不死鳥がくわえた花


 アスアが目を覚ましたのは、布団の上だった。木でできた昔ながらの天井が見えた。此処は何処だ、と思いながら体を起こそうとすると、鈍い痛みが走った。体を動かせない。
「あら、起きたんどすか」
 襖が開く音と共に、アスアの視界に現れたのは、綺麗な女性の顔だった。タマオだ。
「叢の中で倒れてはったから、びっくりしたわ」
「ありがとうございます」
 どうやら、気を失っていたところを助けて貰ったらしい。手を持ち上げると、包帯が巻かれており、ロケット団の団服ではなくゆったりとした浴衣を着ていた。
「何があったかは訊かへんけど、あんさんのポケモンはブラッキーとクロバットとクサイハナとケーシィでええんどすか?」
 その言葉に、アスアはボールから出していたクロバットのことを思い出した。
「四匹とも元気ですか?」
 そう尋ねると、タマオは綺麗に笑って頷いた。今はボールに入って貰っとります、と言いながら、今度はポケギアを差し出す。
「ポケギアで連絡取った方がええんちゃいますか? よく一緒に蕎麦屋に来てくれはるお兄さんも心配してはるやろ」
 そう言われて、慌ててポケギアを使う。当然のことながら、連絡先は最初の登録の番号だ。
『アスア、無事なんですか?』
 相手はツーコールで出た。僅かに焦ったような声にアスアは驚いた。怒られると思っていたのだ。
「連絡できなくて済みません。今はエンジュのタマオさんのところでお世話になっています。全身打撲で動けません」
 アスアは僅かに気分が高揚するのを感じた。
『分かりました。すぐに迎えに行きたいところですが、エンジュはチャンピオンやジムリーダーが歩き回っているので、暫くタマオさんのところで御世話になっていてください』
 冷静な声で下された命令。アスアははっきりと了解しました、と言った。



 マツバはロケット団の一人を探すようにワタルから要請を受けていた。ワタルが破壊光線で撃ち落としたらしい。マツバはロケット団員だと言っても破壊光線で撃ち落とすのはどうかと思ったが、何も言わなかった。波風は立てたくない。
 死体か重傷患者になっているはずだからすぐに見つかるだろう、とマツバは思っていた。しかし、マツバの予想は裏切られることになる。いくら探しても見つからない。
 テレポート可能なポケモンを持っているとは考え辛い。
「タマオさん、女の子を見なかった? 黒い服を着ていてクロバットを連れたロケット団員の女の子。この辺りにいるはずらしいんだけど……」
 よく散歩をしている幼馴染を尋ねる。すると、彼女は少し胡散くさそうな顔をしながら答えた。
「マツバはん、見てへん言うとるやろ」
 何をそんなに怒るのか、怪しいな、と思いながらふとタマオの背後の襖に目をやる。普段開いている襖は閉められていた。
「その部屋は?」
 そう尋ねると、さらに不機嫌そうな顔をした。
「うちの友達が寝てはります。具合悪いから休んで貰っとります」
 ああ、そういうことか、友達が具合が悪い時の来客だから、こんな態度を取られたのか、とマツバは思った。しかし、すぐに疑問がわき出てくる。
「友達? 舞妓さん?」
 タマオは忙しいため、あまり友達はいないはずである。
「ブラッキー持ってはる人どす。攻撃的なブラッキーが布団の周りで見張っとりますけど? うちは止めはしませんが」
「ゲンガー、ボールに入っておいて」
 マツバはブラッキーをボールに戻した。
 ただでさえ、マツバのゲンガーはタマオのブラッキーの悪の波動とシャドーボールがトラウマになっている。マツバが襖をあけると、そこには空の布団があった。
「あら、もう帰られたのかもしれませんなぁ」
 タマオが笑う。すると、布団の陰からブラッキーが出てきた。タマオのブラッキーだ。
「なんや、ブラッキー。そうかそうか」
 ブラッキーは尻尾を振り、ぶあ、っと声を上げた。
「少し元気になったから、帰ったらしいどす。ありがとう言うてはったと」
 ブラッキーの頭を撫でて、タマオは笑った。
「怪しい人ではないんですね」
 絶対に怪しい、とマツバは思って尋ねた。当然、答えなど期待してはいなかった。
「マツバはんも多分会うとりますわ。マツバはんのお気に入りの蕎麦屋さんによう食べにきとるから」
 ふと蕎麦茶の香りがした気がした。


