少年Sの災難
丑三つ時。昨日と同じならば今頃双子館の屋根で見張りがてら月見酒と洒落込んでいる時刻になっている。けれど、今日だけは違う。
現在不測の事態により、可及的速やかに不法侵入が要求されているのである。
たん、たん、と屋根の上を跳びはねながら、あたしは溜め息混じりに小脇にかついだマスターに心の底から愚痴を溢していた。
「あーも本当何やってるのマスター!」
「しっししし仕方ないではないですか! あのアーチャーがあんなにも早く来るとは思わなくて……………!」
「だからっていたいけな少年に渾身のボディーブローかまして逃げるとか完全に通り魔の犯行だからね!? というかサーヴァントは霊体化できるんだからそれは考慮しておこうよ」
「あれは彼がちょこまかと逃げるから………! それに死ななかったんだから良いではありませんか」
「傍目から見たら完璧殺人事件だけどね」
「良いんです!」
「大体。そのせいでわざわざ探索のルーン使って少年の家探し当てて記憶を消しに行くなんて2度手間をする破目になってるんですけどー」
言いながらちらりと横に目線を向けると、むぐぐぐ、と可愛らしくマイマスターが涙目で唸っていた。
穂群原学園の校庭でアーチャーと対峙していたところを何者かに覗かれて中断されたあの後。
慌ててマスターに追いついてあたし達の戦闘を覗き見していた犯人を突き止めたところで、あたしは大層度肝を抜かれた。
何故なら、その覗きをしていたおそらくここの生徒であろう少年の顔が、たった今までやりあっていた男の初めて出会った時のそれとそっくりだったから。
正直びっくりしすぎて、手元が狂って彼のすぐそばの壁に槍を突き立ててしまったくらいだ。
まあ。その所為で、彼にあたし達は完全に敵なのだと認定されてしまったのだけど。
肝心なところで詰めを誤ってしまったあたしは、もうこれで凛やマスターを笑えない。
しかしそれはそれ、これはこれ。見られた以上はきっちり記憶を消しておかないと魔術の秘匿的にもまずいし、後々この子がこの戦争に巻き込まれてしまう可能性もある。
だっていうんで、マスターの合意の上で、記憶だけ消してさっさと退散しようと思ったんだけど、そこで予想外に早くアーチャーが到着。
咄嗟に戦闘を仕掛けてそのうちにマスターに彼の記憶の消去をお願いしようとしたんだけど、そこで何故だか、テンパったマスターがいたいけな少年に渾身のボディーブローをかましている現場を目撃してしまった。
「うええええええ!? ちょっ……え!? 何やってるのマスター!」
「てっ手元が狂っただけです! 帰りますよランサー。今宵の活動はここまでです!」
「はい!? っああもう、解りました! オーダーならば仰せのままに!!」
「ふんっ、オレが行かせると思うてか!」
「当然!」
窓から飛び降りながらそう言って先に行ってしまったマスターにやけっぱちになってそう返すと、ギッとこちらを睨みつけて追随するアーチャーに、にやりと笑って見せた。
生憎と。あたしは生前、あんたと違って手札をすべて明かしてはいない。こいつと組んで活動していた時は常にサポートに回っていただけに、あたしはこいつといた時は、1度も全力で魔術回路を回したことすらなかったんだから。
手に握った鉱石を、アーチャーがあたしに迫った瞬間を見計らって投げつける。
手から離れた瞬間に太陽のごとく光を放ったそれは、ちょっとしたスタングレネード代わりの安物だ。
それでもまともに浴びれば目が潰れるほどの光に、反射的にアーチャーが目を庇ったのを見てあたしも窓から飛び降りる。
その後先に走っていたマスターを回収して根城である双子館に着いた時には、本来疲労の感じないはずのサーヴァントの身体でありながらどっと疲れが押し寄せてきた。
所謂気疲れってやつだろう。生前したことのない体験を、まさかこんなところでする羽目になるとは思わなかった。
「はあ……つっかれたあ。今日はもう休んでいいよね、マスター」
