天の邪鬼たちの終着点 | ナノ


涙の痕をたどるから





 第二印象は、非常識で失礼極まりない頑固者。
 それが、オレと彼女の初対面だった。


 お恥ずかしい事に、オレは正義の味方なんてものを目指していた。
 その時すでに大学2年程度の年齢だったオレの夢は、当然ながら告げた人間全員に爆笑されるような子供じみたものだったけど、オレはそれに誇りを持っていて、けれどそれが そういうものだって解っていたから、誰に笑われようが特に怒りもせず、気にも留めていなかった。

 オレはその理想に少しでも近づけるように、中東でテロと対峙している実動団に入っていた。
 所謂、『国境なき医師団』の武踏派バージョンだ。
 あの日、いつものようにテロと交戦しながら救助活動をしていたが、あまりの暑さに脱水症状を起こしかけていたオレは、その事に気付かないまま何時間もぶっ通しで汗水たらして動き続けたせいで、テロとの交戦の真っただ中で、ふっと電池が切れたみたいに意識が暗く落ちかけた。
 え? と思う間もなく身体全体から力が抜けて、たった今瓦礫の中から掬い出そうとしていた女の子が腕の中からすり抜けていくのだけが解って、思考が追いつかないままその子だけは手放しちゃだめだと見えない視界のまま咄嗟に手を伸ばして……それを、誰かの手によって止められた。
 は? と混乱するのとほぼ同時に誰かがその女の子を受け止めた音がして、次いで俺の首筋に何かひんやりとしたものが押し当てられた。
 何も見えない状態で、それが大きな平べったい氷だ、という事だけは解った。


「ぁ……………あ?」


 きもちいい。訳も解らない状態でそれだけ感じ取っていると、いきなりぐいっと顎を掴まれて、水筒の口を唇に押し当てられた。
 すかさず流れ込んでくるキンキンに冷えたスポーツドリンクにカラカラに渇いていた喉が救われて、訳も解らないで不明瞭な視界のまま慌ててきょろきょろと周囲を見回すと、 そこに目の覚めるような鮮やかな銀色が目に飛び込んできた。
 この灰色の風景の中、1つだけ光を放っているようにさえ感じられた銀色の長い髪。
かつてオレを妹のように慕い、姉のように慈しんでくれた少女の雪に似たものとは違う、完璧な銀髪。
 その今まで見た事もないくらい見事な、美しい髪をポニーテールにした少女が、オレの頭上に影を作るように覆いかぶさりながら、心配そうにオレを見下ろしていた。


「貴方、大丈夫ですかっ!?」


 その心の底から心配しているのだと解る程必死な彼女の問いかけと、その髪の毛なんかに全く引けを取らない美貌と相まって、しばらく俺は、そこが戦場である事すら完全に忘れてしまう程に、その少女の存在に見惚れていたのだ。




 その後無事オレが救おうとしていた女の子も救出し、何とかテロを治めたところで、オレは彼女に治療を施されていた。
 彼女は、今回オレが所属する団体と手を組んでいた、フリーの医療団体の1人だった。
平気だというオレの言葉も聞かずに医者の判断が最優先だと強制的に簡易医療室のベッドに寝かされ、そんな美人に甲斐甲斐しく世話を焼かれて軽く照れていた俺に、彼女はそんな事全く気にせずぷりぷりと怒っていた。

 オレの団体の仲間が言うには、彼女はその所属する医療団体でもトップの実力を持っていて、救えない人間などいないという程の腕を持っている上に、彼女自身も戦闘力があり戦う者の気持ちが解るので、兵士の気持ちも組んで過剰な怪我の心配をして団体の人間を煩わせたりせず、意欲がある者ならその精神力が保つ限り前線に立てるギリギリの治療だけして送り出したりしてくれる、かなりの気立て屋なのだとか。
 そんな彼女に強制治療を有無も言わさず施されている自分は余程の無茶をしていたのだと改めて解って、彼女に申し訳なく思っていた。


