見栄


「何で男はそう見栄を張るのかしら」
 門の近くですれ違ったくのたまたちの言葉は右の耳から左の耳へ抜けていく。お疲れ、などと己の背に向かって呑気に言ってくる団蔵や虎若に苛立ちを感じ、それ以上に背を向けて歩き続ける自分に嫌悪感を抱きながら、流れ込むように部屋に戻る。整理整頓のなされた部屋は静かだった。伊助は顔を上げ、夕日の差し込む部屋を見渡した。
 机の上に一枚の紙が置いてあった。
 火薬の壺の件で話があり、今晩もう一度部屋を訪ねる、と女性のような柔らかい字で綴られていた。太くなったり細くなったりを繰り返す字をなぞり、内容から予想される人物を想い浮かべ、庄左ヱ門、と同室の背中に声をかけた。どうしたの、と問い、振り返る同室にその紙を見せた。
「あっ、六年い組の名字名前?」
 それは、予想通りの名前だった。
 六年い組の用具委員長。嫌味はないが、ぶっきらぼうな雰囲気のするこの忍たまを伊助は長く苦手としていた。しかし、六年目になって、委員長として関わることの増えた今はそうでもない。
「達筆だよね」
 強弱のある字自体は美しい。しかし、伊助が言いたいことはそうではないのだ。しかし、物知りなこの同室は気遣いがそれほど得意ではないということを伊助は誰よりもよく知っていだ。だからこそ、驚いたのだ。
「まだ怒ってるの?」
 いつもと何一つ変わらない顔で、庄左ヱ門はそう問うてきた。
「そうでもないよ」
 女の子みたいなんて言われること、初めてじゃないんだから、と喉まで出かかった言葉を抑えて、伊助は口角を引き上げた。何も返してこない庄左ヱ門を見ながら、自分は何て嘘が下手なのか、とそう思いながら。



「伊助、置き手紙は読んでくれたか?」
 一年生が割った火薬壺の補充。委員会間のやりとりは委員長同士でやる。購入分の個数確認だけなのだが、下手に他の人間がやると厄介なのだ。
「名前は字が可愛いね」
 伊助がそう言うと、筆を取り、俯き加減で火薬壺の種類を綴る横顔が上がった。
「そうか」
 そして、笑った。
「私は伊助の字が好きだけどなぁ」
 くるりと筆を回すと、そのまま筆を硯の前に置く。
「細い字の方が丁寧に記帳できる」
 そう言いながら、火薬壷のリストを触る指は細い。
「名前は素直だね」
 そう言うと、名前は目を丸くしたが、すぐに静かに瞼を落とした。そして瞼を開け、伊助の目を見ると言った。
「そう思うのは、お前が素直だからだ、伊助。お前は……」
 火薬倉庫の戸口から夕日が差し込んだ。その逆光で浮かび上がった名前の影は細い。
「見栄を張らないな」
 この名字名前という人間は馬鹿正直で、嘘をつけないような人間だ。たとえ避けていたとしても、同学年の本質を見極めるのに、六年の歳月は短くはなかった。
 氷塊したのは何なのか。しなやかな手先を見ながら、伊助は心の中の蟠りがゆっくりと引いていくのを感じた。
 気にすることではないのだ、とそう思ったのだ。
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