バカとバカタレ


【注意】男主

「お前……見たな」
 白粉を塗り紅を差し体を差し出す同級生の姿を、たまたま見てしまったのが潮江文次郎の運のつきだったのか。
「悪くないぞ。お前もやってみるか」
 人の悪い笑みを浮かべたその男を、気まぐれで受け入れてしまったのが良くなかったのか。



「おい、摂津。だんまりかよ」
 後輩を追い詰め難癖つけている同級生の後ろ姿を見つけて、潮江文次郎は慌ててその手を強く引いた。きり丸が一目散に、そして無事に逃げ出すのを確認してから、不快そうに目を細めるその男を怒鳴った。
「バカタレ」
 その男、名字名前は顔をしかめた。そして、口角横に引いて表情を歪め、何かを話そうとしたのか、唇を少しだけ動かす。しかし、その顔だけ潮江に見せると、すぐに踵を返した。潮江は溜息を吐いて、午後の教科のため教室に向かった。
 テストを返される。潮江が気付かぬうちにやってきて、すぐ後ろに座っていた名字名前がテストの結果で怒られる。一年生の頃から変わらない光景だ。名字名前は六年い組の中で、取り分け成績が悪かった。名字は反省するような顔一つしないで、何食わぬ顔で席に座る。授業が始まると、すぐに後ろから寝息が響く。いつも通りの授業だ。一年生の頃から変わらぬ日常だ。そのまま授業が進み、すぐに夕方になる。
「よく付き合っていられるな」
 夕食時の食堂で、向かいに座っていた立花仙蔵が呆れ顔でそう言った。何一つ返さず潮江は黙々と白米を口の中に詰め込んだ。
「竹谷、今日も名字は委員会活動に参加しなかったのか」
 委員会で遅くなったのだろう。じょろじょろと食堂に入ってきた生物委員会。その先頭に立つ委員長代理に仙蔵はそう尋ねた。
「ええ、立花先輩」
 竹谷八左ヱ門の表情は曖昧だった。潮江は竹谷を一瞥すると、立花仙蔵を諌めるように湯呑みを置いた。
 名字は食堂には姿を見せない。これは夜中に帰ってくるだろう、と潮江は思った。
 嫌われ者の名字名前。乱暴で不出来な六年い組の生物委員長。委員会には首一つ出さない。
 その晩、潮江は一人で会計室で算盤を弾いていた。鍛練には行かない。子の刻も過ぎた頃、ゆらゆらと横に揺れながら、名字名前が会計室に入ってきた、そのまま、潮江の目の前に重力に身を任せて座ると、その肩を押した。
「潮江」
 香が漂う。青白い顔が浮かび上がる。暗い天井を背景に、何を見ているのか分からないまるで遠くを見ているかのような目を、潮江は見つめる。
 ぶっきら棒で厭味ったらしい、と彼は嫌われていた。会話をしたことなどほとんどなかった。六年間、ただ一人、孤立していた。
「仙蔵に話して良いか?」
 そう尋ねる。しかし、彼は首を横に振る。
 彼は不幸だった。潮江文次郎がそれに気付いたのはつい最近のことだ。紅をつけて、白粉を塗って、そして体を差し出して金を得る。只管それを繰り返さなくてはこの学園に留まることはできず、そしてそのせいで学園で得られる多くの物を得ることができなかった。そんな事実を随分と長い間隠し続けていた彼は、成績が悪い怠け者で、厭味ったらしく自己中心的な男にしか見えなかった。
 きり丸に意地の悪いことをするのも、誰よりも教科の成績が悪かったのも、ただ妬んでいたのだ、時間がなかったのだ。
 しかし、彼の理解者は僅かだがいるのだ。委員会の後輩である竹谷八左ヱ門は確信はしていないだろうが、ある程度のことは察している。
「俺を見てしまったのが運のつきだったな」
 そうやって、名字名前は自嘲する。
「バカタレ」
 この会計室で声を荒らげる必要はない。潮江は、静かにそう返した。
「バカはお前だ。俺は金一文さえも払っていないのに」
 金のために誰かを受け入れる彼は、誰にも受け入れてもらえなかったのだ。それは彼にとっての不幸であり不運でもあった。その不幸と不運の終焉を、運のつきだと言っても良いのだろうか。その問いは、潮江にとっては考えるまでもなかった。
「その発想がバカなんだ」
 そう返すと、何を思ったのかふっとそっぽを向く。拗ねたのか、と潮江は思ったが、すぐに腕を引かれて倒される。またやるのか、と潮江はそう思ってふっと溜息をつくと、その顔を見上げた。しかし、そうではないらしい。名字が濡れた顔に笑顔を浮かべているのが見えた。
「憎たらしいほどに、お前は男前だなぁ」
 艶やかな紅に不釣り合いな骨ばった大きな手が頬に触れた。そのひんやりと冷たい手に、潮江は己の手を添える。お互いの骨ばった手のかたさが伝わる。
「なぁ、潮江。何でお前はそんなに優しいんだ?」
 名字はそう問うて潮江を縋るようにして身を寄せる。さぁな、と潮江は気のない返事をしてその表情を見た。すると、名字はわざとらしく少しだけ不満げに口を膨らませ、そしてすぐに笑みを浮かべた。潮江は再び溜息をつくと、バカタレ、とそう呟いた。

企画潮刻様に提出

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