弓兵Eの惚気
冬樹大橋を渡って、通りを抜けて坂を上りきったところに、件の言峰教会はあった。
「じゃあ、わたし達は行くけど、あんたたちはどうする?」
「うーん、あたしとマスターは入り口で待ってるよ。さっきも言ったけど、ここの神父は苦手でね」
教会の入り口を親指で示して尋ねる凛に、ランサーはへらりと笑って手を振った。
校庭でランサーと戦った後、紆余曲折を経て彼女たちの陣営と、何故かセイバー達と教会まで同行する羽目になってしまった。
そこは、まあいいとして。
「? なに、どうしたのよアーチャー。難しい顔して」
「いや、何でもない。私も外で待機していよう」
不思議そうに私を見る凛に、とっさに何食わぬ顔で話を逸らす。
それと同時に顔ごと視線も逸らして、後ろにいるランサーを横目で盗み見る。
自分に視線が集まっていない事を良い事に被っている猫を捨てて酷くつまらなそうな顔をしているあの女と。私は、未だにあの一戦以外一言も話せていなかった。
「では私もそうしましょう。流石に教会に危険はないでしょうから。お気をつけて、マスター」
「あ、ああ。解った。じゃあ、争わないで待っていてくれよ、セイバー」
「無論です」
「シロウ、リン、行ってらっしゃあーい」
教会に入って行った凛と衛宮士郎をにこやかに手を振って見送るランサーに胡乱げな視線を向けると、ランサーはそれに気付いて一瞬こちらに視線を向けたが、すぐにふいと私から顔を逸らす。
それに思わず額に青筋を浮かべたが、ここで彼女に食って掛かっても私と、ひいてはマスターである凛が不利になるだけだ。
「マスター、ここにいて大丈夫? 喫茶店かどこかに入っていた方が良いんじゃない?」
「いいえ、私は平気ですよランサー。貴女は少し過保護すぎです。彼と直接対面さえしなければ問題はありません」
彼女のマスターに心配そうに話し掛けるランサーと、それを優しく諌める彼女のマスター……もといバゼット。
生前は誰かの使用人なんてまっぴらだとか何とか言っていたくせに、なかなかどうして良い主従をしているじゃないか。
ならばセイバーにしているように、私にも何食わぬ顔で接してくれても良いと思うのだが。
先ほどからやけに衛宮士郎にもからんでいるし。こいつはそんなにも私の神経を逆撫でしたいのか。
「……………ランサー」
「あ、何?」
呼べば、生前と同じように嫌そうな顔をしてこちらを向くランサーに、生前と変わらないむかつきを感じながら、生前には無かった感情が胸をしめた。
きゅう、と胸の奥の方をそっとつままれるような、思わず胸を押さえたくなる、むずがゆさを感じさせるような、そんな感情が。
…………認めたくはなかったが、存外、自分はそこそこ浮かれているらしい。
どうやら例えそれが眉間にしわを寄せた好感度ゼロの顔だったとしても、ただ顔を見れて、彼女の声が私の為だけに紡がれるだけで、それだけで嬉しいのだと馬鹿な私の脳は感じてしまっているらしかった。
「少し、話せるかね」
「あたしはあんたなんかに話す事なんてないけど」
「それでも良い。強制はしない、だが私は少しだけでも君と話しがしたい」
「は…………」
むっと唇をへの字に曲げる彼女に馬鹿正直に答えると、彼女は束の間呆気にとられたように、ぽかんとして私の顔を凝視した。
そのままじわじわと何とも言えない顔をして、まるで逃げ道を探すように、ちらりと横目で自身のマスターを見た。
「………ここで出来る話なわけ?」
「いや。出来れば場所を移したい」
「じゃあ無理。マスターとセイバーを2人きりになんてできるわけないでしょ。狙って下さいって言ってるようなもんじゃない」
ばっかじゃないの、と言いたげに私を睨むランサーに、形だけ慇懃を気取って肩を竦めると、ますます嫌そうに眉間にしわを寄せてじと目で私を睨むランサーに、つい笑ってしまいそうになる。
しかしそうするとかなり面倒な事になるのは生前経験済みなのでなんとかこらえていると、今まで黙って私たちのやり取りを見ていたバゼットが、そっとランサーの腕を取った。
「? マスター?」
「ランサー、良い機会です。折角ですから、アーチャーと少し話してきてください」
「へ…………はあ!?」
んなっ、な、何言ってるのマスター!?
