女装少年の尊敬

夏休みタソガレドキ潜入の段


 小平太と長次と共に、俺は曲者を追った。真っ黒な森の中で、最も頼りになるのは小平太だ。小平太の動きを意識しながら、曲者を探す。すぐに、文次郎、と小平太に強く名を呼ばれ、振り返って彼の向く方向を見た。
「遅かった」
 村の中で、見事に落とし穴にはまっている保健委員たちを視界に入れて、俺は必要な情報を全て把握した。
「くそっ」
 どうやら、曲者は逃げて行ってしまったらしい。慌てて山を降りる。保健委員は下級生も多い。無事を確認しなければいけない。
「なんでこんなところに落とし穴が?」
「落とし穴ではありません」
 乱太郎の非難の言葉に応えたのは、綾部喜八郎だった。
「たこ壺三号のたーこちゃんと、四号のたーえもんです。村の土湿っぽいんだよね。おしり濡れてませんか?」
 綾部喜八郎が暢気に宣う。穴の中を見ると、一年生以外の全ての保健委員が穴の中にいた。穴は、保健委員を落とさんとしているようにしか見えないような場所に掘ってあるようだった。
 立花仙蔵が可愛がる後輩の度胸は感服物だ。しかし、仙蔵は甘やかし過ぎている。
 あの青紫の髪飾りを揺らすあの後輩の声が微かに響いたのは気のせいだ。あの時に、五十嵐敬助を止めなければこうはならなかったのかもしれない、ということは認めがたかった。
 俺は拳を振り上げた。
「たこ壺を掘るなら最前線にしろ」
 この言葉は綾部のためだ、と己にそう言い聞かせた。



