ごく純粋な侵略者でもって僕の平静は終わる


【注意】妖怪パロ

 滝のような雨音が響いていた。このところ、雨が続いている。地面はひどくぬかるんでいて、僅かな窪みに足を踏み入れれば、足首が水に浸かる。私は笠を深くかぶり、既に重くなった衣を引き摺るようにして走っていた。
「さっさと社に戻りやがれ」
 前を走る男の背を怒鳴りつけながら。
 闇雲に追いかけているわけではない。西に札を三枚、東に札を三枚、ある場所に追い込むために入念に準備してあるのだ。そろそろ奴も気付くはずだ、と思いながらひたすら走る。傷だらけの足に泥水が沁み込み、ひりひりと痛んだ。
「どこまで追いかけてくる気だ。全く、お前のところの家は先祖代々……」
 赤い巨大な鳥居を前にして、追い詰められた男は立ち止まり、私の方を向くとそう言った。柔らかそうな短い髪を頬にぺったりと張り付け、何の変哲もない木綿の羽織から水を滴らせる。
 片眼を隠す黒い布は目を引くが、それでも人間の男にしか見えない。
「お前が自分で社に帰ってくれさえすれば、こっちもこんなことをせずに済んだんだよ、一目連」
 一目連。それは我が名字家と縁の深い妖の名前。



 この地には大きな川が流れ、古から大水に悩まされてきた。それと同時に商い人と大神宮への参拝客が行き交う地であった。そのためか、その地を見下ろす伊勢国二宮には商いの神と鍛冶の神が祀られている。
 その、鍛冶の神は曰くつきだった。鉄の熱によって片目を失ってしまったのだ。
 零落した神は妖となる。
 この地の周囲には大きな川が流れ、古から大水に悩まされてきた。
 鳥居を潜り、一本道で追いたてて、ようやくたどり着いたのは二つの社。奥にある社へ札をつきつけて追い立てる。
「暴れ過ぎだ。さぁ、早く社に戻れ」
 開けっぱなしの社に押しこむようにする。そう、この社には扉がない。
 だから、この男が出てきてしまうのだ。
 社の中に座らせると、私は泥だらけの祭壇に座った。背後から、明るい光が差し込んできた。
 そう、この社の主、目の前で不貞腐れている一目連は風雨を司る。彼がこの開けっぱなしの社から出てくると、この地は雨に見舞われる。
 雨は必要だ。しかし、過ぎた雨は大水となってこの地を襲う。そのため、この一目連に長く社の外にいられると困るのだ。
 しかし、彼は一度出るとあまり戻ろうとはしなかった。
 名字家の者は昔からこの一目連を見ることができた。風雨の中走り回るこの神崩れの妖を見ることができた。だから、名字家の者は代々この一目連を社に追いたてる役についていた。
 一目連は、外に出るのが好きだ。この日も、子どものいる家に大きな枇杷の実を押し込んでいた。彼は子ども好きで、捕まえてきた美しいトンボを離してみたり、拾ってきた栗を縁側に並べてみたりする。それだけではなく、老人だけで住んでいる家の壊れた農具をこっそり直しているのも見たことがある。決して根は悪くないのだ。
 ただ、一度何かを始めると、自分を客観視することができないのだ。
「本当に暇だな。働かないのか、人間」
 偉そうにしているがあまり頭はよくない、という彼の評価は、千年もの間、我が家で変わることはなかったらしい。
「お前が大人しくここに入ってくれれば、私も私の母もばあちゃんも普通に働いていましたー」
 そう言うと、あー、なんだとー、とただでさえ悪い目つきをさらに悪くする。こう、ちょっとした言葉ですぐに熱くなるのも頭の悪い印象を助長している。大体ここで一戦交えるのだが、この日は違った。一目連は突然黙り込み、不自然に顔を上げた。そして、立ち上がった。
 空の如く、いつの間にか本来の色を取り戻した藍色の襟の中に手を突っ込んだ。抜かれた手が握っていたのは、立派な鞘と柄、短刀だ。
「名前、よく聞け。街道に降りずに、坤の方向に抜けろ。しばらくこの辺りには戻ってくるな」
 いつにない真剣な声に、最初は何を言われているのかが分からなかった。ただ、そんな私を気にする様子はない。
「これを持って行け」
 短刀を押しつけられる。木の本来の持つ熱のせいか、その柄は温かい。何故かと問う。しかし、彼は答えなかった。
「今すぐに行け」
 私は一目連を一瞥すると、背を向けた。疑問はたくさんあった。
 ただ、初めてだった。そう言われたことも、母の言いつけを思い出したことも。そう、彼は文句は言う。しかし、私に命令したことは一度もなかった。



