紳士的暴走


 昔から仲の良かった兄は六年間火薬委員を務めた。私はくのたまだったが、兄について火薬委員の仕事を手伝ってきた。そんな兄は今年の春に卒業したばかりだから手伝う理由は全くない。しかしながら、人数の少ない火薬委員会、それも委員長代理は今年初めて火薬委員になったという久々知兵助。わたしがいないと委員会の仕事が回らないのだ。人の好い土井先生に、君がいないとだめなんだ、などと言われて断ることのできる人間がいるならぜひ見てみたい。私は無理だ。大体、火薬委員の仕事も嫌いではないのだから、断る理由もない。
 しかしながら、くのたまの身分とは厄介なもので、私は正式な委員ではない。しかし、火薬委員の仕事については委員長代理の久々知君よりも遥かに精通している自信はある。久々知君の優秀さは同学年のくのたまとしてよく知っているが、火薬の仕事に関わり五年目の私に、一年目の久々知が敵うはずがない。それは当然のことなのだ。
「久々知君、この火薬の仕入れ先についてなんだけど。昨年は確かにこの店にお願いしたんだけど、それは例年お願いしているところが戦で火薬がなかったからなんだよ。だから、今年は例年通りの方が、質も良くて安い火薬が手に入ると思う」
 火薬の仕入れ先を去年のものと同じにしようとした久々知に、そう助言した時の彼の顔は忘れられない。一瞬だけ見えた表情の歪み方は酷かった。端的に言えば、私は彼に嫌われている。それは私が久々知よりも火薬委員の仕事に精通しているのと同じくらいに当然のことだ。私が彼のことを優秀な忍たまであるというのを知っているのと同じように、彼は私が平平凡凡と言うには聊か成績に問題のあるくのたまであることを知っているのだ。しかも、久々知は正式な火薬委員であり、火薬委員長代理である。そんな彼が正式委員でもなく成績不振な私に助言されて嬉しいはずがない。
 しかし、人間とは厄介なもので、理由が納得できたとしても、嫌われたくはないと思い無駄に足掻いてしまうものである。
 久々知が豆腐パーティーをしようと言った時、私は心の中で拳を握って喜んだ。久々知と関係をよくする機会ができたのだ。嬉しいに決まっている。それが池田のせいで滅茶苦茶になった時には、ちょっとだけ彼に殺意を覚える程度には楽しみにしていた。勘違いしないでほしいが、それは一瞬だ。私はいつも池田三郎次は可愛い後輩だと思っている。
 豆腐パーティーの件は、久々知と仲良くなる機会を作りだせばよいと言うことに気付く切欠となった。私が交流行事を主催すれば良いのだ。しかしながら、私は浅はかだった。豆腐パーティーの次の委員会でそれを委員ではない私の口から出すなんて、図々しいことこの上ない。団子屋に団子を食べに行く提案をした時には、伊助までもが目を丸くして私のことを見た。伊助は私と久々知君の不仲に頭を悩ませているのだ。一年生にまで気を遣わせてしまうというのはとても申し訳なかったのだが、その時はそんなことはどうでも良かった。やってしまった、と思った時にはもう遅いとはよく言われるが本当のことだと思う。久々知が無理矢理作った笑顔で、豆腐パーティーよりもそっちの方が良いよな、と言った時には、私は数十秒前の自分を殴りたかった。委員会が終わるまで、彼は酷く冷たい目を私に向けていた。冷静な彼らしい、というには聊か険しい目だった。私は委員会の内容などそっちののけで、過去の自分を溝川につき落とすためにはどうすれば良いのかということを真剣に考えていた。
 結局団子屋行きは決まってしまった。喜ぶべきことなのだろうが、喜べなかった。しかし、それでも期待をしてしまう自分が腹立たしい。前夜はほとんど寝れず、結局図書館で借りた本を読み切ってしまった。そして、今、私を先頭にして団子屋に向かって歩いているのだが、非常に居心地が悪い。斉藤さんと池田が久々知の豆腐の話を聞き、私と伊助が喋っていた。両者が交わることはない。私は後ろの会話と同じような話題、つまりそれ程好きでもない豆腐の話題を伊助と話すなどの努力をしたが、全く効果がない。久々知がそれほど機嫌が悪そうではないことだけが唯一の救いだった。しかし、それは池田や斉藤さんが気を遣っているからだろう、と私は思った。私よりもたくさんの委員に囲まれて悪い気はしないはずだ。
