次の日。 今日は9代目は仕事があるらしく、2人で朝食を食べている時に申し訳なさそうに言われた私は、ボンゴレ邸の庭を散策させていただく事にした。 幸いにも、9代目からは鍵の掛かっている部屋以外なら庭だろうが何処でも好きな所を見て回っていいと言われたので、早速お言葉に甘えさせてもらおうという訳だ。 「んんーっ。朝はやっぱり気持いなぁー」 カシミヤのケープと耳当てを身につけて外へ出でみると、爽やかな朝の陽ざしをいっぱいに浴びて、思わず顔がほころんだ。 イタリアの気候は、日本よりも過ごし易くなっているらしい。………ケープは要らなかったかもな。 「にしても、ほんとにこの服、貰っちゃって良かったのかな……」 言いながら、朝メイドさんに9代目からですと言われて渡されたケープとワンピースの端をちょいと持ち上げた。 白と青を基調とした所々にあしらわれたフリルとシルクのリボンが可愛らしいこのワンピースとそれに合わせられたケープを最初に見せられた時は、受け取れませんと突っぱねたんだけど。 9代目が自分で選んで、しかもこれを私が着る事を心から楽しみにしているご様子でした、と言われてしまったら、もう何も言えなかった。 一応、朝食を9代目と一緒にした時にこんな良いモノを戴いてしまっていいんですかと聞くと、勿論、と笑顔で返された。 “初音ちゃんと話していると、まるで女の子の孫が出来たようで、とても嬉しいんだよ。迷惑でなければ、そういう風に振る舞わせてくれないかい?” そう、本当に楽しそうに言う9代目を見たら、要りませんなんて突っぱねる事は出来なかった。 なんて朝の出来事を思い出しながら、ここの広い広い庭を見て回る。赤、白、黄色のウィンターコスモスや、ちょっと毒々しい赤のカンパチュラ。 他にも、普段あまり目にする事のない花のオンパレードに、だんだん楽しくなってきた。夢中になって花を見ながら庭を歩き回っていると、背の高い木の向こうに、建物があるのが見えた。 「………何だろう、あれ」 木、と言うよりも森と言う方が合っているそこに、まるで埋もれているかの様に尖ったてっぺんをちょろりと見せるそれ。 何と無く気になって、見失わないようにしながらゆっくりと近づいて行った。 鬱蒼と生い茂る木々を避けて進んで行くと、薄暗い木々の間から光が差し込んでくる。それに目を細めると同時に、一気に視界が晴れて、明るいグリーンと一緒にガラス張りの建物の全貌が見る事が出来た。 「う、わあ………っ」 建物の姿を完全に見て、私は思わず歓声を上げた。 そこにあったのは、大きなガラス張りの温室。あの背の高い木の上から見えただけあって、やっぱり大きさも相当なもので、太陽の光の影響か、温室全体がキラキラと光っていた。 「すごい……ガラスで出来た鳥籠みたい」 入り口に近づいて扉をそっと押すと、いとも簡単に開く。それに導かれるように中へ入ると、視界いっぱいに広がる様々な色や形の薔薇に迎えられた。 「わ…わ、すごいすごい! こんなにたくさんの薔薇、初めて見た……っ」 一般的にメジャーなモノはもちろん、野薔薇やコウシンバラやロイヤルハイネス。 他にも、数え切れないくらいたくさんの、けれど決してしつこく感じない花の群れに、無意識のうちに顔が綻ぶ。 「気持ちい……。温室だから暖かいし、外の陽射しも穏やかだし」 やっぱり、ケープは要らなかったかも。 そう思いながら、夢中になって温室の中の薔薇を見ていると、不意に何かにつまずいた。 「えっ!? わ、わっ……!」 急にぐらついた足元に驚いて、ろくに体勢も立て直せないまま床に背中を打ち付けた。 「い…ったぁ」 「っ!? だっ、大丈夫ですか!?」 「へ………?」 したたかに打った背中の痛みに、顔をしかめて小さく呻くと、それにかぶせるように聞こえた声に、驚きで一瞬痛みを忘れた。 男の人の声だ。 うっすらと目を開けると、仰向けに倒れている私を上から見つめている人影があった。 「あ、あの、申し訳ございません! 拙者、バラの世話をしている途中でつい居眠りを……本当にすみませんでした!!」 「せ…しゃ……?」 逆光で顔は良く見えないけど、その独特の話し方と声で、大体彼が誰なのか解ってきた。 「貴方…は……?」 