醜いのは姿か心か


 伊作は何か用事があるのは、私に名字を頼んで部屋を出て行った。名字はこのような日の高い時間から寝る気は全くないらしく、私に背を向けて時折もぞもぞと動いていた。
「それ程自分の容姿が気に入らないのか?」
 そう尋ねると、ええ、と短く答えた。
「女としては不幸なことこの上ないな」
 心の底からそう思っていたわけではない。ただ試していただけだった。
 純粋な好奇心だった。顔を面を隠すのは自分の顔に自信がないからである、というその事実にはそれ程強い興味はわかなかったはずだった。ただ、あれほど嫌な顔をさせる暗い感情には興味があったのだ。
「私が不幸に見えますか?」
 わざとらしく小首を傾げるなんてことはせずに、名字は抑揚のない声でそう聞き返した。
「そのような容姿ならば、損してきたことの方が多いだろう」
「損はしてきましたが、私は不幸ではありません」
 その声には無理がなかった。私は的を外していたのだろう。私はどうしようかと考え、次の言葉を思いついた。
「お前は私のことを一度も美しいと褒めたことがないな」
 大抵私は褒められる。同級生にも一度ずつは言われたことがあるし、下級生にも言われる。しかし、この女から言われた記憶は一度もない。言われそうな状況ならば思い出せるのだが、今までに一度も。
 容姿に自信がないのならば、相手の容姿の方が気になるだろう、と私は思っていた。考えみれば、彼女が何も言わないのは不思議なことだ。
「私は人の容姿を褒めるのも嫌いなのです。相手は話を繋げるために、私の容姿の話をしないといけない。それを強制させるのが嫌なんです」
 面倒臭いやつだ、と私は思った。それと同時に、ここまで面倒臭いのはもう興味などという段階ではなく面白みがなかった。
「ただ、立花は美しいと思う」
 そう笑う女に最後に言った。
「そうか、お前は醜いな」
 もし、彼女が言ったことが真実ならば、彼女は私の言葉には反応しない。
「立花のそういうところは好きです。褒められるよりもずっと楽だ」
 彼女の言ったことは間違っていなかった。名字はふわりと笑顔を浮かべた。その心底安心したような笑顔を見たのは初めてだった。彼女は、私たちの前ではあくまでもくのたまであった。
 くのたまらしくない、その表情。それを見せられたことに対して、なぜか優越感を抱いた。誰に対してなのかは分からない。



 自分の容姿に自信がないといっても、くのたまである彼女が化粧をして、美しい着物を着て歩いているところに遭遇したことがないわけではない。
 偶然だったのかもしれない。白粉の振り方、艶紅の色、髪の結い方、そしてその着物の色目がとても彼女に似合っていた。ああ、素直に美しいと思った。
「実習なのか?」
「そういうことですね」
 では、いってきます、と彼女は笑った。黒い目を綺麗に細めて、流石くノ一だと感心させるような整った笑顔だった。私はそれ以上何も言わずに見送った。
 何も言わなかったのだ。
 喉まで手かかったその言葉を、私は生れてはじめて飲み込んだ。
 この容姿に対する酷い劣等感は、彼女に根付いている。治るものだとしても、彼女がそれまでに苦しまなくてはいけないことは必須だ。治る保証もないこんな悪い賭けに乗ることができるはずがない。
 彼女は美しいか醜いかと問われれば、私は醜いと答えるだろう。
 ただ、微笑んだ彼女は綺麗だった。きっと、私がそれを言えば、彼女は不快になるだろう。だから、黙っていた。
 面倒だったから黙っていたわけではない。美しくない物に美しいと言うのは面倒だが、美しい者に美しいと言うのは面倒なことではあるはずがない。私がお世辞でも言うと思うか、と言ったところで、きっと彼女は信用しない。
 頑なに信用しないだろう。そして、善法寺の言葉の後に見せたあの顔を見せるのだ。
 間違いなく、もう二度とあの笑顔は見せてはくれないだろう。そう思って躊躇ってしまった私は、だいぶ彼女に毒されているらしい。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -