焼け残った世界


 ロケット団が解散してから一年が経った。しかし、ジョウト地方では一部の者が活動を始めていた。



 ロケット団の新入団員が少ない時があった。そういう時に限って、新入団員に問題がある。

 新入団員の二人は、談話コーナーでお茶を飲んでいた。
「アスアは誰の配属になった?」
 男が尋ねる。すると、隣に座っていた少女は答えた。
「私? あの痛いって言っていた人。緑頭の」
 男が噴き出す。小さな声で言え、と言いながら、大変だなぁと言って笑う。
「まぁ、でも実際に痛いところは見たことがないから、これからじっくりと観察していこうと思う。レイキが痛いって言ったんだから、期待はしておくよ」

 噂をすれば影がさす。やたら小さなシルエットと大人の男のシルエット、二つのシルエットを確認した"影"がいた。

 当然のことながら、新入団員が少ないため、"影"にとって、"シルエット"を探すことは容易だった。



 アスアは片づけないといけない書類資料のリストを見ながら、溜息を吐いた。
「会計報告って一番やりがいのない仕事じゃん」
 計算をしてから、コンピューターに数値を叩きこんでいく。難しい作業ではなかったが、コンピューターなど触ったことのなかった少女にとって、その仕事は酷なものだった。
 そもそも、アスアがランスの班に配属された理由が、事務仕事の少なさである。十二歳にコンピューター作業は辛いだろう、とのことで、実務の多い班にいるのだ。しかし、アスアに回ってくる仕事は事務仕事であり、それも会計報告であった。十二歳だからできない、という文句も言えない単純な作業である。
「まぁ、いいや。半分白紙で出してしまえば……」
 こんな小さな金集めの会計報告など、見るはずがない。そう思ったアスアは、にやりと笑った。


 十二歳に仕事をさせることは、合法ではない。しかし、裏の世界では、十歳未満にも仕事をさせているところもある。そのため、アスアはすんなりとロケット団に入団することができた。
 しかし、働けるからといって、それほど戦力にはならないのは事実である。つまり、それだけ団員が足りていないともいう側面もある。




 ランスはアスアに対し、意図的に会計を回していた。腹立たしかったかと問われれば、頷かざるを得ない。しかし、子ども相手ということで、まだ良心的な態度をとったつもりだった。回した会計の仕事も、ランスならば三十分あれば仕上げられる程度のものだった。その仕事に三日与えたのだから、良心的な対応といっても差支えはない。
 しかし、あくまでも、ランスがやれば三十分以内である。表計算ソフトの関数を知らず、足し算と引き算しかできないアスアにとっては、三日は短すぎた。
 しかし、そんなことをランスは知らない。想像すらしていない。そんなランスは会計報告を見て、僅かに口角を上げた。
 報告書の後半は、枠線だけの白紙。喧嘩を売っていると捉えられても仕方がない報告書である。これは流石に叱るべきかと思い、アスアを呼び出すことにした。



 アスアはすぐにやってきた。少女と言うよりは、女の子と言いたくなるような幼い体つきだった。間違いなく特注だと思われる団服を着ているが、それでもはっきりと子どもであることがわかる。しかし、十ニ歳と言われて納得できるような雰囲気はあった。十二歳にしては落ち着きがあり、それがまたその姿に対して違和感を齎した。
「これはどういうことか説明して貰えますか?」
 ランスは、子ども相手には意地悪な言い方だと思ったが、子ども扱いするのは良くない、と考えた。白紙の会計報告をちらつかせ、尋ねる。
「これを三日でやりきるのは不可能です。次から仕事を減らしてください」
 すみませんの一言もない。三十分でできることを三日もかけるなんて、どれだけ怠け者なんだ、と思ったからだろうか。ランスは、自分の言葉が鋭くなるのを感じた。
「打ち込んで、場合によっては掛けて、SUM使って足すだけではないですか。三十分あればできるでしょう」
 しかし、その鋭い口調が続くことはなかった。
「サム? 掛けるって何を掛けるんですか? コンピューターに掛けているカバーですか?」
 彼女の言葉のせいで。
 ランスは、この少女が自分の班に配属された理由を思い知った。
「あなたは掛け算と割り算を知らないのですか?」
 ランスは狼狽したが、それを悟られぬように意識的に冷静に尋ねた。
「な……名前は聞いたことがあります」
 ランスは、目を逸らすアスアの姿に、聞いたこと無いと判断した。決して間違った判断できはいだろう。
「では、この交通費は合計はどうやって出したのですか?」
 交通費の合計を出すには、一人分の交通費に、利用した団員の数を掛けなければいけない。その数は、しっかりと打ち込まれていた。
「千二百二十足す千二百二十足す、というのを四十三回繰り返しました。筆算を使ったのですが、繰り上がりが難しくて、なかなか計算が合いませんでした」
 ランスは頭が痛くなった。
「説明の紙は読みましたか?」
 ランスは、説明の紙の存在を思い出し、そう尋ねた。
 初めてのコンピューター作業者には、使い方の説明の紙が配布される。多くの者が、コンピューターに触れたことのないような者たちなのだ。彼らに分かるように、とても分かりやすく使い方が書いてある。
 それを読めば、掛け算が分からなくても、関数を使って合計が出せる。
「途中から漢字がたくさん出てきて読めなくなりました」
 ランスの記憶の中では、その紙には難しい漢字は使っていないはずである。
「読み書きは?」
 ランスは恐る恐る尋ねる。
「平仮名は完璧です」
 自信たっぷりに宣う少女に、ランスが呆れたのは言うまでもない。
 ランスは、どうしようかと考えた。コンピューターが使えず、漢字が読めないのは致命的だ。それは、"痛い人"と言われたことを忘れさせるほどの衝撃だった。
 そんな時、扉が勢いよく開いた。
「ランス、幹部会議だぞ」
 時計を見れば、幹部会議が既に始まっている時間だった。
「分かりました。今行きます」
 呼びに来たラムダにそう返事を返す。
「すぐ戻ってきますから、ここで待っていてくださいね」
 アスアにはそれだけ言うと、まとめていた資料を持って、会議室に急いだ。