「あっ。申し遅れました。拙者はバジルといいます。………お手をどうぞ。それと、お主の名前も、教えていただないでしょうか」 私の質問にきびきびと答えて、手を差し延べてくれているこの少年は、家光さんがボスを務める、門外顧問チームのバジルくんだった。 「へぇー。じゃあ、この温室に咲いてる薔薇って、全部バジルくんが育ててるの?」 「はい。最初はちょっとした趣味程度に小さい薔薇を部屋で育てていたんですけど、その咲いた薔薇を見た親方様が、こんなに綺麗な薔薇を部屋だけに置いておくなんて勿体ない、とおっしゃってくれて。それで、その事を9代目に話して、使われていなかったこの温室を、拙者の好きに使っていいようにして下さったんです。拙者は薔薇がとても好きなので、この温室にあるのは全部薔薇なんです」 「じゃあ、ここって薔薇園なんだ! 素敵!」 あれから、バジルくんと自己紹介をし合ってから軽く話をすると、意外に彼とは話が合う事が解って、まだ会って数分だっていうのに、お互いにもう意気投合していた。 その間にバジル君が話してくれているのは殆どが門外顧問の、それも親方様こと家光さんの事で、バジルくんが彼のこととても慕っているのが容易に解った。 バジルくんから聞く“家光さん”は、明るくてフレンドリーでとても頼れる人。 それを聞いただけで、最初、どれだけ私は警戒され、そして敵視されていたかを、よりはっきりと理解してしまった。 「……あ、そうそう初音殿。薔薇はお好きですか?」 「? うん、好き。薔薇にかかわらず、綺麗だったり可愛かったりする花はみんな大好きよ」 「本当ですか! なら、拙者に是非、初音殿にこの温室の薔薇たちの案内をさせて下さい」 「もちろんよ。こちらこそ、是非お願いするわ」 私がそう言うと、バジルくんは楽しそうに笑うと、私の手を引いて、1輪1輪指をさして薔薇の説明をしてくれた。 「あの赤い薔薇はヘルツアス、あの白いのはポールリカード。そこにあるピンク色の花はヘリテイジです。それと、あそこにあるあの小さな白い花はロサ・カニーナ。ああ見えて立派な薔薇です。和名ではイヌバラと言うんですよ」 「へぇー…ほんと。薔薇じゃないみたい」 バジルくんが指を指しながら教えてくれる薔薇の数々に、素直に感嘆の声を上げた。 特に今言われたロサ・カニーナなんて、知識がなかったら、とても薔薇だとは思わないだろう。 「ローズヒップとして、お茶やジャムにするのもこの品種なんですよ」 「えっ、嘘!」 「本当です」 つい大きな声を上げると、バジルくんにくすくすと笑われてしまった。 それがなんだか恥ずかしくって、顔を赤らめさせて俯くと、バジルくんにすみません、と謝られた。 「もう……」 「ははは。すみません初音殿。どうか機嫌を治して下さい。拙者のとっておきの薔薇をお見せしますから」 何だか悔しくてぷう、と頬を膨らませると、苦笑したバジルくんがそう言った。 ……こっちに来る前は高校生だった私が年下の子にこんな風に接せられるのはちょっと不満だったけど、その“とっておき”の薔薇が見たかったのもあって、素直に頷いて、また彼に手を引かれるままついて行った。 「…………ここです」 「わ………っ」 バジルくんに案内された所には、他の華やかな色をした薔薇とは違って、少し大人しめの色をした薔薇があった。 まるでドレスのレースみたいな花弁に、少し地味な色合いにも関わらず、不思議と惹かれて、思わず魅入った。 「……拙者は、この薔薇園一杯に沢山の薔薇を育てています。どの薔薇も拙者が丹精込めて精一杯そだてた大切な薔薇です。拙者はここにある薔薇全てを愛しています。……でも、中でも、この薔薇が一等好きなんです。 ジュリアといって、ほら、このまるでドレスのレースの様な花びらが美しいでしょう? 拙者は、この控えめながらも美しく優雅な姿に、魅せられたんです」 言って、愛おしそうにその薔薇を撫でるバジルくんを見て、本当にここの薔薇を大切にしてるんだな、と思った。 それに、バジルくんがこの薔薇を良いと思っている所が私と同じような所だったのが、何だか嬉しかった。 「………私も、この薔薇好きだなぁ」 「えっ、本当ですか?」 「うん。