馬鹿みたいに心の何処かで謝り続けてる


 優秀であろうと優秀ではなかろうとも、若手だろうと熟練だろうとも、巻き込まれてしまうのは天災だ。戦乱はある程度の予測が可能だが、こればかりはどうしようもない。
 川が氾濫して橋が落ちていた。巻物を手に入れ、一刻も早く城に戻ろうとしていた名前は、崖の上から濁流を見下ろした。途切れぬ濁流から、船を出してもらうことも難しいだろう、と名前は思った。しかし、空は明るい。半日もすれば、この濁流も随分と大人しくなるはずだ。そう思った名前は近くの村へ戻ろうとした。
 林を越えてしまえば村はすぐだ。ぬかるんだ地面を踏み、木の葉から滴り落ちる雫を振り払う。
 静かな森の中に突然気配がした。振り返ると、丁度名前が歩いてきた道を通って、足軽が走ってきた。
「姉さん、船が壊れてんだ。この船を修理しねえと向こう岸には渡れねえ。手伝ってもらえねえか」
 息を切らせて足軽は言う。笠の陰から、赤みを帯びた髪が覗いていた。


 船の修理を手伝う。船の持ち主は老人で、手伝うように頼まれた理由はすぐに分かった。船の修理の方法など分からない、と名前は思っていたが、その足軽は手慣れているようで、名前に分かりやすく指示を出した。
 お礼に、船の出る午後まで休めるように、と与えられた川の近くの休憩小屋で、富松作兵衛と名乗った足軽とともに休憩をすることになった。
「この川の橋はよく落ちる。本当に迷惑だぜ、自然つーもんは」
 はあー、と低く溜息をつき、富松作兵衛は戸から一番遠い壁に凭れかかった。
「私が川を渡るつもりだってよく分かったわね」
「よく世話になるから、この村の人間は大体覚えている」
 どうやら、この足軽はこの国の人間らしい。名前は、足軽にしては頭が切れると思いながらも、そうなの、とだけ返した。
「それに、姉さんくノ一だろ。俺は忍者だ」
 立てた片膝に肘をつき、鋭いが決して冷たくはない目を名前に向けたまま、富松はあっさりとそう言った。
「あら、そんなこと言っていいのかしら?」
 名前は驚いたが、声が震えるほどではなく、普通にそう返した。むしろ、声が震えるどころか、急激に頭が冴えていく。頭の仲が氷のように冷たい。それを隠すために、名前は愛想の良い笑顔を浮かべた。
「そう言っておけばお互いに兵糧丸が食えるだろ」
 富松は全く気付いていないらしい。そう言いながら、呑気に口の中に兵糧丸を一粒投げ込んだ。そして、しばらく他愛もない話をした後、そろそろ船が出せるんじゃないか、と言って、彼が立ち上がったその時だった。
「今、悲鳴が聞こえなかったか?」
 子どもの悲鳴が響き、そして川の濁音に飲み込まれるようにして消えた。富松は無言で立ち上がり、走り出す。名前もそれを追った。
 子どもが流されていた。とがった岩に掴まっていたが、長くは持たないだろう、と名前は思った。
「姉さん、縄を頼んだ。どこかに結びつけてくれ」
 どこから取り出したのかわからない長い縄を名前に押しつける。すぐに川の方に走りだし、飛び込もうとしている彼の背に尋ねる。
「私を信用しても良いと思っているのかしら?」
 この世界で、と名前はそう続ける。何を考えているかどうかも分からないくノ一。各地で戦乱の火の手が上がり、その裏では忍者たちによる情報合戦が繰り広げられる。誰も信じることができない、何も信じることができない、そんな世の中。
「俺は、そんなにお前が悪いやつだとは思わねぇけどな」
 富松作平衛は決して良いとはいえない目つきだが、目尻を僅かに下げてあっけらかんと笑う。その姿を見て、名前は何とも居心地の悪い気持ちになった。何も悪いことなんてしていないのにね、と心の中でそう呟く。懐に手をやると、細長く冷たい何かに手が当たる。おそらく彼が探している巻き物だ。この国の忍者であろう彼がなぜこの国境近くをふらついているのか。それは間違いなくこの巻物を探しているからだ。
 しかし、くノ一たるもの渡すわけにはいかないのだ。
 縄を結びつけ、川に飛び込む彼を見送り、そして名前は待つ。今向かえば、すぐに船は出るだろう。待たぬからといって得るものなど何もなく、間違ったことも何一つない。ただ腰につけた巻き物が酷く重いせいか、踵を返すことはできなかった。



「逃げられたなぁ」
 子どもを村に返し、戻ってくるとくノ一は跡形もなくいなくなっていた。村人に尋ねると、既に船で川を渡したという。
「まぁ、でも俺の思ったことは何一つ間違っちゃいねぇようだ」
 子どもを助けて後、強く縄を引かれた。それが彼女であることには間違いなかった。
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