小説 | ナノ


ココロの深淵





時 遡る事数年

2人は出会った

片や 全てを失った少女

片や 虚(ウツセ)の時を生きる青年

そんな2人が出会ったのは

まるで 氷のように冷たい雨の中だった















「ハッ…ハッ……」

只一心に、前を見て走る。
冷たい雫が、頬を伝って、白を染めていく。

「此処は…何処っ……」

走っても走っても、見えるのは知らない者、知らないモノしなかない。
そもそも、私の記憶(ナカ)に、知ってるモノが何一つ残っていない。
知っているのは、自分の名前が“初音”だという事だけ。
後は何も解らないし、思い出せない。

「きゃっ…! もうなんなのっ!?」
「すみませんっ……」

ぶつかった女性が甲高い声を出して怒る。
それに平謝りして、また引き続き走り続けた。

「アッ……」

躓いて、水浸しになった地面に身を打ち付けた。
周りを見ると、いつの間にかさっきとは違う建物が並んでいた。

「疲…れた……」

このまま、死んでしまうのかな。
そんな事をぼんやり思って、それも良いかもしれないと思う。
だって、何もかも、解らない事だらけじゃないか。
こんなの、ずっと続けていても意味が無いもの。

そう思って、近くにあった壁に背を預け、膝を抱え込む。
もうこのまま死んだっていい。
そう思いながら目を閉じた時、不意に雨が止んだ。

「………?」

のろのろと顔を上げると、そこにはこの冷たい水を弾く黒色をした布と、綺麗な顔をした青年がいた。

「お嬢さん? どうして君は、こんな冷たい雨の中、傘も差さずにそんな格好をしているんだい?そっち系のおっさん方に連れて行かれてしまうよ?」
「……………?」

雨で言葉がよく聞こえず、ゆるく小首を傾げると、頭上の青年が困ったように笑う気配がした。

「うーん…やっぱり日本人じゃないのかな…」
「giapponese(日本人)…?」

すべらかに口から零れ出た言葉に、内心目を丸くする。

こんな言葉、覚えた覚えはなかったのに。
しかしそんな自分とは裏腹に、青年は嬉しそうににっこりと笑った。

「そっか! 君はイタリア系の人なんだね?えっと…じゃあ、I giapponesi possono parlare(日本語は話せるかい)?」
「……Probabimente(多分)」

そう答えると青年は優しく笑うと、そっと手を差し延べてきた。

「おいで。いつまでも此処にいたら、風邪をひいてしまうよ? …………っと、自己紹介がまだだったね。僕は草耶。君は?」
「……………………初音」

そう言ってふにゃりと笑う青年の手を、私は何故か戸惑いなく取った。





「――――つまり、その人が後の初音の義理のお兄さんって事?」
「そう。えっと……」

本棚に近づいて、一冊のアルバムを手に取って、また綱吉の所に戻って、一枚の写真を差した。

「この人」
「めちゃくちゃ格好良いじゃん!! オレに似てるトコ一つも無くない!?」
「んーまぁー…綱吉は可愛い系だもんねー」
「いや可愛い系でもないし!!!」

手を顔の前でぶんぶん降る綱吉にくすりと笑って、綱吉に言った。

「確かに顔は似てないけど、何て言うのかな…性質が似てるの」
「性質……?」
「うん。綱吉も草耶さんもね、一緒にいると、こう…胸が暖かくなるの」
「ふぅん……?」

あ、あの顔じゃ良く解って無いな。
そう直感して、「仕方ないなぁ…」と内心苦笑する。
あ、そういえば、草耶さんもそんなトコがあったなぁ……。





「それじゃあ、この子綺麗に洗ってあげてね。ついでに小さい着物をちっちゃくして、着せてあげて。………頼める?」
「「「もちろんですとも。お任せ下さい坊ちゃま」」」

語尾にハートマークが付きそうな声を揃えて同じ角度で首を傾げる3人の女性に、草耶と名乗った青年に背中を押されながらつい目を白黒させてしまった。

「ああっ驚かせてしまったわ。どうしましょう」
「それより、この子顔が真っ白だし体がとても冷えているわ。早くお風呂に入れて暖めて差し上げないとっ」
「まあ、それにしても何て鮮やかな桜色の髪に美しい金色の瞳でしょう。見る物を魅せつけて離さない色だわ」
「………??」
「あははっ。君達、初音が困惑しているだろう? あまり騒がないであげて」