 私にこの仕事を教えてくれた母は、一目連の言葉には背かぬように私に言った。今は妖に身を落としているが、彼は神であった、と。
 私は母の言いつけを守った。私は今までに一度も一目連の言葉に背いたことはない。
 私は金銭を持っていたため、湯に浸かりに行こう、と坤の方向にある湯に向かおうとしていた。一度、村にある家に戻り、それから支度をして、翌日の夕方に家を出た。そして、街道に降りずに山脈を登り見通しの峰まで辿りついた時、私は異変に気付いた。
 私の登ってきた道が、薄暗いはずの山が、赤く燃えていた。そして、二宮の赤い鳥居も。私は街道の方を見た。街道沿いの村々も燃えている。
 そういえば、最近村が騒がしかった。最近、札の張り替えで忙しかったため、村の様子に気を配っていなかった。私は目を凝らして村を見た。倒れた巨大な旗を見つける。
 描かれた家紋は織田木瓜。私は全てを察した。
 一揆だ。そして、一揆勢と織田が交戦したのだ。
 私は一目連に押し付けられた短刀を見た。護身刀として渡してくれたのだろう。山に逃げ込んだ一揆勢、それを追う織田勢から、私の身を守るために。
 火がついている道からこの峰までには岩場がある。ここまでは火は達しない。安全だ。
 私は麓を見やった。燃えている鳥居が見えた。我が名字家が代々関わってきた神社は火に包まれていた。
 この地は古くから栄えてきた。二宮に見守られてきたのだ。
 私は母を、祖母を、ずっとこの地で一目連を追ってきた人を想った。私たちは千年もの時の間、あの二宮と共にあったのだ。
 私は短刀を握り締めた。



 道は燃えている。迂回するために藪を漕いで進む。絡みついた蔓を引き千切り、邪魔な枝を斬る。銀白色の刃はいくら枝を斬ろうとも鈍らない。鍛冶の神だった者が鈍刀を渡すはずもないのだから、当前ではあるが。
 美濃側に回り込み、そこから一気に下る。見えたのは、炎に包まれた社だった。燃える社は空だったが、一目連の姿は見えない。
 最悪の事態が頭の中を過った時だった。
 ちょろりちょろりと狐色の尻尾のついた少年が二人、走ってきたのだ。
 稲荷神。二宮には稲荷神も祀られている。二柱の稲荷神は私を見ると、顔を見合わせた。
「お稲荷様、一目連は……」
 私が見えていることに気付いたのか、稲荷神は目を丸くして、再び顔を見合わせた。
「留三郎なら無事だ」
 よく通る声が後ろから聞こえてきた。驚いたのは私だった。慌てて振り返ると場違いな狩衣を着た男が立っていた。
 留三郎。その名前には聞き覚えがあった。確か、母が教えてくれたのだ。一目連の本当の名前。
「私は天津彦。留三郎はその辺に……」
「何故、逆らった?」
 本宮に祀られている天津彦根命の背後から出てきたのは、藍色の麻の着物の見慣れた男。
「この場所は危険だ。峰を越えてから街道を降りろ」
「何を言っているんだい? 私たちも彼女と共に行くよ」
 はぁ、と一目連は思いっきり不快な表情を作った。
「私たちが向かうのは大神宮だ」
「はぁ? 何言っているんだ、伊作。あそこにはあいつがいるだろ」
 あいつとは誰のことだろうか。私は一目連以外の名前を知らない。
「仙蔵も喜ぶだろうね。もう一人の反応は分からないけど……さぁ、急ごう」
 一目連は動こうとしない。私は燃える別宮を見た。古いがよく手入れをされた別宮。千年もの歴史を持った二宮は侵略者の手によって灰となるのだ。
 私は懐から札を取りだした。そして、徐に藍色の体に近づける。それが近づいた時、藍色の衣が流れるように動いた。
 おいっ、という抗議の声を無視して、私は天津彦根命を見た。
「天津彦根命、大宮まで追い立てればよいんですね」
 優しげな顔をした二宮の祭神は肯定するように微笑んだ。
「私にお任せください」
「お前……」
 我が名字家は千年もの間、一目連を追い続けたのだ。大宮は遠く、一目連を追い詰めるのは容易ではない。
 ただ、不可能でもない。
 私は札を握り藍色の背を追い掛けた。峰に向かって山を駆けあがる。不思議と辛くはなかった。その背は炎から遠く、そしてなだらかな場所を通っていった。
 いつもそうなのだ。私は彼を追っている時に大きな怪我をしたことは一度もない。



 織田信長。彼に悪意があったわけではない。時の権力者であり、この地の人々にとっては純粋な侵略者だ。
 稲荷神と共に騒がしい二人を見送る。
「何故、留三郎殿は本来のお姿にならないのですか?」
 本来のお姿ならば、逃げることも容易でしょうに、と雷蔵は続けた。
 留三郎の本来の姿は龍神。雨風を司る神らしい姿をしている。
「名字家の子の中でも、留三郎は名前を気に入っていたからね」
 妖の考えることを知ることはできるが、理解することはできない。
「本当に困った方ですよね」
 三郎は遠慮なくそう漏らした。
「伊勢大宮には文次郎がいるから、さらに面倒臭いことになるよ」
 騒がしくなるであろう大宮を想像すると、口角が上がってしまった。いつかこの国が落ち着くまで、なかなか平穏は訪れないだろう。
 二柱の稲荷が大きな溜息を吐いた。

企画あやしあやかし様に提出

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