「まったく、貴方は脱水症状がどれだけ危険なものか解っているんですか? 身近にある病にこそ足元を掬われ易いなんて、そんなのこんな活動してる人間なら常識もいい所です。自分の身も守れない人に、他を救う権利なんてないんですからね?」
「うぐ……面目ない」
「解ったら、もうこんな無茶は二度としないこと。貴方、あたしが行かなければあのまま死んでいてもおかしくなかったんですから」
「そ、れは………困る。非常に」


 なにしろ、自分はあの場で人を助けている最中だったのだ。
 もしオレが死ぬのうものなら、あの女の子を助けられる者は誰もいなくなってしまっていた。


「はい。それじゃあ、これに凝れたら、もっと自己管理は徹底して下さいね?」


 オレが素直に返したのが功を奏したのか、目の前の綺麗な女の子は満足そうににっこりと笑って治療を終わらせた。
 ああ、何だか仲良くなれそうだ。
 思わず顔をほころばせながら思ったそんな幻想は、その夜の酒の席でポロリとこぼしてしまった俺の目標に対する彼女の「馬鹿じゃないの」発言で、脆く儚くも崩れ去ったのだが。

 正直、何故今まで誰に言われても何とも思わなかったのに、彼女に目指す物を否定された時だけあんなにも腹が立ったのか、今でも解らない。
 ただ、何を考える間もなくカッと腹が立って、気がつけば彼女と取っ組み合いの大喧嘩を開始していた。
 それぞれの団体の人間に羽交い絞めにされながらも威嚇する猫の如く唸り合っていたのは、黒歴史以外の何物でもない。
 その時点で、オレは2度とこいつとは会いたくないとまで思っていたのだったが、何故だかそれ以降、俺と彼女は頻繁に戦場で出くわす事になる。


「はあっ!? どうしてあんたがここにいるのよ!」
「それはこっちの台詞だ! 今回ここに君の所の団体は来ない筈だろう!?」
「今回はここの地元の自治体からの依頼で来たの。もともとあたし半分フリーだし。もうよりにもよってあんたと鉢合わすなんて信じらんない。もういっそあんた帰りなさいよ、あんたの分もあたしが仕事するから!」
「馬鹿を言うなそれなら君が帰れ!」
「いーや!」


 最悪な状態で彼女の所属する医療団体と別れてから数週間後。個人で参戦した内乱を治める為の戦いで、吃驚するほどあっさりと彼女と再び相まみえることになった。
 初めに再会を果たした後も、毎回会うごとに皮肉嫌味悪態の応酬。
 不幸中の幸いなのは、そこでの会話で彼女も魔道を扱うものだと解った事だろう。
 有事の際にこっそり魔術を使用する際に、相方にばれないように気を遣わなくて良いのは楽で良い。
 それでも、いざ戦場の中で救助や、テロと対向し始めると、そんな些細なことはすぐに頭の中から掻き消えてしまうのだが。

 人工だろうと天然だろうと、災害は一度起こってしまえば、権力者だろうと単なる民間人だろうと、皆そう大した違いはない。
 その中で救助にいそしんでいると、まず事の首謀者を始末するべきか、か弱い子どもを救うべきか、それとも高齢者か。そもそも、首謀者をこの場で屠るのは本当に正しいのか、段々何もかも解らなくなって。
 背中を合わせている彼女の存在すら、わけもわからず邪魔だと思ってしまう事もあった。
 ―――――ただ。


