手綱の外れた暴れ馬は

女装少年とくのたまの段


 その日の夜、卯子は部屋に戻って来なかった。私が布団に入ってから戻ってきたのかもしれない、と思ったが、布団を使った形跡はなかったし、そもそも、あのようなことがあった時には卯子は戻って来ないような気がしていた。誰かの部屋で泊まっていたのだろうか、と思いながらぼんやりと朝の支度を済ませた。朝はそうことしおりと一緒に食べた。二人とは、卯子の次くらいによく喋る。同じくノ一志望だからだろうか。くノ一に必要なことは、食べることと寝ることだと豪語する二人だが、その日の朝は苦無の手入れ方法を喋っていた。成績はよろしくないらしいが、二人は実戦には強いらしい。くのたまらしくないわけではないのかもしれないが、二人はどこか忍たまのようなところがあるような気がした。卯子やトモミは武闘派だが、二人を忍たまらしいと思ったことはない。ただ、しおりとそうこに関しては、時々、そのように感じることがあった。
 食堂からの帰り道も、私はしおりとそうこと歩いていた。食堂を出て、しばらくしたところにある、忍たまとくのたまの教室の間。私は、そこに卯子がいるのを見つけた。卯子はくノ一教室の入口の脇の柱に縄をかけていた。
「カラクリかなあ」
 しおりが欠伸混じりのぼんやりとした声で呟く。私は、卯子から少し離れたま、そこを通り過ぎようとした。しかし、走ってくる足音が聞こえ、立ち止まる。そうことしおりは先に歩いていたが、やはり立ち止まり、私と一緒に後ろを振り返った。
「卯子、やりすぎだよ」
「なおみ」
 なおみとみかが走ってきた。卯子を咎めるなおみに対し、卯子は表情を歪めた。言うことを聞くはずがない、と私は思った。
「トモミは構わないって言っているんだから」
 みかがふわふわと笑いながら言う。
「でも、私は嫌なの」
 卯子は手を動かしながら、はっきりと言った。卯子ならそう言うだろう、と私は思っていたらしく、それに対して何かを思うことはなかった。ただ、私の知っている卯子であることに安心した。
 ゆっくりとした足音が聞こえてきた。見慣れた人影が二つ、視界に入る。
「どうしたの」
 やってきたのは亜子と恵々子だった。
「卯子、五十嵐先輩に罠をしかけるの。駄目よ、遠子先輩の獲物なんだから」
 亜子は口元に緩やかな笑みを浮かべた。
「卯子、五十嵐先輩はね、多分遠子先輩と付き合ってる」
 亜子の隣で恵々子が微笑みながら頷いた。
 卯子の手が止まった。未完成のカラクリが目に入る。みかとなおみを見る。空を見上げる。太陽が見えた。
 私は部屋まで走った。急いで授業の用意をして、ここに戻ってこよう、と。



 部屋に戻り、くのたまの友と苦無を持ち、長屋の裏から外に出る。普段みんなが使う道と反対側の道を走って抜けて行く。先程通った道の裏側の校舎裏まで辿りつくと、私は忍び足で歩いた。そして、カラクリの仕掛けてある校舎裏に、先程とは逆側から近づく。
 声はすでに聞こえなかった。卯子はカラクリを作ることをやめて部屋に戻っただろう、と私は思っていた。他の者もみな戻っているはずだ、と。ただ、人の気配はした。
「あと、こころを括れば完成、と。あとは、五十嵐先輩がかかるのを待つだけ、か」
 小さな独り言。私はその声が流れてきた方向へ一気に近づいた。
「何をしているの、あやか」
「あら、猪々子。相変わらず勘が鋭いのね」
 予想していた通りの人物が立っていた。くのたま一番のカラクリの達人。今、こうして彼女がここにいることを認識してみれば、彼女がこのカラクリを作っていたことがわかるようなヒントはたくさんあった。あの複雑なカラクリは、卯子だけで作れるはずがない。さらに、あの場にはみかとなおみがいたのに関わらず、いつも一緒にいるあやかがいなかった。
「あなたはどう思う? 卯子の元友達、くノ一志望として。五十嵐先輩のこと」
「卯子は私のことをわかってくれている」
 友達であるかどうかは重要ではない。くのたまはみんな仲間だから。だから、否定したわけではなかった。ただ、肯定したわけでもないだけ。それでも、元友達という言い方を聞きながすことはできなかった。私は、まずは卯子について一言触れる。そして、もう一度頭の中で言葉を選んだ。
「嫌な予感がするだけ」
 もっと適切な言葉があったかもしれない。ただ、私にはそれ以上の言葉を探しだすことはできなかった。
「五十嵐先輩と……遠子先輩も、何かを隠している」
 そう、と興味の無さそうな顔をしたあやかの前で、素早く苦無を出し、縄を切った。難しいことは分からなかった。ただ、切りたくなった。切ってからようやく、五十嵐先輩がこの罠にかかってほしくないと思っていることに気付く。
「本当に、嫌なところを切ってくれるね」
 あやかは笑みを張りつけたまま、苦々しく言った。切った場所を見てみれば、基礎を作る場所だった。私が切ったところは、結び直してなんとかできるところではなく、切られた時には最初から作り直さないといけないところらしい。
「五十嵐先輩に嫌な思いをしてほしくないから」
 この罠にかかったとき、五十嵐先輩は何かを失う気がした。ただ、それが何であるのか、私には分からなかった。ただ、それは誇りなんかではない、もっと具体的な何かであるということはなんとなくわかっていた。あやかは興味なさそうに、そう、とだけ答えて、私に背を向けた。私は彼女の後を追った。
 空を見る。太陽が見えた。授業が始まるまであと少しだ。
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