きゃあきゃあとはしゃぐ3人に困惑した目線を送っていると、青年が苦笑いしながら嗜めてくれた。

「はいっ。承知致しましたわ坊ちゃま」
「ささ、こちらへいらっしゃいな」
「わたくし共がきれーいにして差し上げますわ」
「わぁ、それはとても楽しみだなぁ」
「…………!?」

早口で喋る3人の言葉が上手く聞き取れず、青年と女性達を交互に見ていると、3人のうち2人に両手をがっちりホールドされ、もう1人が足を持ち、瞬く間に連れて行かれてしまった。

「行ってらっしゃーい」
「………………っ!!!」

ついでに、にこやかに笑っている青年を睨むと、先程とは打って変わって意地悪そうな笑みを返された。
……………正直言って、怖かった。

「さあ、お嬢様。お湯加減は如何ですか?」
「まあ、髪がとてもさらさらとしていますね。羨ましいですわ」
「あらあら、お肌もすべすべ。若いって素晴らしいですわね」
「……………」

1人は髪を洗い、1人は体を洗い、1人はすぐ傍で着物(と呼ばれていたモノ)を繕っていた。

何故こんな所で縫い物をしているのかとか、何故身体を洗うだけなのにこんなにベタベタ触られているのか、とか。
言いたい事は山ほどあったが、3人のテンションに圧倒され、硬直しているうちにお風呂が終わり、また(今度はキモノを着て)青年の前に連れて来られた。

「へぇ……! 予想以上だよ初音! うん。やっぱり可愛いね」
「…………」

真っ直ぐ目を見て言われた「可愛い」の言葉に、つい照れていると、脇に手を入れられ、ひょいと
持ち上げられたと思うと、膝に乗せられていた。

「………………?」
「よし。じゃあ髪を乾かすのは僕がやるから、君等はもう下がっていいよ」
「「「はい。草耶坊ちゃん」」」

不思議に思い青年を見上げると、青年は気づかないフリをして、さっさと女性3人を下がらせてしまった。
ぺこりとお辞儀して去って行く3人を見ていると、突然頬に温かい風が当たった。

「っ…!?」
「あはは。びっくりしたー?」

まるで悪戯が成功した子供のように無邪気に笑う青年を睨みつけると、青年は微笑みながらぽんぽんと私の頭を叩いた。

「髪、乾かすだけだよ。……もしかして、ドライヤーも知らないの?」

無言で頷くと、青年は驚いたような顔をして私を見た。

「そっかぁ…簡単に言えば、髪を早く乾かす装置だよ。まあ見てて」

そう言うと、青年はその黒く光るドライヤーを私の頭部辺りに動かした。
温かい風が頭に当たり、肩より少しだけ伸びた髪を手櫛ですかれると、何だか眠くなってきた。
うとうとと船を漕いでいると、視界の端にちらちら映っていた桜色が、白くなっているのに気づいた。

「ぅ………?」
「あれ……? 髪が白に………」

おやおやといったように首を傾げる青年に、私も同じように小首を傾げる。しばらく2人でおやおやと顔を見合わせて首を捻っていると、青年がにっこり笑って抱きしめてきた。

「ぅうっ!?」
「考えても解らない事は考えない! 寝よっか。残念ながら、この家には布団が一組しかないんだ」
「っ…………」

口を開いて言葉を発しようとしたが、声が掠れて話せない。
私がぱくぱくと口を開けたり閉じたりしているのを見て、青年は何を思ったのか、自分のポケットをごそごそとあさって飴を取り出した。

