命の価値


 ランスは、アスアにはなるべくウィッグをかぶったまま外に出るように言った。
「ピンクウィッグで任務ですよ、レイキさん」
「うわー、わたくしだったら絶対嫌ですねぇ、アスアさん」
 犯罪行為をするなら兎も角、一般の日雇い労働をピンクウィッグでやるのは、"私は変人です"と言っているようなものだ。
「ふざけるようなことじゃないんだけど」
「最初にふざけ始めたのはアスアだよなぁ」
 レイキの尤もな指摘をなかったことにして、アスアは話を変える。
「ねぇ、ランス様のあれってウィッグ?」
 ランスの髪の色は、鮮やかな黄緑色である。幹部は下っ端と違い、好きな髪色を選ぶことができる。一々元の髪色に戻したり、ありふれた色のウィッグをかぶらなくても、外に出ることができるのだ。そのため、ランスの髪はいつも黄緑色である。
「染めているんじゃないのか?」
 俺は長くいるけど、他の髪色見たことないからさ、とレイキは続ける。
「本人に訊いてみたら?」
 そして、冗談交じりでアスアにそう言った。すると、アスアは聞くのは嫌だなぁ、と呟いた後に言った。
「触ってみようか」
 聞くのは嫌なのに触るのは良いのかよ、とレイキはツッコミを入れたかったが、相手はアスアである。またまた冗談でも言っているな、と思って悪乗りする。
「それから、是非俺のいるところで頼む」

 レイキはアスアが本気でそう言っているとは思いもしなかった。

 アスアは腰からモンスターボールを外し、開閉スイッチを押した。
「ゴルバット……」
 こそこそとゴルバットに顔を近づけ、指示を出す。最初は口をあんぐり開けたままだったゴルバットが、口をすぼめ、目を細めて笑う。
「おい、本当にやるのかよ」
 迅速な動きに驚きながら、もう指摘を諦めたレイキは、溜息を吐く。
「まぁね、知りたいからさ」
 アスアは年相応の悪戯っ子の笑顔を浮かべた。



 食事は食堂で食べる。それは幹部だろうと下っ端だろうと同じ事である。アスアは成人男性と同じ量の食べ物をむしゃむしゃと食べていた。視線の先は、正面に見える入口である。
「何を指示したんだ?」
 声をひそめて尋ねるレイキに対し、秘密だよ、とアスアはにやりと笑って答える。
 その時だった。旋風が巻き起こり、一匹のゴルバットが飛び込んできた。ゴルバットは素早い動きで、ランスの近くまで飛んでいく。紫色が緑色に飛びつく。

 ゴルバットは、思いっきりランスの髪の毛を引っ張った。それも、誰が見ても心底楽しそうな顔で。

「おい、アスア、しっかりしろ」
 レイキは隣で笑いの渦にはまっているアスアに鋭い声で耳打ちする。しかし、それは長くは続かなかった。

 銃声が響いた。
 貫くのは砲弾。追い払えば良いだけなのだが、
 ランスは、間違いなく殺そうとしていた。

 アスアの表情が青ざめる。突然の猛襲に表情一つ崩さなかったランスには目もくれず、ただ窓の外へ消え去ったゴルバットを見ていた。しかし、青ざめていたのはアスアだけではなく、また、呆然としていた者も多数いたため、目立つことはなかった。
 アスアは開いた窓の外、レイキはそんなアスアの方ばかり見ていたため、気付きはしなかった。
 ぐるりと周囲を見渡したランスが、アスアの顔を見たときに目を細めたことなど。



 無表情のまま拳銃を仕舞うランスと、呆然とする空間。それを収めたのは……
「ランス、急に発砲しては、驚かれてしまいますよ」
 アポロだった。
「皆さん、今日は忙しいですから、確りと食べてくださいね。私の班は報告書の取り纏めがありますよ。アテナ班は実験データの提出日ですよね。ラムダ班はデータ解析の結果を提出、ランス班は個別任務です」
 ほらほら早く食べて、とでも言うようにしてその場を収める。慌てて朝食を再開した部下たちを見渡してから、アポロはランスの近くまで歩いて行った。
「拳銃を出す速さがいつもに比べて遅かった気がしますが、何か気がかりなとでも?」
「ありますよ。是非、あなたに伺いたいことが」