 私は、初めてサカキ様から呼び出された日のことをよく覚えている。
「ランス、シャクが捕まった」
 サカキ様は私から顔を背け、本棚の方を見ていた。
 私だけが呼び出されるというのは不自然だ。普段から、シャク様はサカキ様に対して私のことを話していたのだろう。私にアスアのことを話すかの如く。
「今日からはお前が幹部だ」
「了解しました」
 あっさりと任命された幹部。シャク様が、もしものことがあったら、ということを話していたのかもしれない。
 不思議と嬉しくはなかった。
 静かに退室しようと思ったその時だった。
「あの大馬鹿者が……」
 サカキ様は淡々と夢を語る人だった。しかし、その呟きは普段のサカキ様の声とはかけ離れていて、私は部屋から出ようと取っ手に手をかけていたのに関わらず、思わず振り返ってしまった。
 ただぼんやりと窓の外を見やめサカキ様が印象的だった。



 ラムダは、書類を持って廊下を歩くランスとすれ違った。ランスは何事もないかのように膨大な量の仕事を片付けている。
「ランス、アスアはまだ帰って来ないのか?」
 そう尋ねるとランスは立ち止らずに、ええ、と短い返事をした。ラムダは立ち止まり、さっさと通り過ぎてしまう後ろ姿を見た。
「お前を責めるつもりはねぇよ」
 ランスがシャクを尊敬していたことをラムダは知っているし、またアスアを気に入っていたことも知っていた。ランスもアスアもいつも一緒にいるわけではないが、ランスはアスアの帰りが遅い時には迎えに行っていたし、任務の帰りに蕎麦屋に寄ったりしていた。
「むしろ、責めてぇのはあの親子だな」
 ランスの信頼を二度も裏切った親子。人並みではない精神力の強さを持っているランスでも、流石に堪えるだろう、とラムダは思った。



 アスアからの電話を切った後、ランスはゆっくりと息を吐いた。最近、エンジュシティを頻繁にチャンピオンが尋ね、ジムリーダーが動き回っていることの理由が分かった。
 しかし、それは同時にアスアにとっては危険だ。見つかるのも時間の問題である。
 そして、ランスの予想は裏切られなかった。アスアからの連絡の数時間後、再びポケギアが鳴った。
『ランス様、マツバっていう人が来ました。どうしましょう』
 押し殺したような声だった。しかし、焦っているのがランスにもすぐに分かった。
「ケーシィを使いなさい。回復して貰っているでしょう」
 はい、という返事が聞こえた次の瞬間、ボールが開く音がした。そして、何かが床にぶつかったような大きな物音と悲鳴が響いた。
「どうしたのですか?」
 いたたたた、という声が聞こえる。ランスは驚いてそう尋ねた。
『アジトに着いたのですが、全身打撲で体が動かないことを忘れていました』
 呆けた声。ランスは溜息を吐いた。ケーシィのテレポートポイントは人が滅多に通らないところにある。
「今、迎えに行きます。待っていなさい」
 はい、ありがとうございます、という嬉しそうな声を確認してから、ランスはポケギアを切った。