「……………?」
「これはのど飴っていってね。喉の調子を良くするんだよ。………はい。口開けて?」

言われた通り口を開けると、口にその飴を入れられた。口の中に広がるさくらんぼの甘い味に、つい頬が緩んだ。

「あ、やっと笑ったね」
「ぇ…………?」
「だぁって、初音全然笑ってくれないんだもん。嫌われたかと思っちゃった」
「…………気安く名前、呼ばないで……」
「あははー。ツンデレ?」

ツンデレってなんだ、ツンデレって。
あと、恩人を嫌いになれるわけ無いじゃないか。
そういう意味を込めて睨むと、青年はまたへらりと笑った。

「僕の事は草耶って呼んでねーっ」
「…ヤダ………」
「えー」

子供みたいに私を抱きしめて口を尖らせる青年を見ながら、小さく問いかけた。

「……“Complesso di Lolita”って、知ってる…?」
「え………? ああ、うん。アレでしょ?もちろん知ってるともさ」

あ、解って無いな。だって、この言葉の意味って「ロリコン」だもん。知ってたらもうちょっと違うリアクションをとると思う。
そう思いながら、彼の胸板に顔を押し付けて、小さく「草耶さん」と呟いた。





「とりあえず、その頃の初音はツンデレだったんだ」
「いやいやいや! 違うって! 断じてツンデレとかじゃないから!!」

妙に納得したような顔をして頷く綱吉に、ちょっと必死になって手をぶんぶんふると、解ってるよ、と笑われた。
…………むぅ。ちょっと意地悪だぞ綱吉。

「まあそんなわけで、その次の日草耶さんと2人で話し合った結果、私は義妹として桜龍寺家に置いてもらう事になったの」
「成る程。っていうか、何で初音は「お兄ちゃん」とか、そ…「草耶兄」とかじゃなくて「草耶さん」って呼んでるの?」
「え…、うーん…なんでだろ?」
「え、疑問形!?何か理由とかって無いの!?」
「うん…特には……あ、初恋の人だったからかなぁ」
「うえぇ!?」

綱吉の質問に素直に答えると、物凄く驚いた顔をされた。
そんなに意外に思う事かな、失礼しちゃう。

「いーじゃん別に。誰に迷惑かけてる訳でもないもん。それに、それはまだ小さかった頃の話よ。今は違うもん」
「解った解った。拗ねるなって」
「拗ーねーてーなーいー」
「はいはい」

ぷい、とそっぽを向いて言うと、綱吉によしよしと頭を撫でられた。

「…………子供扱いしないで」
「痛たたた……ごめんごめん…」

子供扱いされるのにムカついて、綱吉の手を払ってきゅうっ、と強めに抓ると、綱吉が眉を八の字にして困ったように苦笑して謝った。
……………やっぱりなんか子供扱いしてる。

「まあまあ。ほら、話続けて?」
「はぁーい……。それで、身体検査とかDNA鑑定とか、骨の成長具合を検査してもらって、私は9歳だって事と、日本人とイタリア人のハーフだって事が解ったの。
あ、ちなみにね、私の世話をしてくれてたあの3人の女の人はそれぞれ伊咲、茉咲、美咲っていってね、三姉妹なんだ」
「そうだったんだ…たしかにそんな感じがしたけどね」
「あはは。やっぱり?」
「うん。…………あ、ねぇ初音、お義兄さんとはどのくらい歳離れてたの?」
「4歳だよ〜。昔っから何でも知ってる物知りさんなの」
「……………そっかぁ。初音は、お義兄さんの事がホントに大好きなんだね」
「もちろん!」

そう言ってにっこり笑うと、綱吉は何故か少しだけ寂しそうに笑った。
それの理由が解んなくて首を傾げていると、綱吉が身を乗り出して質問してきた。

「お義兄さんは、初音にプレゼントとかってしてくれたの?」
「うん。けっこういっぱいくれたよ。えっと……」

また一旦立ち上がって、戸棚の中から蓋に石がたくさんついてる箱を取って戻った。

「この中にね、草耶さんがくれたのはだいたい入ってるよー。あの人基本的に貴金属くれるから」
「へぇー。にしても、この箱も凝ってるね。石が桜の形に並べられてるもん」
「特注なんだって」
「オーダーメイド!?」