「馬鹿! 今はとにかく救う事だけを考えなさい! アンタが救ったものを、その後どうにかするのはあたしの役目よ!」


 ただ、混乱して頭の中がぐちゃぐちゃになった時に彼女の言葉を聞くと、悔しい程に頭が一気にクリアになって、彼女の言う通りただ目の前のモノを救うことに専念できた。


 それからも、打ち合わせもしてないのに戦場に赴く度にばったりと出くわすのが最早当たり前になり、それでも俺達の仲が良くなるということは全くなくて。
 だと言うのに、彼女との息がやたらと合うのが、悔しいやら腹立たしいやらだった。
 それからというもの、出くわす度に、何故かいつもオレは彼女によって理不尽な仕打ちを受ける事となった。
 宿を未だとっていないのならどうせ1人も2人も変わらないから俺の部屋に泊まるかと親切心で問えば「お前は一般常識どころか貞操観念まで欠けているのか」とどつかれつつ何故か宿泊代を奢らされ。
 地雷原に取り残された子供たちを救おうと片っ端から地雷を作動させて帰りをスムーズにしようとしていると眉を吊り上げた彼女に頭をひっぱたかれ、「代わりにあんたがボロボロになってりゃ世話無いわよ!」と怒鳴られ治療を受けながら子供たちを抱えて地雷原を掛け抜け。
 そして、戦場では動きながら変わらず罵詈雑言の応酬をし、何故かこれが終わったら酒を奢らされる約束を取り付けられ。…………オレ1人では手が回らなくなると、いつもすかさず自分も美しい等身ほどの水晶で出来た槍を持ってフォローに回ってくれた。


 不甲斐無い事に。正直、魔術の反動で肌が焼け髪の色が抜けても、身体的に俺が今まで五体満足な健康体でいられたのは、彼女のお陰に他ならない。
 しかし馬鹿力な彼女が振り回す馬鹿でかい槍は型も何も無く勢いだけの荒削りな動きで振るわれる所為で壊れやすく、いつもその修理代はオレの口座から引き抜かれていた。


「なあ、いつも気になっていたんだが、君のその水晶の槍は誰が修理しているんだ? もし良ければ、腕のいい鍛冶屋を紹介するが」
「は? あんたあたしの親友嘗めないでよ。確かにあの子は鍛冶屋じゃないけど、10年前に日本で行われた聖杯戦争っていうすんごい魔術戦争で優勝一歩手前までいった実力者で武器にも精通してて、おまけに今時珍しいこしのある綺麗な黒髪なうえに可愛くってうっかりでたまにミニスカなあたしの永遠のアイドルなんだから」
「ふん、甘いな。オレ…じゃなかった私がかつて師事していた魔術師はアベレージワンでかつて日本の冬木で行われていた聖杯戦争という魔術戦争で優勝一歩手前までいった凄腕なうえに黒髪でうっかりでツインテールで常時ミニスカという容姿すら端麗なオレの永遠の憧れの………」
「「………………あれ?」」


 後に発覚したその事実は、それ以降俺と彼女の数少ない共通点となっていった。


 そんな事があってからも、やはり変わらず、俺と彼女はいつも戦場で鉢合わせていた。
 こと共同作業に於いて、悔しい事に彼女以上に優秀なパートナーは他になかった。
 会えば会う程喧嘩しかしないのに、彼女のサーポートが的確なのが妙に悔しく、見返せるように気張れば気張る程無茶をしてボロボロになってしまうオレは、結局眉をしかめながら彼女が甲斐甲斐しくしてくれる治療を大人しく受け入れるしかなかった。
 共に戦場に赴くと、オレは彼女に世話を掛けてばかりだった。
 だというのに、彼女は悪態をつきながらも、いつも決して俺の治療を嫌がる事はしなかった。


 お互い仲が良いわけでもないのに、何故だか突き放す気にもなれなくて。
 2人で一仕事終えた後、近くのバーで酒を酌み交わすのが、いつの間にか日常になっていた。


「……………あんたはさあ。まだ正義の味方目指してるの?」
「……またそれか。私もいい加減怒るぞ。それに目指しているんじゃない、絶対になるんだ」


 酒の席で、ジュースのようなカクテルを揺らしながら彼女がオレにそんな事を聞くのも、最早常の事だった。
 腹立ち紛れに度の高い酒を一気に煽って軽いつまみを注文するオレに、彼女が小さく笑って馬鹿だなあと言うのも、いつものこと。
 けれど、その時だけはいつもとは違った。


