怪我人は安静に

用具委員長の段


 伊作と一緒に実習から帰ってくるなり、吉野先生に仕事を頼まれた。昨日、五年生が使った石火矢の片付けだ。今日は一年生から五年生は授業がなく、五年生が実習で使う程度の石火矢ならば俺がいなくても片付けられるはずだ。お昼時を過ぎたこんな時間まで、何故石火矢が片付けられずに残っているのだろうか、と俺は不思議に思った。
「富松君も一年生たちも見当たらなくてね」
 授業がないのだから、校外に出ていたとしても何の問題もない。シンベヱと喜三太なんかはよく外出をしている。しかし、作兵衛と平太はあまり外出をしない。
 用具委員が誰もいないというのは酷く不自然だった。
 俺は万が一雨が降っても濡れない場所に石火矢を移動させると、小松田さんを探した。


 小松田さんは校門の前にいた。休日は人の出入りが激しいから、校門の前から離れないのだ。小松田さんに尋ねると、出門表を見せてくれた。
「用具委員の子達は五十嵐君と一緒にお団子屋さんに行っているよ」
 福富シンベヱ、山村喜三太、下坂部平太、という一年生の字の下に見慣れた富松作兵衛の字、そして女っぽい細い字で五十嵐伊勢、と名前が記されている、
「五十嵐君、いつも本名で書いて、って言ってるのに……」
 小松田さんは困ったように溜息を吐いた。これが本名である、と本当のことを嘘のように堂々と言っている五十嵐の様子が目に浮かんだ。
 五十嵐がついているならば心配ないだろう。後輩が取られたようで少し悔しいが、実習だったから仕方がない。実習が多いのを理由に、仕事以外に呼び出して遊びに連れていってやることもほとんどできずにいた。少し反省をした方が良い、とそう思いながら、出門表を眺めていた時だった。
「留三郎、どうしたの」
 何、出門票、と言いながら近づいてきたのは伊作だった。石火矢の片付けが終わった後に、一緒に実習の報告書を書こうと約束していたのを俺は思い出した。
「五十嵐がうちの後輩連れて遊びに行っているらしい」
 一応妹だから、という軽い気持ちだった。
「えっ、まさか山道とか通っていないよね」
 伊作は目を丸くして、早口で尋ねた。あまりの焦りように驚く。伊作は五十嵐のことを気にかけているが、ここまで心配症ではないはずだ。
「どうした? 何かあるのか」
 不思議に思ってそう尋ねた。
「足だよ、足。まだ治っていないんだ。長い時間歩けるような足じゃないんだよ」
 そういえば、五十嵐は予算争奪戦の時に足を怪我していた。その後、完治する前に実習で同じ場所の関節を痛めた。同じ場所を痛めていたせいで、治りが遅くなっている、と伊作が愚痴を零していたのを俺は思い出した。
 まだ、治っていなかったらしい。しかし、そう考えると、一つおかしなことに気付いた。
「一昨日、組手したぞ」
 一昨日、組手してください、といつものように五十嵐がやってきたから、相手をしてやったばかりだ。まさか、まだ治っていなかったとは思ってもいなかった。
「何で止めてくれなかったんだ」
 伊作は俺の腕を掴み、声を荒らげた。これは俺も怒りの対象に入れられたということらしい。納得はいかないが、こうなった伊作はどうすることもできない。完全に怒ってはいないのが救いだ。
 伊作は激怒する時、誰の手にも負えないくらいに暴れる。思い出したくもない記憶がいくつかある。俺は何度か伊作を本気で怒らせてから、漸くこいつを怒らせない方法を学んだ。
「悪い悪い」
 それは、すぐに謝ることだ。伊作まだ正気の時点で謝っておく。別に心は籠っていなくても大丈夫だ。
「通りで治るのが遅いと思った。大体、君もだよ、留三郎。君たちはいつもいつも……」
 しかし、そうすると、このようにすぐに説教を始めるのが困りものである。それでも、あの恐怖を味わうことがないならば、と思うようにしている。しかし、実習の後、一人で石火矢を片付け、その後に伊作のお説教は辛い。
「怪我しているならすぐにでも探しに行かないとな。じゃあな、伊作、実習の報告書は任せた」
 俺は素早く出門表にサインして、小松田さんに押し付けると、門を出た。
「留三郎、僕一人で報告しろと?」
 後ろから伊作の怒った声が聞こえたが、この程度なら問題ない、と思うことにした。
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