二人のひとりぼっち
いろは対抗戦の段
五十嵐先輩は好きじゃなかった。は組贔屓だけから僕には優しいが、い組には意地悪だ。贔屓する先輩は嫌いだった。二年い組のみんなは少し意地悪なことを言うこともあるけど、優しくて、一人ぼっちになった僕のことを気遣ってくれる。先輩の嫌う六年い組の立花先輩と潮江先輩、五年い組の尾浜先輩と久々知先輩、四年い組の綾部先輩はみんな親切だ。それなのに、あんなに酷いことをするなんて、五十嵐先輩が悪い。
「四郎兵衛、お前は手厳しいなぁ」
一度、七松先輩にそれを言った時、先輩は豪快に笑いながらそうおっしゃった。
「五十嵐は優しい。甘いんだよ。いつか、お前も分かるようになるといいさ。楽しいぞ」
その時は、何を言っているのか見当もつかなかった。
ろ組とはち合わせてしまった時、五十嵐先輩は僕ときり丸に善法寺先輩に事を知らせるように指示した。僕たちは善法寺先輩を探し出し、先輩と一緒に森の中を駆け抜けた。
先輩は一人二人の人間が通ったような痕跡を頼りに走っているようだった。木の折れ方や土の窪みを頼りに走ることができるのは、本当にすごいと思う。
そんなことを考えていると、前を走っていた善法寺先輩が立ち止まる。静かに、とでも言うように口元に手を当てて、藪の前に座り込む。
僕ときり丸と善法寺先輩の隣に座った。藪の影から覗くと、そこには見慣れた同級生たちの姿があった。三郎次と左近と久作。二年い組だ。
「二年い組が単独行動?」
善法寺先輩が怪訝そうな顔をした。
「どうしたんすか? 先輩」
僕が質問するよりも前に、きり丸が尋ねた。その間に、い組のみんなは通り過ぎて行った。
「立花、潮江、不々知に尾浜までいて、二年三人だけでの行動を許すはずがない」
立花先輩と潮江先輩に「先輩」がついていないなど、律儀に突っ込みを入れている余裕はなかった。
僕はい組のみんなが消えた方向には覚えがあった。背中を冷たい汗が流れる。
「先輩、あの……」
今すぐにでも駆け出したい気持ちを抑えて、僕は善法寺先輩に話しかけた。善法寺先輩は、どうしたの、と優しく笑った。
「あっちには大きな沼があって、危険で……委員会活動中にも七松先輩にも近づくなって」
善法寺先輩の表情が険しくなる。
「時友、あいつらを追って」
善法寺先輩は強い口調でそう言った。僕は駆け出そううとした。ただ、僕は足を止めてしまった。
「早くっ。あいつらが危ないんだろ」
善法寺先輩は声を荒らげた。
「五十嵐先輩に怒られませんか?」
「そんなこと気にしている場合かっ」
背後から強く押される。よろけて転びそうになったが、強く腕を掴まれ、支えられた。善法寺先輩の顔が耳元に近づく。
「大丈夫」
耳元に囁かれた声は善法寺先輩にしては高くて、柔らかかった。
「友達は大切にする奴は嫌いじゃない」
先輩からは仄かな薬草の香りはした。声の質も善法寺先輩のものだった。ただ、どこかが違っていた。
「先輩、あの……」
「時友、胸を張れる選択をしろ。君にはそれができるはずだよ。私と違ってね」
その台詞でそれは確信に変わる。さぁ、行きなさい、という声がかけられる。僕は振り返りもせずに駆け出した。少しだけ七松先輩の言葉が分かったような気がした。
あれだけい組を潰すと言っていても、五十嵐先輩は忍術学園の先輩なんだろう。