 会議は、ランスが思っていたよりも長引いた。五時間ぶっ続けの会議。それも、かなり重要な話し合いだった。
 そのため、ランスもアスアのことはすっかり忘れていた。
 しかし、会議も終わりに近づいた頃、漸く思い出す。
「部下を忘れていました。一度戻っても良いですか? すぐ帰ってきますので」
 ランスは、会議の最中に、そう言った。
「どこ? ヤマブキシティ?」
 アテナが一昨日、ランスの行っていた町の名前を挙げる。
「執務室で待っているように言ったのですが、そのままでした」
「放っておけば良いだろ。しかし、そのようなことを言うなんて、珍しいな」
 ラムダがにやにやと笑う。ランスは、その笑顔から、ラムダの想像を察したため、不快そうに僅かに目を細めた。
「十二歳なので、この時間起こしておくのは、と思いまして」
 少なくとも、十一時半は子どもが起きている時間ではない。
「まぁ、勝手に帰っているわよ。あんたの執務室にいるんなら、もう寝ているんじゃない。もうすぐ終わることだから、あとで行けばいいわ」
 ランスはアテナの言葉が最もだと思い、会議から抜けないことに決めた。それは、常識的な判断だった。
 しかし、対象は、筆算を使い、千二百二十を四十三回も足し続けた少女。執務室に怒られに来ているのにかかわらず、勝手に自室に戻るはずがないし、寝るはずもない。



 一時間は頑張って待った。二時間目になったときは、ぶつくさと文句を言いながら待った。三時間目になったときは、足が疲れてきたため、勝手に椅子に座った。四時間目には、眠くならないようにするため、勝手にコーヒーを飲んだ。五時間目は眠くて仕方がなかったから、立っていた。
 アスアは眠くて仕方がなかった。さらには空腹だった。立ちながらぼーっとしていると、扉が開いた。
「まだいたのですか?」
 その言葉を腹立たしいと感じたとしても、誰もアスアを責めはしないだろう。眠気と空腹でクラクラしているのだ。
「待っているように言われましたので」
 腹が立っていることを表面には出さないように、アスアはそう言った。
「もう遅いので帰りなさい」
 頑張って待ったのに、これは酷い、と思ったアスアは即座に切り返す。
「折角待ったので、用事があれば……」
 その言葉に、ランスは不快そうに僅かに目を細めたが、すぐに部屋の隅にある箱から何かを出す。
「あなたにはポケモンを支給していませんでしたね」
 モンスターボールを投げられる。それをキャッチして、ボタンを押すと出てきたのはズバット。
「ズバットですか?」
 小さなズバットが飛んで行くのを後ろからひっ捕まえながら、アスアはそう呟いた。
「不満ですか?」
 その言葉には、僅かながら棘があった。
「ズバットなら、素手で捕まえられそうだと思いまして」
 実際に捕まえている。
「そう思うのならば返してください」
「いただきます。"いただいたポケモン"は好きなので」
 他人からポケモンを貰うということは、アスアにとって特別なことだった。


「僕は博士じゃないけど……君にポケモンをあげる」
 私と同い年の黒い髪の少年は、モンスターボールを私の手に乗せてくれた。
「大切にしてね」
 照れたように笑う。憎悪と嫉妬の対象でしかなかったが、その笑顔は好きだった。