 私は村の周囲の見回りをしていた。勿論、六年生のように森の奥に入ることはない。敷地内の見回りが私に任せられた役割だった。ふらふらと村と山の境目を歩いていると、何かが慌ただしく動く音がした。方向は保健委員がいるはずのお堂だ。私は慌ててお堂の方向へ走った。村の家を乗り越えていくよりも、森の中を走り抜けた方が早い。私は森の中に入った。
 お堂が見えた丁度その時、飛び出してきた伊作が穴の中に落ちた。すぐにどこからともなく綾部喜八郎が出てくる。私が叱らなくては、と思った。綾部を正当な理由で叱ることのできる機会を今度こそ逃すまい、と。
 しかし、私はあと一歩のところで出遅れた。あと少し、目の前の藪を越えれば声が届きそうな時だった。
「たこ壺を掘るなら最前線にしろ」
 鬼の会計委員長が一喝した。
 折角の綾部を不快にさせる良い機会を盗まれたはずなのに、不思議と不快にはならなかった。清々しいほどの声に、綾部が反省した顔をした。その時に初めて、唾が苦いと感じた。
 敵わない。その事実が酷く悔しい。
 私は唾を飲み込み、注意を背後に向けた。そして、すぐ後ろにいるだろうことを覚悟して振り返る。
「ばれちゃいましたか?」
 すぐ後ろの木にもたれ掛かっていたのは雑渡昆奈門だった。武器は手にしていない。
「やっぱり、忍術学園関係者だったわけだね」
 いつから気づいていたのだろう、と私は疑問に思ったが、タソガレドキから私が出ていってからだろう。伊作の前で対峙したときには気づいていなかった。
「お世話になったので、あまり刃は向けたくないのですが、学園の人に害をなすのならば、刀を抜きます」
 忍び刀に手をかける。梟がほーほーとないているのが響く。私のその様子を見て、雑渡さんは少しだけ顔の筋肉を動かしたが、何も言わなかった。
「改めまして、私、忍術学園五年は組学級委員五十嵐敬助です。忍者の卵、忍たまです。くノ一は、入学時の手違いで忍たまにされた時点で門前払いでした」
 忍び刀を向け、朗々と名乗る。この人には敵わないことは知っていた。そして、すぐには殺さないであろうことも分かった。殺したいのならばすぐに私の命など奪えるはずだし、私が刀を向けたくらいで攻撃に移らないといけないほど、実力がないわけではない。
 その証拠に、私に刀を向けられても、雑渡さんは全く動く気配がない。
「忍者は安易に名乗るものじゃないよ」
 雑渡さんはやや呆れ気味にそう言った。
「お世話になったので自己紹介くらいしても良いかな、と思いまして」
 タソガレドキではよくしてもらった。たとえ、今は敵だとしても、意味のない情報を伝えるのは悪くはない。忍術学園の生徒であることが分かってしまえば、私の名前も所属も何の役にもたたないはずだ。
「それで、うちでは何やってたの?」
「夏休みの宿題です。内容は矢羽音の解読です」
 私は即答した。すると、雑渡さんはため息をついた。
「言っちゃだめだよ」
 その言葉に、ああ、この人は城つきの忍者として生きることが生まれながらにして定まっていたからな、と思う。
「私はフリーの忍者にしかなれないでしょう」
 私は卒業をしてから、就職ができない。それはずっと昔からわかっていたことだった。昔のように実技で同学年の仲間には敵わない。それどころか、差は広がるばかりだ。その上、女であることを生かしたくノ一の術も知らない。見よう見まねのくノ一の術しかできない私を雇いたい城などあるはずがない。
「私は主君への忠誠ではなく、己の身を優先しなければいけません。これが先生にばれなければ全く問題がないということです。もし、これが重要なものであったら言いませんが、この一件が終わればすぐにまた変えられるのでしょう。それなら、変に疑われたくないので、正直に申し上げますよ」
 私はフリーの忍者として生きていくしかない。それを意識しているからこそ、私は多くの忍たまが選ばない方法を選ぶことができる。それが良い方法だとは思わない。ただ、い組嫌いの性格の悪い女装少年にはお似合いだ。
 勿論、それだけではない。私はタソガレドキ忍者隊にはお世話になったから、彼らに無駄な仕事をさせたいとは思わない。
「そうだね、最善の選択だよ。それに君は運が良かった。もうこの一件は我々の中では終わりに近づいている」
 その言葉にわずかに首を傾げる。まだ何も終わっていないはずだ。まさか、忍術学園相手に、容易に園田村が攻めることができるとは思っていないだろう。ということは、タソガレドキ忍軍の仕事は別にあるということなのか。確かに、仕事をしているには、緊張感がなさすぎる。
「しかし、君は忍者に向いていないんじゃないか、お兄さんのように」
「それもばれちゃいましたか」
 どうやら、私が伊作の妹であることにも気付いたらしい。伊作には戦場で会って、昨日の夜も、そして今晩も会っているのだから、気付いてもおかしくはない。しかし、今までほとんど気付かれることがなかかったため、私は目を丸くしてしまった。
「うん、なんとなく似ているとは思っていたんだけど。そうそう、君のお兄さんの名前を教えてもらえない」
 似ているのか、とそう思いながら、ふわりとわき上がる疑問を感じた。
「六年は組保健委員長善法寺伊作ですが? どうして、兄の名前を?」
 兄の名前を知ったところで何にもならないはずである。
「善法寺伊作君ね。理由は簡単だよ。次に会ったときに名前を呼ぶことができたら良いなあと思ってね」
 何があったんだ。そして、伊作は何をしたんだ。
 おどけた様子でそう宣うタソガレドキ忍軍忍組頭を前に、私は思った。
「では伊作君に免じて今までのことはちゃらにしてあげよう。良いお兄さんを持ったね」
「ええ、自慢の兄です」
 森の中に消えるその背に向かって、私はすぐにそう返した。
 優しくて強い兄だ。よくわかっている。だから、すぐに、そして自然にそう返すことができる。本人の前では言えるわけがないが。
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