 朝食を素早く済ませたアスアは、食堂を早足で飛び出した。
「おい、アスア、どこに行くんだ」
 アスアは追いかけてくるレイキを振り返りもせず、早歩きを続ける。
「ゴルバットと待ち合わせ場所があるから」
 アスアが向かった先は、過去の書類が詰まっている倉庫である。地下深くにあるその倉庫は、誰でも出入りができるが、人が来ることは滅多にない。
 その辺りを確りと押さえている辺りが、アスアらしいというかなんというか、とレイキは思ったが、何も言わなかった。
 倉庫の前には、パタパタと元気よく羽ばたくゴルバットがいた。ゴルバットはアスアを見つけるなり、アスアの元へすぐに飛んでくる。
「大丈夫だった? ゴルバット」
 パタパタと翼で羽ばたくふりをしながら、さり気なくアスアの頬を叩いて遊ぶゴルバットの姿を見て、アスアは漸く笑顔になった。
「良かった……本当にお前は素早いね。うん、そして、そろそろ叩くのやめよう」
 ゴルバットの口をいーっと引っ張りながら、アスアは笑う。
「しかし、本当に地毛だったんだね。ということは、結構頻繁に染めているのかぁ」
 にやりと笑うアスアとゴルバットの笑顔といったらそっくりで、そこには反省の"は"の字もない。その笑顔に、流石のレイキも忠告する。
「お前、バレたら殺されるぞ」
 しかしアスアは明るく笑っただけだった。レイキが溜息を吐くと、アスアは少しだけ真面目な顔になった。
「ねぇ、レイキ。ロケット団ってさ、ポケモンが大好きって人はいないよね。でもさ、ポケモンが大嫌いって言う人も滅多にいない」
 アスアはいきなりそう言った。
 ロケット団は、ポケモンを使って金儲けをする。ポケモンに対して非道なことをするため、ポケモンが大好きだという人はほとんどいない。しかし、逆にポケモンが憎たらしくて仕方がない人や、大嫌いな人もいない。
「ランス様ってポケモン大嫌いだよね」
 だからこそ、それは"異常"に見える。
「ねぇ、ランス様が冷酷って言われているのは、ポケモンに対して容赦がないからじゃないの?」
 レイキは押し黙った。自他共に認める冷酷な男。しかし、彼は何を以って冷酷だと言われているのか。それは言っている本人も確りと認識していない。
 ランスは部下には優しい。下っ端に近い存在であり、慕われている。そう、彼は人間に対して非道なことはそれ程しない。しかし、ポケモンに対しては……

 既に答えは出ている。

「不思議な人だね。ポケモンが大嫌いという人は見たことがないからさ」
 アスアは笑っていた。



「ランス、お前はポケモンバトルが苦手な理由を知っているだろう」
 私は、いつまでたってもバトルが入りたての下っ端レベルだった。そんな私に、あの男はそう言ってきた。
「ええ、知っています」
 なるべく声を一定に保ちながらそう返すと、その男は珍しくやけに真剣な顔になった。
「それはどうにもならないことか?」
 そう尋ねてくる真面目な声と、私を見る真っ直ぐな目が不快で仕方がなかった。その原因は、あの男にあるのか私にあるのか、という問いの答えはすぐに出た。

 自分で認めることはできないが。

「好き嫌いは人間の感情です」
 冷たく答えたのに関わらず、あの男は、そうかとだけ言って笑った。何故、こう意味もなく笑うのだろう。理由を一生知ることができないことを分かっていながら、私はそう思ってしまう。