私の言葉に綱吉は衝撃を受けたらしく、うなだれて何かぶつぶつ呟いていた。

「マジかよもぉ金持ちって何でもアリかよ………」
「? 綱吉……?」
「えっ…あ、いや、何でもないよ! 続けて続けて」
「そ…? えっと、それで何年か一緒に過ごしてね、桜龍寺家に迎えられて結構経ったある年の…私の誕生日にね、このヘッドフォンをくれたの」

そう言いながら、木箱の隣にあるヘッドフォンを見せる。
白地にわりとゴツめの作りになっていて、耳に当てる部分の真ん中が淡い桜色になっていて、アルファベットで私のイニシャルが刻まれているというものだ。

「可愛いね」
「でしょう? お気に入りなの」
「……………の割には、あんまり楽しそうに見えないけどな」

綱吉のその言葉に、私は驚いて顔を上げると、綱吉が心配そうな顔をしていた。

「何かあったの?」
「うん。………話しても、良い?」
「もちろん」

不安になって、綱吉の顔を覗き込んで聞くと、綱吉は安心させるようにふんわりと笑ってくれた。





「はい。初音」
「ふぇ?」

4月4日。つまり私の誕生日。
ひょいと手に乗せられたモノを見て、私は首を傾げた。

「解んない? ヘッドフォンだよ、ヘッドフォン。それも初音のイニシャル入りの」

そう言う草耶さんの言うとおり、ヘッドフォンのピンク側面には、私のイニシャルが白い文字で印刷されている。

「それは解るけど…何でヘッドフォン?」
「そりゃあ勿論、今日が君の誕生日だからさ。つまりバースデープレゼントだね」

リボンがついているヘッドフォンをしげしげと見ながら言うと、草耶さんは自分の臙脂色のネクタイを結びながらあっけらかんと言った。

「あれ、今日私の誕生日だったっけ?」
「そうだよー。忘れてたの?」
「うん。すっかり」

草耶さんの質問に正直に答えると、少々困ったように苦笑された。
………何さ、その反応。

「自分の誕生日くらい覚えてよー」
「しょうがないじゃない。最近忙しかったんだもの」
「まあそうだけど……」

不満そうに呟く草耶さんに笑いながら、真っ白な膝上ぐらいの丈のワンピースに、薄い橙色のカーディガンを羽織る。
実は今日、私と草耶さんとの2人っきりでのお出かけなのだ。
なんでかなーって不思議に思ってたんだけど、なるほど。そーゆー事だったのか。

「でも大丈夫。草耶さんの誕生日はしっかり覚えてるから。10月27日」
「それはそれは。嬉しい限りですな」
「棒読みー」

くすくす笑いながら小さめのショルダーバッグを肩にかけて、玄関に置いてある淡い色のミュールを履いた。
それから助手席に私。運転席に草耶さんが乗って、私はご機嫌に言った。

「それじゃあ、出発進行ーっ」

その言葉と同時に、車は緩やかに発信した。
――――そして、ソレは起こってしまった。

車を走らせながら、草耶さんはいかにも不機嫌そうに口を尖らせた。

「なーんで僕があげたヘッドフォンして来なかったのさ」
「だって、もったいないじゃない。家に帰ってからするの」
「えー。僕としては、なるべく早くしてほしかったんだけどなー」
「まーまー、良いじゃない草耶さん! ってそういえば、草耶さん、いっつもそのプリズムのペンダントしてるよね、そんなに大事?」
「大事大事。だってこれは、僕の大切なお守りだからね」
「へーえ」

いつも見えるようにYシャツの上に出している、ダイヤに近い形をしたプリズムのペンダント。
それを穏やかな目で見つめる草耶さんをじいーっと見つめていると、突如目の前に、灰色の大きなトラックが飛び出して来た。