 アスアがモンスターボールを丁寧に仕舞った時、扉が開いた。
「新入団員の方ですね。ここはどうですか?」
 入ってきたのはアポロだった。レイキから、水色髪と聞いていたアスアは、すぐにアポロだと分かった。
「とても居心地が良いです」
 笑顔で答えると、そうですか、と安心させるように微笑んでくる。
「食事は摂っていますか?」
「たくさん食べています。ここのご飯は美味しいですね。でも、今はお腹が減っています」
 五時間何も食べていないのだ。アスアはつい本音が漏れた。アポロがランスの方を見ると、ランスは机の中の紙袋からパンを取り出して、アスアに手渡した。
「いいんですか? ありがとうございます」
 そう言って、すぐにかぶりつく。
「寝る前に食べるのは良くないんですけどね」
 アポロが笑う。
「すみません。空腹でも普通に眠ることができるので、次からは食べません」
 パンを持って、ありがとうございました、と礼をしてから退出する。残された二人は、部屋から出ていく小さな後姿を最後まで見ていた。



 アスアが去った後、アポロはランスに尋ねた。
「十二歳の部下とはあの子のことですか?」
「アレですね」
 まさか待っているとは思いませんでしたよ、とランスは溜息を吐く。そんなランスに、アポロは疑問を投げかける。
「ランス、あの子は本当に十二歳なのですか? 七歳か八歳ぐらいの身長しかないような気がするのですが……」
「そうなんですか? そこまで低いと異様ですね」
 大して興味のなさそうなランスに、アポロは続けて言う。
「あの容姿だと、良くないことを考える者もいるでしょう。本当は、アテナに回した方が良いのですが」
 アテナは女性なので、彼女の班は自ずとそれらのことについては規律ができている。
「無理だと思います。彼女はひらがなしか読めませんし、掛け算と割り算ができません」
 アテナの班は、外回りが少ないため、事務処理が多い。
「部屋はどうなっているのですか?」
「普通に女性の部屋ですよ。だから、大丈夫だと思いますが」
「どこで何が起きるのかが分からないでしょう。自分に何があったのか、説明できるでしょうか」
 もし、"何か"が起こった時、説明ができないようなら止めることはできない。
「それほど幼くはないですが、知識はなさそうですね」
 受け答えもしっかりしているし、自分の状況も説明ができる。ランスは、下手な大人よりも確りとしている印象を持っていた。しかし、騙されないためには知識が必要で、そしてアスアはその知識と言う部分が弱いように感じられた。
 後に、ランスはアスアが人の悪意を見破る能力がずば抜けていることを知るのだが、今はそれを知らない。
「出来る限り、あなたの目の届く範囲に入れておいてください」
 どうしろと言うのか、とランスは思ったが、アポロはそう言い切った。
「何故、彼女の安全に拘るのですか?」
 ランスは尋ねた。忙しいアポロが、何故新入団員の安全にそこまで気を配るのか、と。
「元々乱れている風紀がさらに乱れるのは避けたいでしょう」
 アポロがその程度で気にかけることはないのだが、ランスは追求をやめる。


「ランス、お前は本当に真面目だなぁ。何でもよくできる。あとはバトルだけだな。俺とは反対だなぁ」


 ランスの執務室を出た後、アポロが笑みを浮かべながら言ったことをランスは知らない。
「ランス、あなたはまだ気付いていないのですか? 彼女は、あなたの______の______ですよ」



 ランスの部屋から、自室に戻る途中、廊下に人影があった。
「レイキ、歯磨き?」
 ランスは、アスアほ女性の部屋に入れたと思っているが、実際にアスアは寝る時以外のほとんどの時間をレイキの部屋で過ごしている。
「おい、アスア、こんなところで何しているんだ?」
 パンを貪りながら、ノロノロと歩く姿に危機感を抱いたらしい。
「緑頭の部屋に呼び出されて、本人は途中で会議に行ったせいで、放置プレイ五時間」
 もしゃもしゃとレーズンパンを食べる姿に、ほっと安心したのか、レイキは口元に笑みを浮かべた。
「痛かった?」
 にやりと笑って尋ねてくるレイキに、にやりと笑って返す。
「今日は痛くなかった。案外普通の人だと思う」
 頭ごなしに怒ることもなく、とりあえず事情を聞く。そして、"できないということ"を怒ることはない。
 アスアは、ランスが人を育てるのが上手な上司だと思った。



 翌朝届いたのは、一週間後の外部任務の計画書だった。綺麗にタイピングされた用紙の端には、ランスという文字が入っている。
「外部任務か……会計も好きじゃないけど、外の世界もあんまり好きじゃないんだよね」
 願わくは、このアジトにずっといたい。外になんか出たくない。アスアはそう思っていたが、口に出しては言わない。
「このアジトが世界だったらいいのに」
 ただ、本当の願いだけを口にする。


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