 その日のアスアの任務は雑用だった。人を襲ったポケモンを安楽死させる仕事。アスアは子どものため、表立って仕事はできない分、このような一般の人が見ないような仕事が回って来るのだ。
 アスアにとって、その仕事は決して心地よいものではなかったが、割り切ることはそう難しいことではなかった。
 過酷な状況で生きることを強いられたアスアは命に関してはシビアな考え方を持っている。毒の入った餌を食べさせ、死んだコラッタやポッポを黒いポリ袋に詰める。あとは焼却炉に持っていって、焼却するだけである。
 ピンクのウィッグを使うように言われたアスアだが、知り合いがいないと判断するなりウィッグをとり、元の黒髪のまま作業をしていた。黒髪を払い、火を付けた焼却炉の前でポリ袋から死体を出し、中に詰め込む。
「人を襲ったポケモンを安楽死させる仕事ねぇ」
 突然流れてきた声に、アスアは作業の手を止めて振り返る。
「レッドの奴が知ったら、悲しむだろーなぁ」
 淡い茶色の髪の少年。アスアはその少年に見覚えがあった。
「グリーンさん、何しているんですか? 暇なんですか?」
 アスアは苛立ちを隠さずにそう尋ねた。二年前に会った恩人のライバル。アスアは決して良い印象を持ってはいない。
「こういう現場にジムリーダーが視察に来るのは不思議なことじゃないだろう」
 アスアは、「へぇー、ジムリーダーになったんだー、お前がなぁ」という言葉を言いはしないものの表情いっぱいに出していた。
「アスアだっけ? レッドの奴のところの」
「全然連絡取ってないけどね」
 間髪入れずに返事をして、焼却炉の扉を閉める。白い煙の中、肉の焼ける臭いがした。
「仕事終わったら、少し話をしねぇか? 着いて来いよ」
 なぁ、と笑顔でアスアを誘うグリーン。しかし、白い煙を眺めるアスアは全く乗り気がしない。
「この後も予定がある。私は忙しい」
 アスアは冷たく言い放つ。アスアの言ったことは、嘘ではなかった。個人任務の後にはミーティングがある。しかし、相手は優秀な対人スキルを持つグリーン。
「苺のパフェを奢ってやるよ」
 ミーティングと苺のパフェ。その二つを天秤にかける間もなく、アスアは言う。
「行く。食べたい」
 眠いだけのミーティングと滅多に食べられない甘いパフェ。誰が何と言おうとも、アスアは甘い物が大好きな女の子なのだ。



 ランスはアポロの執務室にいた。
「あの娘は、シャク様の娘なのですか?」
 五年前、警察に逮捕されたロケット団幹部。サカキの盟友であり、誰よりもサカキに信頼されていた男。
「気付かないとは驚きでした。ラムダが一番に気付いて、彼女を採用したのです。彼女の写真を一番見たであろうあなたが気付かなかったというのが意外ですね」

 あの頃の写真は、父親と同じような何の陰もない無邪気な笑顔を浮かべていた。母に抱かれ、会えぬ父に向かって笑顔を向ける小さな子ども。彼女は普通の子どもと何ら変わりがなかった。

「あなたとシャク様は仲が悪かったと記憶していますが……」
 というよりもあなたが一方的にライバル視していたのですが、とランスは付け加えたかったが、理性がそれを制した。シャクの方は至って穏やかで、どちらかというと、アポロがシャクを妬んでいるといった構造だった。
「私のことは"アポロ"呼ばわりなのに、シャクのことは"シャク様"なんですね。悲しいですよ、ランス」
 薄らと笑みを浮かべて、アポロはそう言った。ランスは、その笑顔に嫌悪感を覚えた。シャクのことは勿論、アポロのこともランスは尊敬している。それが苛立ちを倍増させる。
「思ってもいないことを言って楽しいですか? あなたがシャク様を妬むのは構いませんよ。過去の人を引き摺って楽しいですか?」
 鋭いを通り越した声は冷たい。
「あなたこそ、未だにシャクの下っ端の気分なんですか? その黄緑色の髪、下っ端時代から変わっていませんね」
 ランスの髪の毛は、ただ染めているだけだった。解散前のロケット団の下っ端のときと変わらない。違うのは、髪の長さだけである。
「むしろ、何故態々色を変える必要があるのですか?」
 ランスは、口角が上がるのを感じた。