「え………?」

状況を良く理解出来ないうちに目の前が真っ黒になって、気づいたら、見慣れない白い天井が見えた。

訳が解らなくて、しばらく天井を見つめていると、看護師と思わしい人が、神妙な顔をして入って来た。

「桜龍寺…初音様で、間違いないでしょうか……」
「あ…はい。そうですが……」

私がそう答えると、その人は少しだけほっとしたようなため息をついた後、直ぐに悲しそうな顔をした。

「実は、貴女のお兄様の事なのですが………」
「草耶さん…? そうだ、草耶さんは? ここにいるんですか?」

私が聞くと、その人は明らかに悲痛そうに顔を歪めた。

「実は…――――」




「はっ…はっ……」

病院の廊下は走ってはいけないなんて。
そんなのはお構いなしで、ただ一心不乱に走る。

「覚えておられないかも知れませんが、貴女と貴女のお兄様が
乗っていた車は、居眠り運転をしていたトラックに衝突されまして」

「嘘だ……」
「運良く貴女は一命を取り留める事が出来ましたが」
「嘘だ……」
「貴女のお兄様は」
「嘘だ………!!」

バン。
大きな音を立てて扉を開けると、涙で目を真っ赤にさせた伊咲と茉咲がいた。

「お嬢様……」
「茉咲…伊咲…草耶さんは……」

嘘だよね、まさか、草耶さんが死んじゃうわけ無いよね。
「はい、勿論ですとも」そう言ってくれると信じて。
質の悪い冗談は嫌いだけど、今なら笑って赦すから。
お願い。そんな願いを込めて2人を見たけど、2人は私をそっと部屋の真ん中に置かれたベッドに誘った。

「草耶坊ちゃんはこちらです。初音お嬢様」
「嘘………」

ベッドにいる、布団を肩まで掛けられて、顔には薄い布を被せられた近づく。
顔に被せられていた布をそっと取ると、何時もと何等変わらない草耶さんの顔があった。
まるで眠っているみたい。
女の人のような男の人のような中立的な白くてきめ細かい肌。
いつでも目を開いて、また初音って笑いながら呼んでくれるような、錯覚を覚えてしまう。

「ねぇ…草耶さん、ホントに死んじゃってるの……?」
「……………はい」

涙を堪えるように呟かれた小さな声。
それを聞いた途端、私の涙腺は呆気なく崩れた。
ベッドの上に横たわる草耶さんに縋り付いて、初めて声を、大声を出して泣いた。声が枯れるまで泣いて、世界が一気に色褪せた。
セピアでも、モノクロでもなく、灰色に。
草耶さんは、遺産は全て私に相続させるように、会社も財産も自分が手中に納めているモノを全部、私に託すようにと遺言書に書き記していた。
彼が大切にしていたあのペンダントも、形見として受け取った。

私は別に何も要らなかった。
今まで自分に全く関心を持たなかった大人達が、こぞって私に媚びを売って、少しでも財産のお零れを取ろうと思うのか、全く解らなかった。
だって、1番大事なモノは、もう手に入らないじゃないか。
お金で買えないモノが無くなってしまったのに、何でこんなのを大人達が欲しがるのか、どうしても理解出来なかった。

大人は汚い。大人は醜い。
そんな大人達に、草耶さんが私に遺して逝ってくれたモノを、みすみす渡すなんて、絶対に嫌だ。
だから、私は、ソレを護って行こうと決めた。
だって、ソレ以外に私には、もう何一つ残っていなかったから。





正座した膝に両手を置いた私を、綱吉はただただ唖然としたように目を見開いて見ていた。

…………同情、されるのかな。
それはやだなぁ、とぼんやり考える。
他者が他者に同情の念を抱くと、その時点で対等な関係は無くなる。
綱吉はもう私にとってなくっちゃダメな存在だから、綱吉とは対等でありたい。
そう思っていると、綱吉がゆっくりと口を開いた。

「………………びっくり、した、よ」
「………へ」
「初音、いっつも楽しそうに笑ってたから。…………気づけなくて、ごめん」
「なんで」

気づいたら、口から言葉がこぼれ落ちていた。
今まで言う事の出来なかった時間を埋めるように、私は止められず喋り続ける。

「綱吉、全然悪くないじゃん。悪いのは、私じゃん。
だって、草耶さんのお母さん…私の義理のお母さんだって、要らない子って、いなければ良かった子だって、親族の人達だって、お前さえいなければって、お前さえ………」