とても」 頷いて、バジルくんと同じように薔薇…ジュリアを撫でる。 それから、拙者の育てた薔薇を好いていただいて嬉しいです、と呟く様に言ったバジルくんの頭をよしよしと撫でた。 「初音殿……は、いつ日本に帰るんですか?」 「んー、明日、だね。多分だけど」 正直なところ、私にも自分のこのイタリア旅行の予定は良く解っていない。昨日一応当初の目的は達成出来たから、明日にはもう、帰ると思う。 「………では、初音殿が日本に帰られたら、送ります。ジュリアの苗木。育て方を書いた手紙を添えて」 「まあ、それは嬉しいわね」 「絶対、絶対に送りますから」 「ええ。楽しみにしてる」 小さく呟くバジルくんに相槌を打ちながら、私はずっと、バジルくんの頭を撫でていた。 ♪ 昨日と同じく爽やかな晴れた空の下で、私は9代目と家光にぺこりと頭を下げた。 「2日間、色々とありがとうございました」 「いやいや、こちらこそ。初音ちゃんのような可愛らしい女の子と話す事が出来て、とても楽しかったよ。本当に、孫が出来たような気になってしまう程にね」 ぽんぽん、と頭を優しく撫でてくれる9代目に、へにゃ、と笑みを返す。 こんな事をさらりと言えてしまう辺り、流石はイタリア男だな、と思わざるをえない。 9代目の意外な一面を見つけて、思わず小さく笑っていると、家光さんが複雑そうな顔をして、私に一通の手紙を差し出した。 宛名も何も書いてない真っ白な封筒に、不思議に思って家光さんを見ると、バジルからだ、と言われた。 「え?」 「…その……バジルがね。昨日、俺に初音ちゃんを知っているかと聞いてきたんだ。それで、知っていると答えたら、この手紙を君に、と」 「バジルくん、が」 まさかバジルくんからこんなものを貰うなんて思わなかったから、ちょっとびっくりした。 じっとバジルくんからの手紙を見つめていると、後ろからプー、と小さくクラクションが鳴らされて、驚いて振り向くと、ディーノさんが爽やかな笑顔を浮かべてお洒落な赤いスポーツカーから降りてきた。 「よう。久しぶりだな、初音」 「おはようございます、ディーノさん。今日は、日本までわざわざついて来てくれると言ってくれて、ありがとうございました。よろしくお願いしますね」 「ははっ、良いって良いって、気にすんな。俺の方も、そろそろボンゴレの次期10代目候補を見てみたいと思ってたとこだしな」 ディーノさんにぺこりと頭を下げると、あっけらかんと笑い飛ばされた。相変わらず、眩しい程に爽やかだ。 ディーノさんは、綱吉の事を見に行くついでに、私を日本に連れて行ってくれると言ってくれた。 1人と1匹でよりも人がいた方が楽しいと思うから、私としても嬉しい。 「んじゃ、行くか」 「はい」 ディーノさんの言葉に頷いて、車に乗る為に彼の後に続いた。………その途中で、9代目が私の事を孫の様だと言ってくれていたのを思い出して、くるりと彼等の方を振り返った。 不思議そうな顔をする9代目に、声を張り上げる。 「あのっ! 私、これからは、9代目の事、お祖父様って、呼んでも良いですかっ? 私も、まるでおじいちゃんが出来たみたいに思えて、嬉しかったから!」 自分で言ったくせに、言った直後に恥ずかしさからかーっと顔が赤くなる。 引かれるかな、と少し不安になりながら言うと、9代目は、勿論だよ、と笑顔で言ってくれた。 その声色には嫌悪感やいや、という気持ちは込められていなくて、私はありがとうございます! と笑顔で返した。 バジルくんに貰った手紙には、彼のパソコンのメールアドレスと、Arrivvederciという言葉が書いてあった。 CEDEFとジュリア (色々あったけど)(楽しい3日間だったなぁ) 作中の中で出てきた薔薇情報はほんとうです。ネットで調べました。 本当に薔薇っていろんな種類があって、しかもみんな綺麗だったり可愛かったりするので、興味をお持ちになった方は是非調べてみて下さい。 ちなみに、ジュリアは私が一番好きな薔薇だったりします。なお、バジルくんの薔薇の好みと薔薇園の事に関しては捏造です。 今回のコンセプトは、“ヒロインに9代目を「お祖父様」と呼ばせよう”、でした(笑) 2011.1.2 更新 加筆 2011.10.4 ←prev ← |