「はい………。すみませんランサー、苦労をかけました」
「気にしないでよマスター。サーヴァントは主を守るのが仕事なんだから」
お互い向かい合って1人掛けのソファーにどっかりと座りながら、そこでようやく一息ついて顔を見合わせて笑いあう。
くすくすと気が晴れたように笑うマスターを見るだけで、さっきの彼女のミスなんて帳消しにして余りあるなんて思ってしまうんだから、我ながら現金な性格してると思う。
「それにしても、あんな時間まで学校に残ってるなんて、学生って真面目なんだねぇ」
「ランサーは学校に通った事はないのですか?」
「無かったと思うなぁ。無駄に貴族っぽい地位の家だったしね。アーチャーのマスターくらいの年頃になるまで、まともに家の外に出た記憶もないし。家庭教師がついてたよ、確か」
「確かに、ランサーは佇まいがしゃんとして高貴な雰囲気がありますしね」
「あの……ま、マスター? 不意打ちで褒めるの止めてくれないかな。照れるんだけど」
「ええ。確かに顔が真っ赤です」
「言わなくていいから!」
そのままお風呂に入って、あたしが一旦外に出て買ってきた食材で簡単な料理を作って食べながら、召喚されてから今までにないくらい気の抜けた和やかな雰囲気で会話をした時には、不覚にもさっきの少年の記憶を結局消せずじまいだったことをすっかり忘れてしまっていた。
「それにしても、あのアーチャーは奇妙でしたね。双剣をあんなにも巧みに操る弓兵など、どの文献でも見た事がありません」
「まあそうだね。ああ、奇妙といえば、その後見つけた男子生徒も。マスターの拳を一発とはいえ躱すなんて、子供なのにあの勘の良さはちょっと普通じゃ………ん?」
「ランサー、どうかしました?」
「…………その、一応聞いておくんだけど。マスター、あの時の学生の記憶、ちゃんと消したよね? まさかボディーブローだけ打ち込んでそのままってわけじゃ…………」
その先の言葉は、「あっ」と言わんばかりの顔をしたマスターの顔がどんどん真っ青になっていくのを見て、聞くだけ無駄だなと悟った。
その後食べかけのどんぶりを放り投げてマスターのルーンでその少年の家を探しながら町を飛び回って、今に至っている。
「次からは焦ってもきちんと確認してね、マスター」
「こっ子供扱いしないで下さいっ。ランサーだって、記憶を消していないことに気付かなかったではないですか!」
「主を守るべく必死こいてサーヴァントと戦ってた自分の使い魔(ファミリア)にそりゃないよマスター」
「うっ………すみません」
しゅんとさっきよりもさらにうなだれてしまったマスターに、ついつい頬が緩む。
別にSってわけじゃないけど、このマスター、中々苛めがいがある。見かけによらず子供っぽいのも相まって、反応が外見の割に女の子っぽくて可愛いのだ。
落ち込むマスターに怒ってないから気にしないでと伝えたところで、ようやくルーンの示した場所に到着した。
今時珍しい広い武家屋敷で、念の為と表札を確認すると、「衛宮」と見間違えようもない名前が刻んであって、やっぱりかと思うと同時に少し落ち込んだ。
………エミヤ。あんたこんな小さいうちから運なかったんだね。殺し合いに巻き込まれるとか、何億分の1の確率よ。
かつての相方の運のなさにちょっと絶望していると、ずんずんと進んで行ってしまったマスターを慌てて追いかけた。
して。その後、特筆することは何もなく。
あたしは衛宮邸から少し離れた土蔵に幼い彼を追い込んで、やれやれと首を横に振った。
「頑張ったけどね。所詮子供の力なんてその程度だ。安心して、痛い事なんて何もないし、たった一瞬で、君は元の何の変哲のない生活に戻れる。本当だよ?」
「っ………今更、そんなことが信じられると思ってるのかよ」
槍を肩にしょって言うあたしを精いっぱいの力で睨んでくる彼に、つい苦笑する。
結局、敵じゃないんだっていう誤解は解けそうにはないけれど、それも後数秒の話だ。