「…………ふうん。じゃ、しょうがないか」
「は? 何がだ一体」


 唐突に何かを決心したように頷いた彼女に怪訝な視線を向けると、彼女はそれを受け止めて、初めて会った時以来見ていなかった、やわらかな笑顔をオレに見せた。


「だから。しょうがないから、あたしが貴方を守ってあげる。正義の味方なんてどうしようもないもの目指す馬鹿に付き合ってあげられるのはあたしくらいでしょう? だからあたしは、そんな誰にも助けを求められないエミヤだけの味方になるの」
「いや味方になるのって……なにを馬鹿な事を」
「ハーイ残念もう決めちゃったから。今更変えられないわよ。覚悟しなさい、いやだって言っても、あたしはこれから一生、シロウの隣を走り続けてやるんだから」


 そう言って、カウンターに寝そべって此方を向いて自信満々に笑って見せたその顔を直視できずに、俺はただ新しく出された酒を飲む事だけに集中していた。
 ……………まあそんなのは結局ポーズでしかなく、オレは彼女の見せた笑顔が一瞬で目に焼き付いてしまって、一人馬鹿みたいに赤くなっていただけの話なのだが。
 ………正直に認めてしまうと、付き合って10年近く経っているというのに未だに彼女がオレの名前を名字すら呼んでくれないのが口には出さなかったものの少しだけ寂しく思っていたオレは。それがどうしようもなく嬉しかったのだ。
 どんなに悪態をついたって、喧嘩腰に嫌みの応酬をしたって。オレはとっくに、彼女を手放せなくなっていた。


 より端的に言えば、オレは既に、人生で2度目の一目惚れというやつをしていたのだ。







 ―――――だから。口には出さずとも、彼女をオレの所為で亡くす事だけは。絶対に、したくなんてなかったんだ。


「待ってろ! すぐ助けてやる。だから少しの間だけ頑張れ!」


 目の前の彼女を見つめながら、オレは自分の無力さに、泣きたいほど腹が立っていた。


 そこは、所謂辺境の地の、崩れかけた製鉄所だった。
 いつもと同じく、オレと彼女は、顔も知らない人を助ける為に粉骨していて、それもその一つ。
 暴走した熔鋼炉の所為で崩れかけたそこで、逃げ遅れた人間を救助していた。
 今にも倒壊しそうな高温の向上を駆け回って、全員避難させ終わったと2人で確認したところで、それは起こった。
 屋根を支えていた鉄骨が、ついに耐えきれなくなって、彼女目掛けて落下してきたのだ。
 そして、救助が終わった時を抜いていた彼女は、それに気付くのに遅れて。今まさに気を抜こうとしていたオレは、それに気付いた。


 何かを考えるよりも先に体が動いて、彼女の名を叫びながら、その細い体に向けて手を伸ばす。
 高温のそこにあった鉄骨は、当然ながら同じように熱く熱されていて。直撃しようものならまず助からない。
 この距離では、彼女ごと自分も避ける事は叶わないだろうが、それでも、彼女を突き飛ばすくらいならオレにも出来た。
 だというのに。自分の方に向かって来るオレに気付いた彼女は、頭上の鉄骨に気付き目を丸くして、次の瞬間、いつもオレに対して理不尽な説教開始する時と同じ顔で眉を吊り上げた。
 そのあまりにもオレの日常として慣れ親しんだ顔に、驚くと一瞬だけ意識がそれて、その隙に、彼女にすさまじい勢いで反対に突き飛ばされた。
それはもう、漫画のような勢いで。
 ふっ飛ばされて危うく地下に落ちそうになった体勢を立て直して、ついいつもの習慣で何をする馬鹿者、と文句を飛ばそうとした瞬間。彼女の身体は鉄骨に貫かれていた。


「―――――――!」


 それを見て、声にならない叫びが口から零れた。
 信じられなかった。今まで、オレがいくつも死にそうな目に遭っている中で、彼女は憎たらしいまでにぴんぴんしていた。
 だから、いつの間にか、無意識のうちに彼女ならずっと、本当にずっとオレの隣にいてくれるのではないかと、楽観していた。
 オレ達がいるこの場所は、1秒先で誰かが死ぬような、そんな所だったのに。