慌てた様子で自身のマスターに向き直るランサーに、バゼットは真顔であなた達は鬱陶しいので、その無言のやり取りをそろそろ止めて下さい、と無自覚だろうがなかなかに毒のある事を言って諭している。
「それに、彼と話せば、真名を突き止める手がかりを得られるやもしれません」
「っで、でも……」
「大丈夫です。私と共にいるのは最優の騎士(セイバー)ですから。騎士であるならば、己の矜持に反する事などしないでしょう」
「ま、ますたぁー………」
バゼットの言い分を聞いていたランサーが、弱り切った声で肩を落とす。
どうやら、彼女は余程自身のマスターに弱いらしい。というよりも、あれは甘いと言った方が良いのかもしれない。
「ダメだって、マスターの大丈夫は信用ならないんだから! それでつい数日前酷い目にあったでしょ?」
「ランサー。そんなに令呪を使われたいのですか?」
「何でそーいう事言うかな、あたしそろそろ泣くよ!?」
「ランサー」
頑として譲らないバゼットにランサーが涙になって詰め寄っていると、そこで、ずっと黙ってそのやり取りを見ていたセイバーが、ランサーに声をかけた。
涙目でバゼットの肩に手を置いていたランサーがじと目でセイバーの方を見ると、セイバーは無表情のまま、静かな目で彼女とバゼットを交互に見る。
「私のマスターは、リンと貴女のマスターに聖杯戦争の概要を教わったおかげで、こうしてマスターとしての自覚が少なからず芽生えた。私ではここまで来るのに早くても半日は要していたでしょう。その礼というわけではありませんが、マスターが教会から出て、あなた達と新都を繋ぐ大橋を渡り終えるまで、私は貴女のマスターにもアーチャーのマスターにも、一切手は出さないと誓いましょう。むしろそこに至るまでは、そのうちの誰かが襲われたとしても最低限の守護をしましょう。勿論、私のマスターの守護を最優先としてですが」
「な、そんな事信じられるわけ………」
「私は嘘はつきません」
唐突に持ちかけられた話にランサーが狼狽えつつも拒否しようとすると、それよりも先にセイバーが強い目でランサーの目を見つめる。
暫くそうして見つめ合っていると、ランサーは小さくため息をついて、信じよう。と言った。
「あたし、そういうクソ真面目な顔に弱いんだよなぁ………。もう、止めてよね、そういう純粋な目でこっち見るの。疑ってるこっちの性根のヨゴれ具合が浮き彫りにされてるみたいじゃない」
「は? 何を言っているのですか、ランサー」
「ああもうそういう鈍感な所とか、いっそ羨ましいくらいだわ。可愛いねセイバー」
「はっ!?」
唐突にそんな事を言ったランサーにぎょっとして目を向くセイバーに、ランサーは何でもないと誤魔化した。
「とにかく、信用していいんだね」
「無論です」
「ん。じゃあ信じる」
こっくりと大真面目に頷いたセイバーに、ランサーはその顔を見るなりあっさり納得して、じゃあ数分で戻るから、と言って私の腕を取った。
その瞬間にほぼ反射的に息をつめた私の顔を不思議そうに覗き込む彼女の顔が上目にになっているように見えてしまって、自分の煩悩を本気で殺したくなった。
「何?」
「っ、いや、何でもない。行こう」
だんだん怪訝そうな目線に変わっていったランサーに慌てて首を振って、彼女たちから姿が見えない位置に移動した。
そうは言っても10メートルも離れてはいないのだが。それでもサーヴァントが人間一人を仕留めるのには十分な距離であるので、こいつがあそこまで警戒したのも理解できる。
「で、あたしに一体何の用、アーチャー」
私が足を止めるなり、話す場所をここに決めたのだと察したランサーが単刀直入に私を振り向いて尋ねた。
その顔を見て、こちらももったいぶらずにそのまま本題に切り込む事にする。
「簡潔に聞く。何故、お前がここにいる」
その問いに、ランサーのめがすぅ、と細められる。
