顔である。その表情を見たクロバットが、歯を出して笑う。宙返りをして、馬鹿にしたように笑っているクロバット。
「クロバットもノリノリだったじゃん」
「認めましたね。それと、主犯があなたであることは間違いありませんよ」
 ランスは、アスアを容赦なく自爆に追い込む。アスアは言葉ではランスに勝てないことを思い知ることになった。
「明日の午前九時、私の執務室に来なさい。良いですね?」
 有無を言わせぬ口調と、細い青緑の双眸。口元は緩やかな笑みが浮かべられているが、救いにならないどころか、アスアにとっては恐ろしさを倍増させることにしかならなかった。
「二年は時効ですって……」


「アスアちゃん、何したの?」
 ポケモンを声をひそめて同室の女性がアスアに尋ねる。クロバットとクサイハナをボールから出し、とぼとぼと歩いているアスアは答えた。
「二年前の朝食の席で、ランス様の髪の毛をゴルバットに引っ張らせた」
「あれ、アスアちゃんだったの?」
「ランス様の髪、染めているのかウィッグなのか気になりまして。本人に直接訊くの嫌だったんだよね」
 だってあの性格じゃん、といって、アスアは溜息を吐く。
「直接訊けよ」
 あまりのアスアのボケ具合に、アスアとあまり喋ったことがない団員も割り込む。
「まぁ、明日頑張れよ。明日九時だぞ。遅刻するなよ」
 団員はニヤニヤと笑顔を浮かべ、アスアの肩をがしがし叩く。
「明日の朝、世界が滅亡すればいいのに」
 キッキッキと笑うクロバットの横で、アスアは夕焼け空に目をやりながら呟いた。
「ねぇ、明日、私がクロバットにクロスポイズン十発ぐらい食らって、ついでにクサイハナの痺れ粉で全身麻痺したら、許してくれるかな」
 アスアは何十年も前のことを語るかのような顔をしていた。遠い目というものである。
「どれだけ嫌なのよ」
 団員にくすくす笑われるが、アスアは相変わらずげっそりとしていた。


 アスアは帰り道に技マシンを拾ったものの、大した気分転換にはならなかった。


 ノックの音がした。ランスが時計を見ると、九時になっていた。
 どうぞ、と言うと、まるで今から断頭台に登ります、とでもいうような表情のアスアが、失礼します、と言って中に入ってきた。
「申告はまだしていませんね」
 念のために確認をする。すると、アスアの表情が緩む。脅かしたのはランスだが、一体何をされると思っていたのか、と思いながら指示を出す。
「隠しておいて下さい。特に、アポロには知られないようにお願いします」
「アポロ様と何かあるのでしょうか」
 間髪入れずにアスアは尋ねてくる。こういう頭のまわる、鋭いところがあるのだ。ただ、それを上手く隠せるほど大人ではない。
「幹部は仕事だけしていれば良いわけではありません」
「私では無理ですね」
「そもそもあなたはデスクワークができないでしょう」

 

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