 両者睨みあいの続く中、扉が静かに開いた。
「ランス様、アスアが帰って来ないのですが、彼女の今日の担当はどこですか?」
 異様な空気の流れる執務室。ランスは表情を崩さぬまま、自分の部下に言った。
「私が探します。あなたがたは、ミーティングを始めなさい」
 退室時、アポロに何も言わずに、ランスは自室に向かった。まずは着替えなければいけない。



 ランスとアポロが睨みあい、そして険悪な雰囲気のまま別れていた頃。
「なぁ、アスア、お前のイーブイ何に進化したんだ?」
 洒落たカフェテリアの一角には少年と少女がいた。
「美味しい」
「ピンクのウィッグを何故かぶるんだ」
「この白いのなんだろう……」
「本題に入るぞ。ロケット団について、風の噂で流れてきたんだが……」
「うわぁー、アイスだ」
「話聞きやがれ!!」



「それで、お前は今何をしているんだ?」
「美味しかった」
 アスアとグリーンの間では、言葉のキャッチボールというのが行われない。アスアは苺パフェの余韻に浸っているだけだった。
「どこに行っていたのですか? 心配したのですよ」
 突然、背後から声がするまでは。
「あっ、えぇ!!」
 アスアの亡き母とブラッキー以外、誰もが聞いたことのないような驚きの声を出す。
 私服に伊達眼鏡をかけたランス。その顔には、穏やかな笑顔を張り付けられている。笑顔を浮かべているのではなく、張り付けているのだ。
「アスアがお世話になっています。私はアスアの親戚の者です」
 穏やかな、いかにも"作った"声で、ランスはグリーンに挨拶した。グリーンがレッドのライバルであり、ジムリーダーであることも当然知っているのだろうが、そのようなことは少しも見せない。
「あなたがどこにいるのか、町の方に聞いて回ったのですよ」
 "面倒見の良い親戚のお兄さん"という設定で喋っているのだろうか。その笑顔は、ランスに初対面の人であればそうでもないだろうが……
「はい、すみません」
 危機感知能力に長けたアスアにとっては、恐怖しか齎さないようなものだった。
「親戚に面倒見て貰ってんだったら、先に言えよ」
 なんだぁ、と軽く笑うグリーンの姿を、アスアは恨めしそうに見た。

 帰りたくない、とアスアが本気で思ったのは、ここだけの話である。


 あっさりランスに回収され、アスアは魂が抜けたような顔で歩いていた。
 ゴルバットを使ってランスを襲わせることは平気でするのに関わらず、このようなところで恐怖心を抱くのがアスアである。
「仕事は確りと終わらせたのでしょうね」
「終わらせました。そして、終わりかけた時に捕まりました」
 アスアは早口で即答する。
「何か仕事に不満でもありましたか?」
 夕焼けのせいなのか、いつもよりも幾分か暗いターコイズグリーン。それは細められていた。しかし、アスアは怯むことなく、むしろ、口元を綻ばせた。
 ランスがそれ程怒ってはいないのだと判断したのだ。そして、アスアのその判断は間違ってはいなかった。
「いいえ、ありません」
 突然変わった声音。普段のアスアの話し方だ。ランスは僅かに目を細め、アスアを見た。
「あなたには、このような仕事を任せることに問題はないということですね」
「全く問題はありません」
 アスアは十ニ歳だとは思えないほど、はっきりとした受け答えをした。恐れを知らないというよりも、落ち着いた口調だった。そして、アスアは続ける。
「ランス様、私は幼い頃、団員ではないものの、ロケット団にいました」
 ランスの歩く速さが僅かに落ちる。しかし、それにアスアが気付くことはなかった。
「命に関してはシビアな考え方を持っていると自負しております」
 ウィッグがずれ、漆黒の髪が夕焼け空に晒された。ふわりと笑むその姿は、とても十代の少女には見えなかった。




「シルバーだ。遊んでやってくれ」
 赤い髪をした男の子だった。サカキ様に友達になってやってくれ、と言われた。サカキ様の息子は、普通の男の子だった。

 ちょっとシャイなところはあったけど。

「シルバーっていう名前なんだ。格好良いね。私の名前はアスア。お父さんがサカキ様のお友達で、ロケット団幹部だったんだ。よろしくね、シルバー」


 

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