焼け野原に咲く花


 アスアは談話コーナーでお茶を啜っていた。レイキはこのところ忙しいため一人だけだ。
「アスア、元気か?」
 その談話コーナーに、珍しい人間が現れる。
「おはようございます、ラムダ様」
 採用の時に、アスアがシャクの娘だということに気付き、それからも気にかけてくれていた幹部であるラムダ。
「遠出するんだって? ランスから聞いたぞ」
 コーヒーを持ったまま、アスアの隣に座る。
「ランスについて行って貰えよ。お前の実家、キキョウの外れだろ」
 何故知っているのだろう、とアスアは思ったが、それについては尋ねなかった。まさか、シャクと仲が良かったラムダとアテナの二人が、しつこくランスに尋ねて、自分のスケジュールを把握しているなど思ってもいない。
「ランス様は仕事があるのではないのでしょうか?」
 アスアがそう尋ねる。その心は、"ランスに来てほしくなかった"。そのぐらいのニュアンスならば、いつものラムダなら気付くはずである。しかし、ラムダはへらへらと笑いながら言った。
「今はアテナ班が忙しいが、ランス班はヒマなはずだ。キキョウの外れに行って帰って来るだけなら、一日で大丈夫だろ。ランスも一日ぐらいなら大丈夫だ。着いて行って貰えよ」
 ラムダは、一人で行きたがっていることを悟りながらも、ランスを連れていくことを勧めていた。アスアはそこまでは分かったが、理由が分からない。
「私はバトルには自信がありますから」
 とりあえず、できる限りの拒否をする。
「レイキを連れていきたくないんだろう」
 低い声で囁かれる。アスアは驚いたが、冷静に言った。
「一人で行きたいです」
「それならば尚更だ」
 それだけ言うと、アスアが口を開く間もなく、じゃあな、と去っていった。アスアは不安に思ったが、まさかランスが来るはずないだろう、と思っていた。
「自称冷酷だもんね」
 モンスターボールからナゾノクサを出し、そう言った。ブラッキーの入っているモンスターボールが震えた。



 しかし、アスアの予想は見事に裏切られることになる。出発の日の朝食後、一々部屋に戻るのが面倒だということで、旅支度をして、鞄を持ち私服のまま食堂で食事をとっていた。忙しいレイキに羨ましがられながら、食堂から出ようとした時、ふらりと影が現れた。
「もう準備ができたのですか?」
 現れたのは、私服に眼鏡のランスだった。いかにも、"今から外に出ます"といった格好である。
「まさか、ランス様が着いてきてくださるのですか?」
 恐る恐る尋ねると、ランスは僅かに表情を歪めた。
「ラムダに頼まれたのです」
 嫌々なんだろうな、それは当然だろう、こっちも嫌だけど、と思ったアスアは言った。
「構いませんよ。一人で行けますので。スリバチ山を抜けたらすぐじゃないですか」
 しかし、ランスはあっさり引き下がることはなかった。それどころか、ますます表情を歪める。
「折角頂いた休日にあなたを回収する仕事が入るよりも、最初から仕事だと思っていた方が遥かにマシです」
 アスアの普段の行いの、"良くも悪くもないけど悪い"ところが祟った。


 スリバチ山を越え、エンジュシティに着く。行き交う人々は、独特の香りを漂わせている。アスアは聳え立つ鈴の塔を見上げた。
 ランスは溜息を吐き、眼鏡を上げ、アスアに付き合った。その時だった。
「あっ、ブラッキー」
 アスアは自分の足元まで走ってきたポケモンを見つけ、座り込む。アスアは紅い瞳と美しい肢体のブラッキーの頭を撫ぜる。
「あら、どうしたんどす? ブラッキー」
 ブラッキーを追って美しい女性が歩いてきた。姿勢はよく、動きには品があった。ブラッキーを撫ぜていたアスアは、突然現れた美しい女性に気を取られる。
「うちはタマオどす。あんさんは?」
 美麗な着物を纏った舞妓は、ブラッキーを呼び寄せる。ブラッキーの動きも舞妓同様特有の品があった。アスアはそれに見惚れていたが、すぐに我に返る。
「私はアスアです。この子は耳が長くて可愛いですね」
 ブラッキーを見慣れていなければ分からない特徴に、舞妓は尋ねた。
「あんさんもブラッキー使いなんどす?」
「ちょっと意地っ張りなんですけど」
 アスアは、今日は機嫌が悪くて、とモンスターボールから出すことを渋る。
「あんさんのお兄さんか?」
 舞妓はアスアばかりを見ている背後の男に気付き、尋ねる。ランスはいつもの善良そうな微笑を浮かべた。
「アスア、彼女も忙しいでしょう。いつまでも引き止めておくのはお止しなさい」
 ランスはそう言って微笑を浮かべながら咎めたが、アスアはランスの真意を読みとり、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。