この手をかざせば、この幼い彼はあっさりとあたしの事も、死にかけた思い出も綺麗に忘れて、今まで通りに生活できる。
その方が良い。あのまま何でもない日常の中にいれば、きっと彼が、あたしと出会ってどうしようもない最期を迎えるような未来は来ない。
その方が良い。
あたしはそんな身勝手な自分に苦笑して、さようなら、と2度と会うこともない彼に手を伸ばす。
刹那――――視界が眩い光に覆われて。突如吹き荒れた突風に、身体がわずかに押し戻された。
「な…………ッ!?」
唐突に光った地面に目を向ければ、そこには魔法陣が敷いてあって。
そしてこの周り全てを吹き飛ばさんばかりの風が起こっている現象を、あたしは……特に、すぐ後ろのマスターは、この場の誰より知っていた。
「マズいっ……マスター、ここは危ないからすぐに退いてっ………きゃ!?」
これはいかんと我が主に声をかけたところで、風を纏ってあっという間に表れた人影に、咄嗟に防御の姿勢を取る。
取ったというのに、その人影はそんなのお構いなしに、振り向きざまに見えない何かであたしをマスターごと土蔵の外に吹っ飛ばした。
瞬間、身体の表面にびりびりと流れて行ったありえない密度の魔力に、全身の生存本能がアラートを鳴らして鳥肌を立てる。
マスターを空中で抱えながら土蔵から数メートル距離を取ったところで着地して、やばいわー今のはガチでヤバい系のやつだわーとかたられば言いながらも、おそらく意図せずアレを呼んでしまったんであろう彼に、心の底から同情と憐みの眼を向けた。
「うっわぁー……。マジ、運悪いよ、君」
何かに弾き飛ばされて慌てて態勢を整え直しながら、その少し後に土蔵から飛び出してきたあたしと似たり寄ったりな存在に、思わず苦笑する。
あのまま、大人しくあたしに記憶を消されていれば良かったものを。
別に彼が勘違いしただけで、あたしはそもそも彼を殺す気は微塵も無かったし、むしろ今ここで綺麗さっぱり記憶を消しておいた方が、この子もこれからの面倒事から回避できる可能性があったのに。
あれを呼んでしまっては、もう、彼は逃げられない。
「一応訊いておこうか。その手に持っているのは剣かな、セイバー?」
「………ふ。さあ、どうだろうな。斧かも知れぬし、弓、もしくは、貴様と同じく槍かも知れぬぞ、ランサー」
「……………まっさかあ」
あたしを前にして不敵にほほ笑む可愛らしい顔の騎士に、無理やり口角を上げつつ応答する。
これはこれは。すさまじい。
魔力の質。量。それだけじゃなくその身に纏うオーラさえ、正直言ってあたしなんかとは格が違う。遥か遠く。彼女は、本来ならあたしのような下っ端が見上げることも許されないほどの高みにいる高位の英霊なんだろう。下手すりゃその清廉な空気だけで圧倒されてしまいそうだ。
同じ英霊でここまで違うとは。やっぱり、紛い物は正統派には敵いませんのかねぇ。
「……………なーんて、言ってる場合じゃないか」
いくら格が違おうが、ここであたしが消えればマスターを守れない。
なら、そんなことで怖気づくわけにはいかないだろう。
緊張した面持ちであたしとその先のサーヴァントを見据えるマスターに、あたしは今度こそ、つい数刻前にアーチャーに向けたものと同じくらい不敵な笑みを向けた。
「下がってて、マスター。あなたはあたしが守る。こんな状況くらいきちんと切り抜けて見せるから、そんな不安そうな顔をしないでよ」
「ランサー………」
そうにっと笑って見せたにもかかわらず、不安げに瞳を揺らめかせるマスターに思わず苦笑する。
あーもー。バゼットってば、気を許した相手にはとことん過保護なんだから。
けどそんな未熟っぽいところが同時に愛おしくもあり、あたしはますます負けられないと決意を新たにして、腰を低く、我流の槍を地面すれすれに構える戦闘スタイルを取りながら、気合いを入れるべくお腹から声を出して、自分から戦闘開始のゴングを鳴らした。
「そんじゃまあ………おっ始めますかねぇッ!」
2013.11.22 更新