「…………エミヤ。もう、良いよ。早く、……行って」
「止めろ……何でこんな時に名前を呼ぶんだよ。お前を置いていく訳ないだろ。すぐに、すぐに助けるから。ちょっと黙ってろ。こんなモノ、すぐに退かしてやる」


 結局あの酒を飲んでいた時にしか口にしなかったオレの名を、彼女が何故か惜しむように呼ぶ。
 違う。オレは、お前にそんな風に呼んでほしいんじゃない。あの時みたいに、他愛のないどこにでもあるようなあの平和な場所で呼んでほしかった。
 こんな、最後を惜しむような声で呼ばれたかったんじゃない。
 手が焼けるのも構わる力の限り鉄骨を掴む。オレの手なんてどうでも良かった。今彼女をこの場から救えるのなら、こんなモノどうだっていい。
 だっていうのに、どんなに力を込めても、赤い鉄骨は微動だにしてくれない。


「だいじょぶ……だって。あたし、後悔とか、してないよ。なんやかんやで、あんたと一緒にいるの、たのしかった」
「五月蝿い! 何で今更そんな事言うんだよ! 止めろよ、頼むから止めてくれよ!!!」
「あーあ。……でも、エミヤに会えなくなるの、は…いやだなあ」
「っ……おい、頼むから、そんな事言うなよ。助けるから、ちゃんとすぐに助けるから。しばらく物は食えないだろうけど、完治したら、ちゃんと作ってやるから」


 今までオレの言い分なんて半分も聞かなかった女は、最後までオレの言う事なんて無視して、諦めたように笑っている。
 巫山戯るな。オレだって嫌だ、お前がオレの隣からいなくなるなんて考えられない。
双剣を投影する。鉄骨の大部分をそれで切り払って、しゃがみ込んでまた抜く為に鉄骨を掴む。
 それでも全く動こうとしないそれに、悔しさとジレンマから、視界が滲んだ。


「いい……って。早く、行きなよ。崩れる、……っでしょ」
「嫌だって言ってるだろ!!!」


 まだ俺にそんな事を言うこいつに、たまらず思い切り怒鳴りつけた。
 違う、駄目だ。こいつを失う事なんて考えるな。絶対に助けるんだ。こいつはこんな所で死んで良い奴じゃない。
 彼女のその手1つで救える命がいくつあると思ってる。オレなんて足元にも及ばないんだ。魔術の腕だって俺なんかよりもずっとすごくて、きっとそれなりの場所に出たら階級だって並じゃ済まない。彼女の命が、オレなんかよりどれだけ重いと思ってるんだ。


「隣を走っていてやるって言ったのはお前だろ。なら、ちゃんと隣にいろよ! 飯も作ってやる。金が食ってもちゃんと2部屋分取ってやる! だから死ぬなんて言うなよ。そんな簡単に、死ぬなんて言わないでくれ………」


 これからは宿代をけちって2人1部屋なんて事もしない。ここを出たら、前に食べたがってた満漢全席だって好きなだけ作ってやる。酒だって奢る。何だってする。
 だって、オレを守ってくれると言ったのはお前じゃないか。お前が死んだら、オレには何も残らない。
 喪いたくないんだ。君だけは。大切にしたいんだよ。
 だから、だから……神でも悪魔でも抑止で何でもいい。彼女を、彼女をこの場所で失う事だけは―――――。


「………ね、エミヤ」


 熱く熱されて沸騰していた思考が、彼女のその声で、哀しい程いつも通りに冷やされた。
 オレは既にぼやけきっている視界で、恐る恐る彼女を見下ろした。
 その先で、彼女は今まで見た事がないくらい儚く、優しげに微笑んでいる。
 高温にさらされて醜く酸化した鉄の塊にその身を貫かれていても、彼女はやっぱり、泣きたくなる程綺麗だった。