 しかし、そんな時間は長くは続かなかった。忍たまたちの集団とは言え、傍から見れば育ちの良さそうな子どもだけの集団が呑気に山を歩いているようにしか見えない。しかも、話題は只管豆腐である。忍たまには到底見えない。
 結構な数の山賊に囲まれた時は、伊助だけではなく三郎次までもが驚いていた。当然だ。良い餌が来たとにやにやと笑いながら迫ってくる山賊から守るように、私と久々知と斉藤さんで池田と伊助を挟みこむ。
 私は山賊に注意を払いながらも、久々知が苦無を出したことを確認した。下級生の前で急所を狙うお得意の寸鉄は使わないらしい。決して気遣いのできる方ではないが、彼は最低限の先輩としての判断はできている。
「名字さんも戦ってくれ」
 気に入らない。
 横目で盗み見た久々知の表情は私に対する嫌悪が浮かんでいた。久々知は優秀だ。しかし、一年生と二年生に斉藤さんを抱えて戦うことは難しい。私に頼らざるを得ない。それが悔しいのだろう。
 団子屋行きを提案したのは私だから、私が片付けるのが自然である。どこまでも責任感の強い人だ、と思いながら私はあるべき姿を考えた。彼の責任感はどうしようもない。彼の中での私の位置を変えるしかないのだ。
 私は彼の中で火薬委員ではない。それが一番の問題だ。私が火薬委員であり、彼が委員長代理ならば、彼は私を頼るなんてことはないはずだ。彼は私を頼るのではなく指示を出す。
 その時、昨晩に読んだ南蛮の本を思い出した。不安と僅かな期待で眠れなかったため、本を読み切ってしまったのだ。私が示さなくてはいけないのは久々知への忠誠心。久々知の方が立場が上だと言うことさえ示せば、彼の不快感も消えてしまうに違いない。そう確信した私はすぐに行動に移った。
 私はくのたまとして鍛えてきた筋力を駆使して、素早く久々知の前で膝を折り、彼の手を取り手の甲へ唇を落とした。手の冷たさが唇に伝わる。男にしては綺麗な手から唇を離し、何故か狼狽している久々知を見上げる。一連の動作は目にもとまらぬ速さだと自負している。
「了解しました、火薬委員長代理」
 それだけ言って、私は走りだした。使うのは体術だけ。女だと油断している奴らの腹をけっていく。大体こちらが手練の者であると分かれば、勝手に撤収していくので、その程度で全く問題はない。久々知のように、わざと苦無などの有名な武器をちらつかせるのも効果的である。
 後ろから焦ったような声が聞こえた。
「何のつもりだ」
「南蛮風の敬意の表明です、ドミナス」
 そんなやり取りをしていると、いつの間にか山賊たちはいなくなってしまっていた。
 山賊たちが撤収したのを確認してから振り返ると、顔を真っ赤にした久々知がいた。怒っているのだろうか。
「嫌味なのか?」
 声は酷く低かった。怒っているのだろう。やってしまった、と私は頭の中が真っ白になった。南蛮風の敬意の示し方なんて、真面目な久々知が知っているはずもない。そんなことをしてしまった私が悪いのだろう。
「そんなことないよ。なんならもう一度……」
 混乱して頭が回らないせいか、よく分からないことを言ってしまう。頭が酷く熱くてくらくらする。こんなに怒気を向けられるなんて思ってもいなかったのだ。
「分かった、違うんだな」
 呆れたような顔をしながら、久々知は溜息を吐いた。分かってくれたんだ、と思うと同時に、熱がすーっと引いていった。
「ええ、勿論です。委員長代理」
 そう答えて、さぁ行こうか、と伊助の手を引いた。まだ頭は僅かに熱っぽい。対久々知戦略はもっと冷静になってから考えなくてはいけない。頭を冷やすことが先決だ。私はそう考えた。流石に私の心をそこまでは理解していないのか、伊助が口をあんぐり開けて私を見上げていた。
「名字さん、久々知君のこと好きだよね」
「えっ、何を今さら」
 なぜか遠慮気味なタカ丸さんの問いに私は即答した。こういう時に少しでも迷ってはいけない。疑われるのはもう懲り懲りだ。優秀で真面目で責任感のある同級生の忍たまで、この火薬委員で委員長代理を務めてくれているのだから、好きに決まっている。
 後ろから誰かが噴き出したような気がしたから、慌てて振り返ると、なぜか久々知が額を抑えていた。何故だろう。

企画了解です、委員長

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -