アホの子ほど可愛い


 少しでも申し訳なさげに入って来さえすれば、小言の一つ二つで済ませていた。六年い組会計委員長潮江文次郎はそう断言できた。
「補習で遅れましたーっ」
「ましたーっ」
 二人揃って馬鹿みたいに足音を立てて、馬鹿みたいな笑顔を浮かべ、馬鹿みたいに能天気に入ってきたのは、会計委員の中でも馬鹿な二人。
「名字、団蔵。そこへ並べ」
 席に座る前に、低い声で言うと、二人揃ってきょとんと首を傾げた。
 まだ、怒っていることが分からないところに、文次郎は呆れた。
「会計委員が補習にかかるとはどういうことだ?」
「テストで零点でした」
 一年生で零点なんて、どうしたらとれるのだと文次郎は呆れた。何せ、自分は一年生から学年次席。それも、僅差で主席が取れなかった身だ。嫌味でも、馬鹿にしているわけでもない。ただ、純粋な疑問。
「私は五点とりましたよ。零点じゃないです」
 自慢にならないことを自慢げに言うな、と文次郎は思った。それと同時に一体何点満点のテストだと問いたくなったが、それを抑えて息を吸い込む。
「どっちも同じだバカタレ」
 怒鳴りつけてやってようやく、怒られていることが分かったようで、二人は顔を青くした。文次郎はこれ程までにアホなのかが心の底から疑問に感じた。



 夜、長屋で用具の補修をしていると、五年は組会計委員の名字名前がやってきた。
「ということで、よろしくお願いします、善法寺先輩、食満先輩」
 文次郎に勉強ができなくて怒られたから、勉強を見て欲しい、とのこと。それならば、文次郎に教えてもらえば良い話だ。教えるのは構わない。同じ組の後輩だ。
 ただ、もし俺が文次郎だったら……
「勉強は文次郎の方が教えるのが上手いよ」
 伊作がやんわりと文次郎に頼むように言った。構いません、とにこにこと笑う名字は分かっていない。俺は伊作と目配せした。
「もし、俺なら、用具の後輩が文次郎のところに教えを請うことがあったら、不快に感じるな。たとえ、文次郎の方が座学の成績が良かったとしても」
 そこまで言っても、名字はきょとんと首を傾げた。文次郎がアホだアホだと言い続けるのが何となく分かった。間違いなくこいつはアホだ。
 どうしようかと思っていると、部屋の戸ががらりと開いた。
「おい、名字。こんな時間に六年長屋で何をやっている?」
 一週間前から、こいつの五年のテストのことを心配していたお前なら訊かなくても分かるだろうに、と思う。
「お前の後輩だろう。邪魔だったんだ。連れて行け」
 名字が目を丸くして俺を見たが、俺は無視した。心は痛んだが、後輩と、気に入らないが級友のためだ。
「ほら、忍たまの友と筆だよ」
 伊作が名字の忍たまの友と筆を纏めて、名字に手渡す。
「おい、紙を忘れるな」
 にやっと笑って紙を放り投げると、名字は驚いたような顔をして紙を見た。そして、俺の顔を見て笑う。単純だなぁ、と思う。そういうところを文次郎が気に入っているらしい。
 文次郎に腕を引かれて慌ててついていく後ろ姿を見届ける。
「文次郎に同情するよ」
 伊作が苦笑いした。
「全くだ」
 アレは絶対に気付いていない。



「潮江先輩」
 早足で歩く先輩についていく。
「私、勉強できませんよ」
「知っとるわ、バカタレ」
 私だって先輩が私が馬鹿だって知っていることぐらい知っている。
「同じこと何度も聞きますよ」
「いつもと変わらんだろう」
 確かにいつもと変わりませんが、と言おうとして途中で口籠る。潮江先輩には委員会で迷惑かけているのに、個人の勉強を見てもらうなんて申し訳なかった。
「お前は始めから俺のところに来ればよかった」
 あいつと俺が仲が悪いのは知っているだろう、と尋ねられ、黙って頷いた。食満先輩のいる六年は組の長屋に行ったのが気に入らなかったのだろうか。
「でも、先輩に怒られたので……」
「何年の付き合いだ? 未だに会計の仕事もロクにできない奴に、最初から何の期待もしていない」
 呆れたような声でそう言った先輩は、少しだけ困ったように笑っていた。どうしようもない後輩なのに、この人は絶対に見捨てない。


 文次郎が連れてきた後輩は、一刻ほど頑張っていたが、すぐに眠ってしまった。そして、一度眠ると起きない。文次郎にあれだけ揺さぶられて起きないのは、才能なのか、それとも五年間に渡る会計委員会の活動のせいなのか。
「会計のアホ子は五年間会計委員を務めても徹夜は苦手なようだな」
 六年生の部屋ですぴーっと気持ち良さそうに爆睡している。度胸があるのか単にアホなだけなのかは分からない。
「アホ言うな」
 アホだアホだといつも言っているのはお前だろう、と言うと文次郎は黙り込んだ。アホアホ言いたい気持ちはよく分かる。五年間会計やって、三年の神崎よりも使えないなど信じられない。
「だが、アホな子ほどかわいいものだろう」
 にやりと笑ってそう尋ねる。
 優秀な伝七は当然可愛いのだが、何を考えているのかどこを見ているのかわけが分からない喜八郎や、何度同じことを教えてもなかなか覚えない藤内や、何点満点か分からないような点数を取ってくる兵太夫も可愛い。
「勝手に言っておけ」
 ぶっきらぼうな言葉と共に、文次郎は先程まで熱心に書いていた冊子を閉じた。勝手にそれを取り上げて中身を見る。
 ほぅ、と思わず感嘆の声が出る。
「これで赤点ならば、救済のしようがないな」
 綺麗に冊子にされた紙には、文次郎らしい四角い字で、テストの範囲の内容が分かりやすく解説されていた。読めばわかるはずなのだが、文次郎は深い溜息を吐く。それと同時に、名字の心底心地よさそうな能天気な寝息が響いた。
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