保健室に兄弟

夏休みタソガレドキ潜入の段


 飛び交う矢羽音は間違いなくタソガレドキのものだった。私たちはすぐに帰路につくことができた。また、一部上級生と先生方とくのたまで、黄昏甚兵衛のサインをもらうことができたらしい。園田村の守りも上手く行ったようで、怪我人は保健委員と雷蔵と七松先輩だけだった。そして、そんな彼らも手当てをされていたようだ。
「お前、何があったんだ」
 よって、一番最後に、一番ボロボロになって辿り着いたのが私だった。怪我はしていない。しかし、ボロボロだ。
「帰路で、藪漕ぎの仕事が終わったらすぐに遠子さんに置いていかれた」
 藪漕ぎの仕事がなくなり、私が用済みになった途端、遠子さんと猪々子と恵々子は私を置いて先に帰ってしまった。遠子さんは容赦なく、率先して私を置き去りにしたが、猪々子と恵々子はやや躊躇いがちで、何度も振り返ってくれた。その優しさが身に沁みた。ただ、あまり救いにはならなかった。私は藪漕ぎでボロボロに破けた服をそのままに、一人で何とか学園まで戻ってきた。
 部屋の前で出会した鉢屋は、私を上から下まで見ると、小さく溜め息を吐いた。
「まぁ、仕方ないだろ」
 嬉野遠子とはそのような人物なのだ。



 園田村の一件以来、組頭はいたく忍術学園の忍たまたちのことを気に入ったらしい。特に、五十嵐さんの兄の善法寺伊作を気に入っている、とそんな噂がタソガレドキ忍者隊に流れた。
 タソガレドキの忍者隊、構成員は皆忍者だ。組頭が隠す気のない事実がすぐに広がるのは当然のこと。和平をとりにいく道でこっそりと橋を渡らせたり、文化祭に参加したり、元来がお茶目な組頭は忍たまたちを、時にはからかいながら、積極的に関わっている。
 そして、それには私の兄、高坂陣内左ヱ門も伴っている、と。それを聞いた私は、休日に忍術学園に行くことに決めた。プロの忍者だ。忍術学園にこっそりと忍び込むのは難しいことではないだろう、と私は思っていた。
 しかし、戦の絶えぬ世を生き抜く学園への潜入は失敗に終わった。
「入門表にサインをお願いします」
 敷地内に着地した途端、気配を感じるや否や、突如一人の青年が現れたのだ。間違いなく忍術学園関係者だ。やらかした、とそう思ったが、入門表と思われる紙と筆を持って迫る青年に敵意はない。
「あっ、はい。サインをすれば良いのですね?」
 さらさらと名前を書く。どこにでもある名前だ。サインをすることには問題はない。サインをしてから入門表を返すと、青年は満足そうな笑顔を浮かべて私にお礼を言い、すぐに踵を返そうとした。
 まさか私の侵入を知らせるつもりではないのだろうか、と思い、その後ろ姿をひき止めようとした。普段の任務なら殺すところだが、今回はそんな目的で忍び込んだのではないのだ。このような状況、敵地でありながら敵地ではない場所で敵であって敵ではない者と鉢合わせるといった状況は初めてだった。私は混乱した。
 しかし、ひき止める必要はなかった。
「小松田さん、どうしたんですか」
 戸が開いて、のこのこと出てきたのは黒い癖毛に大きな目をした少年だった。五十嵐さんと同じ特徴を持ちながら、あまり似ていない、と思わせる穏やかそうな雰囲気の少年は、こちらに歩いてくる僅かな間に、何もなさそうに見える地面の中にはまった。
「善法寺伊作君、大丈夫?」
 目的地がある保健室の裏手、授業の終わった放課後、高い確率で善法寺伊作先輩と会えるように忍び込んだ。つまり、彼にすぐに会えることは偶然ではなく、意図していたことだ。
「怪我はありませんか?」
 しかし、まさか穴にはまった彼を引っ張り出すようなことになろうとは思ってもいなかった。穴は大きかったようで青年に体が痛むのか僅かに表情を歪める。青年が彼に手を差しのべる。しかし、青年は僅かばかり腕の長さが足りなかった。私は素早く手を下ろす。小松田さんという青年の手だと思って安心したのか、彼は手を握り、そして、私の方を見上げ、うわぁ、と叫び掴んだ手を離して、尻餅をついた。
「驚かせてすみません。私は高坂陣内左ヱ門の実弟です。もう兄は勘当されたので兄ではないのですが」
 自己紹介を先にすべきだったな、と私は思った。
「こちらこそ、すみません。私は善法寺伊作と言います」
 彼は私に礼を言いながら、私の手を握り、穴から這い上がった。ところで、高坂さんの弟君がなぜ、とそう尋ねた。
「五十嵐さんのお兄さんにお会いしたいと思いまして」
 私のその言葉に、青年が伊作君のお客さんだったんだね、と笑い、そして踵を返してしまった。善法寺伊作は、目をぱちくりさせながら私の顔を見た。
「あっ、妹がお世話になりました」
 そして、実はお話は伺っているのです、とぺこぺこと頭を下げてくる。そのまま、どうぞと保健室に通された。私は彼女のことを尋ねた。彼の口から彼女の学園生活が語られる。どうやら彼女は随分とやんちゃな忍たまらしい。
 そして、それを彼は咎めないようだった。



「次は高坂さんと一緒にどうぞ」
 兄の話や組頭の話、彼はたくさんの話をしてくれた。去り際、彼は私にそう言った。
「ありがとうございます。ただ、私の兄は兄ではないのです」
 善法寺伊作は、何かを思い出すような仕草をした後、そうですね、とやや残念そうに答えた。そして、やや表情を暗くしながら、何を言おうとしたのか口をパクパクさせた。
 戸惑わせてしまった、と私は思った。
「兄は幸せそうですか?」
 そう尋ねると、彼の表情がぱっと明るくなった。ええ、とそう答えて笑う彼の笑顔を見て、ああ、組頭が気に入るだけのことはあるなぁ、思った。
 コロコロと表情を変えるが、彼はとても誠実で。
「兄の話を聞きに来ても良いですか?」
「ええ、いつでも。次は伊勢も呼びますね」
 彼は妹の五十嵐さんとは一つ違いらしい。私よりも年下だ。しかし、そうは思えないような、大人びた笑みを口元に湛えていた。そう、不自然なほどに彼は落ちついていた。そんな彼が激昂することがあるなど、私は思いもよらなかった。
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