 キキョウシティまでの道中、アスアは一切喋らなかった。スリバチ山では、そこそこ会話があったのだが、気まずい沈黙が流れる。
「何を黙り込んでいるのですか? 別に怒っていませんよ。あなたの付き添いなのに、何故あなたの選択に口出しをしなくてはいけないのですか?」
 ランスが漸く口を開いた。アスアはランスの顔を見て、ランスの行ったことが本当だということを確信した。
「何故、ブラッキーを出さなかったのですか?」
 唐突にランスは尋ねた。アスアは、舞妓と会ったときのことを思い出した。
「私のブラッキーは意地っ張りなんです」
 そう答える。しかし、これだけでは自分の考えたことが伝わらないことも分かっていた。
「自分の主人よりも立派な主人と、自分よりも美しいブラッキーを見たら、どう思うでしょう。これに関しては、ブラッキーは何一つ悪いことをしていません。せめて、彼にいやな思いをさせないのが、私にできる唯一のことです」
 ブラッキーに良い食べ物を与えられないのも、ブラッシングをしてあげられないのも、自分が"立派"ではないのも、ブラッキーには何の責任もなく、全てアスアの責任である。


「ごめんね、ブラッキー。これが全てなんだ。いつも美味しい物を食べさせてあげられなくてごめんね」


「ここが私の家です」
 アルフの遺跡の隣にある森を背後に、ボロボロの長屋が立っていた。長屋には全く人気がなく、もう人が住まなくなって数年が経っていることがすぐに分かる様相だった。



 アスアは長屋の一つの扉の意味をなしていないような扉を開けた。家具はないものの、ゴミと布団が放置されており、誰かが住んでいたことはランスでもすぐに分かった。
 布団は粗末なものだったが。
 アスアは土足で入っていった。靴を脱いで入ることのできるような状態ではなかったので、当然だろうが、一切の躊躇いもなかった。
 ランスはアスアが入るのを確認すると、長屋の前に立っていた。キキョウシティの市街地から離れたその場所には、静かに風が通るだけである。人など滅多に来ないような場所だ。
 部屋は一室しかなかったし、物はほとんどなかった。そのため、さっさと出てくるだろう、とランスは高を括っていたが、アスアは全然出てこない。風の合間に、紙のすれる音だけがしていた。
 それ程文字を読むのが得意ではないアスアが、何故紙音を出していねのだろう、と疑問に思ったランスは、開けっ放しの扉から中を覗いた。
 散乱した黄ばんだ紙に囲まれて、アスアが一人座っていた。紙の一枚をただじっと見ている。
「読めないのですか?」
 ランスも容赦なく土足で入り込み、アスアの持っている紙を覗きこむ。
 そして、ランスは漸く、彼女が動けずにいる理由に気付くことになる。
 アスアが持っていたのは遺書だった。ジョウトの住民に宛てられた遺書。そこには、様々なことが書いてあった。

 夫の起こした事件の損害賠償にお金が足りないこと、犯罪者の妻である自分が買い物すらできないこと、娘に友達すらできないこと、身の安全のために娘を閉じ込めておかなくてはいけないこと、自分のパートナーを手放したこと、そして、心中をしようということが書かれていた。
 周囲に散らばっている遺書も同じような内容で、幼い娘を抱え、追い詰められた女性が毎日のように心中を考え、遺書を書いていたことを窺うことができた。
 そして、何よりも彼女を傷つけたであろう言葉があった。


『 毎日のようにロケット団の方々が、私たちの生活を支えてくれると、私たちを守ってくれると言ってくださいました。しかし、被害者の方々に満足に賠償金を払えない私たち家族に唯一できることは、ロケット団と縁を切ることだと思います。私は、ロケット団の幹部が来ても追い返し続けました。
 しかし、とても辛かったのです。差し伸べられた唯一の手と、誠意を持った態度に応えてしまうのではないか、と。そして、痩せた我が子をロケット団から守れるのか、私は不安だったのです。』


 泣いてはいなかったが、座り込む体に力はなかった。ボロボロの長屋の中に座りこむ唯一の生物。
「やることがないなら帰りますよ」
 そう言うと、顔を上げた。
「分かりました」
 アスアは立ちあがった。