「………あたし、さ。エミヤの事、嫌いってよく言ってたけど、本当は、ね」
「止めてくれ………頼むから、そんな事、今言わないでくれよ」


 みっともなく声が震える。
 力を入れなくちゃいけないのに、鉄骨を掴んだ両手はちっとも言う事を訊かずに震えていた。
 全身が、彼女を失う恐怖に怯えている。
 最期の言葉なんて聞きたくない。最期になんて絶対にしない。これから俺はこの馬鹿を連れ帰って、それで、いつかそんな事もあったねって、笑い話に出来るように。出来る、ように、って―――――


「……あたしは、あたしの所為でエミヤが死ぬのだけは、絶対に許さない」


 そんなオレの強がりをいらないとでも言うように、彼女は瞳から涙を一筋こぼしながら、オレが1番好きな、蒲公英みたいなきれいでかわいらしい笑顔を浮かべた。
 ピリ、と慣れ親しんだ魔力の奔流が、彼女の手の中から流れ出た。



「酷い言葉だけど、あんたはあたしの分も………ちゃんと、生きて」
「待っ―――――!」


 彼女の手の中で、蒼玉が魔力を流しこまれて怪しく光る。
 その手からサファイアをもぎ取ろうと手を伸ばした瞬間、彼女の唇が開かれた。


「………………eiezione(噴出)」


 瞬間、蒼玉から粉雪が吹雪の如き勢いで放たれ、オレは彼女に手を伸ばしたまま、工場の壊れた屋根から外へ吹っ飛ばされた。
 なすすべなく宙を舞いながら、数秒前にいた製鉄所が崩れていくのを、オレはただ見ている事しか出来なかった。


 結局、オレが地に足をつけられたのは隣町にあったキャラバンの荷の上で。
 そこで強引に手当てを受けて、再びその製鉄所に行けたのは、3日も過ぎた後だった。


「………………………」


 そこから掘り返した彼女は、顔もすすで焼けて、他の体の部位も、潰れたり曲がったりひしゃげたり。とても五体満足と言える状態じゃなかった。
 ただの表情だけは、目尻に涙の痕を一筋残したまま、満足そうに微笑んでいた。


「………ほんと。馬鹿だよな、お前」


 掘り返して、もう何も言わなくなった彼女の身体を抱いて、ぽつりと独りごちる。
 それで、ようやく自分がかつての口調に戻っていたのに気付いた。
不覚だ。こいつといる時は、いつも昔の青臭い自分に戻ってしまう。
 そしてそれがどうしようもなく自分が未熟なのだと突きつけられているようで、枯れたと思っていた涙がまた滲んできそうだ。


 自分の思うがままに進んだ俺の隣を、悪態付きながら、ずっと走っていてくれた彼女。
 何より一番悔しいのが、あの時流していた彼女の涙を拭ってやれなかったことだ。
 切嗣にも女の子を泣かせるなって言われてたのに、1番大切な女の子を泣かせたままにしておくなんて、つくづく俺は未熟者だ。
 仕方ないので、もう痕になってしまったそれを、そっと親指で拭う。
 今はもう、こんな事しか彼女にしてやれない。
 もっと話したかった。もっと騒いでいたかった。もっと………彼女と、一緒にいたかったのに。


「ああ………好きだ。好きだよ。大好きだ」


 彼女の頬に、自分のながした雫が落ちる。こんなになってしまってからしか自分の胸の内を明かせないのが、情けなくって仕方がない。
 無様に泣きながら、オレは一度だけ、彼女の唇に口づけた。


 次なんてないけれど、もしまた、いつもの君に会う事が出来たなら。
 そうしたら、今その眼についてしまった、あの時俺が拭う事の出来なかった涙の痕を、もう一度拭おう。
 そうして、怪訝そうな顔をする君に向かって、不器用なオレの、愛の言葉を告げると誓おう。


「愛してる………誰よりも」


 どんなに経とうと、永遠に。






(会いたいなんて)(もう言えないけれど)



After history…







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