 ハピナスの引く担架に乗せられ、団内を移動する。隣には一応ランスが歩いている。
「マントの怪しいお兄さんに会いまして……愛嬌たっぷりの顔した黄色いドラゴンにドカーンと破壊光線を」
 包帯だらけの体にランスは驚いたような表情をしたのだが、アスアの話を聞いて溜息を吐いた。
「むしろ、よく生きていましたね」
「生命力は強いですから」
 アスアがそう言うと、ランスは再び溜息を吐いた。
「そういえばランス様、私、ラジオ塔に行く前にサカキ様に会ったんですよ」
 ランスが僅かに顔をしかめる。そして、本当なのですか、と尋ねた。
「ミュウっていう変なポケモンが連れて行ってくれて……色々あったんですけど、サカキ様は若い人に任せる、って言って消えました」
 アスアがそう言うと、ランスはふと灰色の天井の方を見てから言った。
「アスア、その話を元にした原稿を書きますから、次の総会で読みあげなさい」
 次はアスアが驚く番だった。そのことを見越していたのが、ランスは説明を続けた。
「私はアポロをボスに推そうと考えていますが、アポロはサカキ様の帰還を信じています」
 なるほど、とアスアは思った。それと同時に苦いような感情が体の中を通り過ぎる。
「ランス様はアポロ様のことを尊敬しているのですね」
「あなたやシャク様とは違ってアポロは優秀なのです。敬意を払って当然でしょう」
 ランスはさらりと言った。



 総会で、アスアはサカキのことを話した。アポロはアスアの言葉が嘘だとは思えなかった。信じられないこともなかった。サカキはそういう人間だった。二度も少年に敗れた時、年若い者たちの存在、サカキと同じ状況になったアポロにとっては、酷く自然なことに思えた。
 しかし、自分がボスになるということに深い感情は持てなかった。既に、サカキの帰還を諦めてしまっていたからだろう。最高幹部としての仕事も、ボスとしての仕事も変わりはない。
 それよりも別のことが気になって仕方がなかった。
「新たなボス誕生に盛大な拍手をしようぜ」
 沸き上がる拍手。その中でパチパチと手を叩く男のエメラルドグリーンの双眸が注がれる先には、拍手をするアスアの姿があった。
 危険な任務で、一度は捕まったと思われたものの、生還した少女。団には忠実で、団の利益になることをできる。何よりも上司を尊敬する優秀な部下。そして、忠実な部下の期待に応える優秀な上司。
 赤い髪の少年やランス、かつてのボスとの間に夢見た関係がそこにはあった。
 尊敬する上司を失ったランスにアスアを宛がう余裕はなかったのだ。
 アポロはランスに慕われるシャクに、失った上司の子に慕われるランスに嫉妬していた。
 それと同時に、自分とは相容れぬ元最高幹部のシャクに、自分を慕わぬランスに、自分を裏切ったシルバーに腹を立てていた。
 その嫉妬と憤怒の全てを背負ったのが、一人の少女。



「俺は会ったんだよ、ピンク色のポケモンになぁ」
 彼の描いたのは、幻のポケモンと言われたミュウだった。彼は幻のポケモンに愛されていた。
 主人公の成り損ない。とあるチャンピオンは、彼のことをそう呼んだ。



 アポロがボスになったため、ランスが最高幹部になった。かつての上司の地位に就いたランスだが、性格が性格と言うのもあり、仕事が増えただけと言うこともあり、特に何かを思うことはなかった。
「アスア、朗報です」
 呼びだしたアスアにそう知らせる。
「あなたを特別戦闘員に任命します」
 アスアの戦闘力が認められたのだ。勿論、それは一筋縄ではいかなかった。ランス、アテナ、ラムダでアポロの説得にあたったのだ。
 アテナとラムダはあまりやる気がないため、ほとんどランスがアポロと戦ったといっても過言ではないが。
「その名に恥じることなく、ロケット団再生に向けて全力を尽くします」
 アスアはまだ幼い顔に笑顔を浮かべて、元気よくそう答える。
 当然です、とランスは切り捨てたが、アスアは嬉しそうに笑っていた。


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