紡がれようとしていた次の言葉は、綱吉の人差し指が私の唇に当てられる事によって止められた。

「良いから。もう喋んないで。自分自身で、自分を傷つけるような事、言わないで」

真剣な顔をして言う綱吉は、私の唇に当てられた自分の人差し指を今度は自分の唇に持って行って、しーっというジャスチャーをする。

「良い子だよ、初音は。良い子良い子」
「……………“良い子”? 私が?」
「うん」

少々唖然として聞くと、綱吉は両手を広げて笑った。
草耶さんと同じ、あの日だまりみたいな、見てるだけで心があったかくなるような、優しい笑顔。

「でもね、良い子のいけない所は、頑張り過ぎちゃう所なんだよ。
もう十分過ぎるくらい頑張ってるのに、もっともっと頑張ろうとするから、パンクしちゃう。良い人程早く死ぬって、結構的を射た言葉だよね」

綱吉はじっと、優しい目をして私を見つめる。

「お疲れ様。もういいよ。もう、頑張らなくていいよ。
確かに昔は酷く辛かったと思うけど、初音はオレや、皆と出会って変わった。……でしょ? 孤独な女の子は、もうここにはいないんだよ。……おいで」

つい、と私の胸を指差して言う綱吉に、眼を大きく見開く。
そしてその言葉をかわぎりにして、私は思いっきり綱吉に抱き着いた。
わんわん泣いた。あの時よりも。もっとずっと、思いっきり泣いた。

綱吉はただ、優しく抱きしめて、時々ぽんぽんと背中を叩いてくれていた。











その次の日は、何だか気持ちがスッとした。
心の枷が外れたというか、もやもやが取れたというか、そんな感じ。
そう綱吉に話したら。えらく満足そうな顔をされてちょびっとムカついたので、ばしんと思いっきり彼の背中を叩いてやった。
ふんだ。ざまぁみろ。

「おはよう、初音ちゃん」
「おはようございます、奈々さんっ」
「あらあら、今日はご機嫌ねぇ。何か良い事でもあったの?」
「えへへ、まあそんなとこです」

にこにこと笑って、何時ものようになのにも奈々さんお手製弁当を受け取る。
苺色のギンガムチェックも、何時もより鮮やかに見える。

「綱吉っ。早く早く、遅刻しちゃうよーっ!」
「わふぁっふぇるひょ!」

沢田家の玄関で手招きすると、トーストをくわえながらバタバタと綱吉が走って来る。
ちなみに、今の言葉の訳は「解ってるよ」だ。
こんな毎日、草耶さんがいた頃でも想像すら出来なかった。
こんな毎日が、楽しくて楽しくてしかたがない。
今日は晴れ、程よく雲が浮かんでる、相も変わらずやたらと蒸し暑い朝だ。

「ほらっ、急いで綱吉!」
「うんっ」

綱吉と一緒になって、通学路を走る走る。

「おはよーございます10代目!!!」
「よっすツナ、桜龍寺! 今日もあっちーなー」
「おはよ山本。本当に暑いね」
「おはよー2人とも。ホントだよねー。ていうか隼人、私には挨拶無いの?」
「ねーよ」
「ケチ」
「ああ゛!?」
「ひいっ! ご、獄寺くん、ストップストップ!!」

こんな毎日が、壊れてしまう日が来る事を、私は知ってる。
でも、それが何だって言うんだ。

「走ろ、初音!」
「うん!!」

差し出されたその手をぎゅっと握って、前だけを向いて走る。
その日が来る時まで私は、ただただ、この手を離さないで、前だけ見て行きたい。
だから、見守っていてね、………草耶さん。


ココロの深淵
(ああ、まったく)(今日も空は青い)






とりあえず、日常編第一幕終了、という感じです。
初音的には今まで胸につっかえていたわだかまりが取れて、すっきりした心持になっています。
もう何も怖くない、みたいな。
まるで最終回のような終わりになってしまいましたが、まだまだ続きます。





2010.3.13 更新
加筆 2011.8.7