 アスアはぼんやりと歩いていた。キキョウシティに住んでいたといっても、町に出たことはほとんどない。森の狭間から見えるマダツボミの塔を眺めていただけである。
「マダツボミの塔、登ったことがないんですよ」
 黙ってアスアについてきていたランスにそう言った。エンジュに向かう道路、背後には高く聳えるマダツボミの塔があった。
「登りたいのですか?」
 ランスが尋ねた。
「いつか、ブラッキーと登ってみたいと思っています」
 アスアの母親は、相方のスターミーと共に制覇した。マダツボミの塔という名の通り、マダツボミとは相性が悪かったが、アスアの母親は"攻撃される前に冷凍ビームよ。私のスターミーを抜けるポケモンなんていないわ"と言って笑っていた。
 そのスターミーも、手放さなくてはいけなかったのだが。
 アスアは手紙のことを思い出し、やりきれない気持ちになったが、それを振り払って尋ねる。
「ランス様、何故私を気にかけてくださるのですか?」
 まるで炎に包まれた野原のように、一面に広がる夕日。それを背後に、アスアは尋ねる。自分が戻って来ないとき、ランスはいつも迎えに来る。それどころか、今日一日キキョウシティまで付き合った。
 いくら上司でも、そこまで深入りはしない。
「何故でしょうね」
 ランスはそう言って鼻で笑っただけだった。
「ラムダに訊いたら教えてくれるのではないですか?」
 ランスは自分からは話す気がない、ということを明言したに等しい。アスアは強くは尋ねなかった。



 自分で直接関係のない幹部を捕まえて、ランスと自分のことを尋ねるなどということはなかなかできないとアスアは思っていたが、そうでもなかった。談話コーナーで座っていると、今日はどうだったのか、とラムダがやってきて尋ねる。ラムダはアテナも連れてきていた。
 アスアは曖昧に答えると、早速質問をした。
「ランスには尋ねたのか?」
 当然のことながら、ラムダはそのように尋ねた。
「ラムダ様にお尋ねしなさいと言われました」
 アスアが答えると、ラムダとアテナは顔を見合せて笑い始めた。
「教えてくれなかったのかしら? あのランスが?」
「自分で説明するのが嫌だったんだろうな。ああ、いいだろう、ランスが一番話されて困ることを話してやる」
 そう言って、二人はひとしきり笑いあった後、ラムダが妙に真剣な顔になる。
「シャクはランスの上司だった。シャクがランスを含めた部下を逃がし、自分が捕まったからだろうな」


「ランス、お前が殿を務められるか? あいつらを止められるか? その力があるのか? 相手はポケモントレーナー。ポケモンバトルのプロだ」


「私はそれ程までに父に似ているのですか?」
 アスアの中では、ランスはどちらかというと個人して見ないようなイメージがあった。恩義を感じて子に尽くす、という性格だとは思えなかった。
「バトルの腕はそっくりよ。賢いところは母親似かしら?」
 アテナが笑う。
「父は馬鹿だったのですか?」
 そう尋ねると、アテナとラムダはまた顔を見合わせて笑った。
「シャクは大馬鹿者だったわよ。サカキ様も呆れていたわ」


 自分から上司の部屋を尋ねるということは初めてだった。アスアはランスの執務室の扉をノックする。
 扉を開けた先には机に書類を並べ、赤ペンでチェックを入れているランスがいた。
「何か御用ですか?」
「ランス様、お時間いいですか?」
 手ぶらで、さらには呼び出しもしていない。そのことから、私的なことだろう、とランスは予想したのか、アスアに席を勧めた。
 アスアはソファーに座った。
「ランス様、父をご存知なんですね」
「ええ、知っていますよ」
 表情を微動たりさせず、ランスはそう答えた。
「父はどのような人だったんですか?」
「シャク様は困った方でした」
 まるで用意でもしていたかのように答える。
「それ、母も言っていました」
 アスアは笑った。すると、ランスは僅かに表情を歪めた。
「煙草をいつも吸っていましたね。私はそれが嫌だったので、煙草には手を出しませんでした。酒癖も悪かったです。あれを見て、決して飲みすぎることがないようにしようと思いました」
「反面教師だったんですね」
 バトルが強かった、というよりもそれは現実的で、いつも母親が言っていたようなことだった。つまり、シャクの近くにいる人物だけが知っていることである。
「ランス様は父がバトルが強かったから、ポケモンが嫌いなのですか?」
 そう尋ねると、ランスは不快そうに眼を細めた。
「いつ、私がポケモンが嫌いだといいましたか?」
 そう尋ねる。ランスがそのような顔で、そう言ってくれば、普通の人間ならば怯むだろう。しかし、アスアは強かった。
「違うんですか?」
 そう聞き返す。ランスは何も答えなかった。
 アスアは沈黙は肯定であると捉え、話を進める。
「書類整理などはできないので、せめてバトルでお役にたてればいいなと思います」
「最初からそのつもりですよ。あなたに書類を任せるよりも、私が処理した方が遥かに効率的です」
 決して笑うことはないのだが、大した用事でもないのに関わらず、お茶とお菓子を出し、それなりに持て成す。決して優しいわけではないのだが、それなりの良識を持っている。
 そして、何よりも頭が良い。下手なことをしない。自分の実力を弁えている。
「来年から活動を本格化させます。妨害者も出てくることでしょう。妨害者排除を徹底してください」
「努力いたします、ランス様」
 それは、アスアにとってとても魅力的だった。


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