"世界"は焼け野原


 外部任務と言っても危険な物ではなく、コガネデパート改装の手伝いである。単なる資金集めと、コガネデパートについての情報収集を兼ねている。
 そのため、参加者はピンクのウィッグを外し、私服に着替える。元の黒髪に戻ったアスアは、アジトに残るレイキと共に、朝食を食べていた。
「痛い緑頭も参加するらしい」
 ご飯をもしゃもしゃ頬張りながら、アスアはレイキに言った。
「ランス様はこんな任務にもいつも参加しているよ」
 仕事熱心だからね、とフォローを入れるレイキ。アスアに痛い緑頭と言わせる切欠を作ったのがレイキなのだが、そこは華麗にスルーである。
「確かに、ポケモンリスト見たら、すごく下っ端っぽいなぁ」
 計画書を見ながら、アスアは呟いた。ズバットとドカース、しかも覚えている技も他の下っ端とほとんど変わらない。
「本人の前では絶対に言うなよ、アスア」
 本人の前で言うほど子どもではないことを分かっていながら、レイキは念のため注意する。しかし、アスアは全然聞いていないようで、自分のポケモンリストを探していた。
「あっ、私のポケモンズバットのままだ。ゴルバットになったのに……まあいいや。ランス様がズバットなのに、私がゴルバットでもねぇ」
 アスアは、自分のポケモンリストを指さしながらそう言った。
「もうゴルバットになったのかよ」
 一週間前にランスにズバットを貰った、と嬉々として話していた姿を思い出す。
「一週間仕事なかったから、その間プロレスごっこやっていたら進化した」
 ほら、と見せた腕は傷だらけだった。化膿しているところもある。じゅくじゅくとした傷は腕だけではなく、足にも広がっていて、見ているだけで痛くなるようなものだった。
「どれだけやってたんだよ!!」
 普通にじゃれあっていたぐらいでは進化するはずがない。相当真剣にやらなければ、レベルは上がらない。真剣にやった結果があの傷なのだ。そういえば、頭がクラクラする、とか言っていたのは、このせいだったのか、とレイキは思った。
「あいつもレベルアップしたけど、私もレベルアップした。あいつの動きとか癖とかは把握している。でも、あいつに私の動きとか癖も把握されている」
 アスアの真剣な横顔に、お前がレベルアップして何か得があるのか、とレイキは思ったが、相手はアスアである。



 仕事は、荷物運びが主体だった。
「おっと、嬢ちゃん、それ持てるかい? 重いよ」
「持てますよ」
 知らないおじさんの言葉を背に、ふいっと手を伸ばし、ひりひりする腕を無視して、荷物を運ぶ。アスアは見た目によらず力がある。何しろ、ズバットとプロレスごっこができるぐらいなのだから。
 その時にふと裾が捲れたからだろうか。傷だらけ腕が露わになる。
「その傷はどうしたんですか?」
 ふと聞いたことがあるような声が聞こえてきた。記憶力の良いアスアはその声の持ち主を瞬時に把握し、答える。
「ランス様にいただいたズバットとプロレスごっこをしていました」
 アスアの言葉に、ランスが引いたのは言うまでもない。しかし、ランスはそれを表情に出さなかった。
「人間にやられたわけではないのですね」
 冷静に尋ねる。
「ズバットとプロレスごっこです」
 では、この荷物を三階に運んできますので、と言ってアスアはエレベーターに乗った。



 決められた小部屋に荷物を置くと、男二人組が入ってきた。一人はアスアよりも年上の少年で、もう一人は大人だった。アスアは、さっさと部屋から出ようとしたが、それは叶わなかった。
「おい、お前、アスアじゃないか」
 少年がアスアの腕をぐいっと掴む。
「何でお前がこんなところにいるんだ!! ロケット団が!!」
 少年は乱暴に胸倉を掴み追及する。
「どういうことだ?」
 少女の腕を掴みロケット団だと決めつける少年に対し、男は戸惑っていた。
「こいつの親父はロケット団幹部なんだよ!! だから、こいつもロケット団だ」
 痛む腕を容赦なく掴まれ、振り下ろされる手。男の方も制止せず、ただその少年の行動を見守るだけ。
「ブアァーッ」
 打撃音と獣の鳴き声が響き、そして静かになった。



 アスアが戻って来ない。
 作業が終わりかけた時、そのことに気付いたランスは、アスアが持って行った類の荷物を持ち、三階に上がった。目的の部屋の扉を開くと、床に男が二人眠っていた。そして、その奥には、血の飛沫と呆然としたアスアと、ブラッキーがいた。
「何があったのですか?」
 こちらに向かって威嚇しているブラッキーを無視して、アスアに尋ねる。
 しかし、我に返ったアスアはランスの質問には答えなかった。
「ブラッキー、戻って!!」
 モンスターボールを翳し、ただ戻るように言う。
「ブラッキー!!」
 ランスの方を見て威嚇をしているブラッキーを羽交い締めにして、暴れるブラッキーを抱えたまま、ランスを見上げる。ランスは最初の質問以降無言で、アスアを見下ろす。
 だらだらと腕から血を流しながら、黙って見上げる表情に、恐怖はない。
「とりあえず、モップがあるので持ってきますよ」
 ランスは、自分の反応を探るかのような視線を避けるように、踵を返した。


「ごめんね、ごめん……」
 事情を最後まで聞いて、泣いてくれた。それは何の解決にもならなかったけど、とても嬉しかった。
「頑張ってきたんだね。ごめんね」
 私の生きる場所を奪った彼がくれたのは、希望だった。



「ブラッキー、大丈夫だから、ね?」


 戻ってきたランスがモップをかけている間に、アスアはランスが持ってきた包帯を腕にぐるぐると巻いていた。ブラッキーはボールに戻してある。ボールに戻るのを渋ったブラッキーだが、アスアとの取っ組み合いの末、ボールに戻ることを承諾した。
 さらに怪我が増えたのは言うまでもない。
「ランス様、ありがとうございました」
 包帯を巻き終え、丁度モップをかけ終わったランスに礼を言ったその時だった。
「やっぱり、お前はロケット団だな。ポケモン使って眠らせやがって……卑怯だ」
 少年が目を覚ました。その少年の声で男も起きた。
「言っているだろ! こいつの親父はロケット団幹部なんだよ!! だから、こいつもロケット団なんだよ!!」
 ランスは、ああ、なるほど、というような顔を一瞬だけ見せた。
「彼女はロケット団ではありませんよ」
 ロケット団幹部は、そうだと知っているアスアにとっては、白々しい笑顔で言った。
「アスア、行きましょう」
 温厚に"見える"ランスの笑顔に毒気を抜かれた少年は、呆然として黙り込む。アスアは何も言わずにランスの後を追い、退室した。



 父親が犯罪者。それだけで、妻も娘も職に就けないどころか、買い物すらできなくなる。テレビ取材を逃げ切って、最悪の条件で不法な労働をする。その程度のことは、ランスには容易に想像できた。
 母親がいないのも納得できた。病気で死んだのだろう。無償でポケモンー治すポケモンセンターはあるが、無償で人間を治す病院はないのだから。
 行く当てのなくなった娘も、ロケット団に入る。それしか道がなかったであろうことは容易に想像できた。
 そして、"逮捕されたロケット団幹部"というのには、ランスにも心当たりがあった。


「ランスはなんでもできるのに、バトルだけは下手だなぁ」
 その男は、いつもそればかり言っていた。その言葉を聞くのも嫌だったが、それ以上に鬱陶しいものもあった。
「娘ができたんだ。名前は……」
 娘自慢は嫌になるほど聞かされた。鬱陶しくて仕方がなかった。他に訊いてくれる人もいるだろうに、態々自分に話す。
「ほら、可愛いだろ、なっ、なっ……せめて見ろよ、写真」
 写真を近づけてきて、見ろよと迫る。面倒なので、見るだけ見ると、そこには黒い髪の幼児が写っていた。目の前の男と同様、何の含みもない無邪気な笑顔を浮かべている。
「あなたに似て、バトルしかできないような大人になるでしょうね」
 感情を抑えぬままにそう言うと、笑顔で返される。
「何不貞腐れているんだ」
「誰が不貞腐れているんですか!!」
 必死になって鋭い声を出したはずなのに、相手は全く堪えていない。
「お前しかいないだろう、ランス」
 大笑いされて腹立たしかったのに、嫌な思い出では無いのが不思議だった。




 しかし、ランスは何も言わない。
「すみません、真面目に働いていたのですが、腕が死にました」
 軽く切りだすアスアに、ランスはさらりと言う。
「馬鹿なことをしているからです」
 ランスがそう言うと、アスアはランスの顔を見上げた。
「ランス様はやったことないんですか?」
「必要ではない限りポケモンは使いません」
 何故無意味にポケモンを出すのか。プロレスごっこ云々以前に、ランスにはその理由が分からない。
「登録されていないポケモンを所持していたぐらいで、上に報告する気はありません」
 とりあえず、今日彼女が一番気にしているだろうことを言っておく。
「それはありがたいです。あいつを奪われたら途方にくれます」
 ブラッキーが珍しいから執着するのだろうか。ランスには一番にそれが思い浮かぶが、彼女の視線などから、自分と相容れないだろうことと分かっていた。

 彼女の父の考え方も、ランスは最後まで理解できなかったのだから。

「奪いたくなりますね」
 試すかのようににやりと笑って見せると、こちらの顔色を見上げ、窺ってからさらりと言う。
「前言撤回です」
 見た目によらずなかなか喋ることができる、と思いながら、気まぐれに尋ねる。
「あなたは、ポケモンバトルは得意ですか?」
「苦手だと思ったことはありません」
 その言葉の本当の意味を知るのは、暗いヤドンの井戸の底だった。



 ランスから離れ、アジトに帰る道でアスアは呟く。
「ランス様、ポケモン嫌いなんですかねぇ」
 十ニ歳の少女が、ランスとの僅かな会話で出した印象は、間違ってなどいなかった。



 任務は一日だけだったため、夕食はレイキと一緒にとることができた。
「痛かったか?」
 レイキは主語を飛ばしてアスアに尋ねる。
「痛いのは腕だけです。残念でした」
 未だに痛む包帯に包まれた腕をレイキに見せる。血が染み出る包帯は、グロテスクなものであるはずだったが、アスアにはそう映らなかった。
 怪我をして、包帯を巻ける。それは、当然の権利ではないのだから。


 

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