「それは、あたしがどうしてサーヴァントとして呼ばれる立場にいるのか、っていう問い?」
「そうだ」
「ふうん………」
緩く小首をかしげて尋ねるランサーに頷くと、ランサーは目を細めたまま腕を組んで、後ろの上垣に凭れ掛かる。
長い銀の睫毛に縁取られた淡いアメジストの瞳は、今までの敵マスターに接する時のような貼り付けられた外向きの目でも、自身のマスターを心配する揺らめいた目でもなく、ただ氷のように冷え切った無機物のような目。
それを見て、ああ、ついに雀の涙程だった私の好感度も底を尽きたな、と思わず苦笑した。
「その質問に、あたしが答える必要があるのかは置いておいて。それ、あたしがあんたに質問するのにも当てはまるって、解ってるの?」
「ほう…………それは意外だな。お前が私にそこまで興味を抱いていたとは知らなかった」
肩を竦めてそう答えると、彼女はあからさまに不快そうに顔をしかめた。
鼻の頭にしわが寄っているそれは、彼女が本気で苛立っている証拠だ。
組んだ腕はそのままに袖を強く握ることで自分の怒りをのがすランサーを見てこれは失敗したかと反省する。
流石にこれ以上巫山戯ていては本気でキれられる。そろそろ真面目に答えないと、このまま戦闘に発展しかねない。
「君の問いには後々答えよう。だがまずは私の質問に答えてもらう」
「あたしが素直に答えるとでも?」
「…………答えろ」
無意識に、発した声が低くなるのが解る。
神秘が薄れ、世界が壊れるかの王政がどこにでも存在するようになった現代で、こいつのあの一生の中で、英霊にまで祭り上げられるような功績を上げたとは思えない。
だとすれば。こいつが今英霊の現身としてここにいる理由は限れてくる。
それは他でもない自分が1番解っているつもりだ。
だって、それは他でもない、私自身が実行したことで―――――
「何故、何処で、一体何時守護者の契約なんぞした!!」
腹が立つ。こいつの死の間際、私はこいつの1番近くにいた。それまでの戦場でも、出会ってからはほとんど共に幾多の戦場を駆け抜けてきた。
だからその間、こいつがわざわざ契約をする必要が迫られるような事件は無かったのを知っている。
………なら、かすかに残った可能性は、あの、私が彼女の魔術で吹き飛ばされた後なのではと。なのに。
「…………それ、絶対に答えないと駄目な事?」
私がそれを懸念してわざわざこんな所まで引っ張って来たと、解っていながら。
腕を組んで生垣に凭れたまま生前と変わらない風に私を小馬鹿にしたような顔で私を見るこいつに、たまらなく腹が立って。
だから腹立たしくて仕方ないこいつの顔を、いい加減崩してやりたくなった。
「レイ」
だから。
生前から嫌ってやまなかったこいつの真名を言ってやると、ランサーは虚を突かれたように、声をなくしてアーモンド形の目を丸くした。
「っ………今のあたしを、その名で気安く呼ばないで!」
「今ではなく、お前はずっとその名で呼ばれるのは嫌いだろう」
「だから呼ぶなって言って」
「レイ」
「止めっ…………」
憤って反射的に手を出す彼女の片手を掴んで、ランサーの身長よりも高い生垣にランサーを押し付ける。
怒ると行動が単純になるのは、彼女の昔からの悪い癖だ。
「ちょっ……と」
ギ、と音が鳴るほど強く睨み付けるランサーの視線を受け流して距離を詰め、その顔に自分の顔を近づける。
「顔近い、離せばかっ」
「黙れ。お前はもう俺から妙な距離を取ろうとするな、馬鹿」
身じろぎをする彼女の身体を、もう片方の手で肩を掴む事によって逃がさないようにする。
それでもまだ俺に体を生垣に押さえつけられた状態から脱しようともがくランサーの目線と重なるように腰を落として、顔を覗き込んで無理やり目を合わせた。
「どうして契約なんてした。どうしてお前はこんな場所にいる。レイ、お前にそんな事する必要がどこにあった」
人間が死後英霊になるには、それにたる信仰を集めるか、この世界と契約するかのどちらかだ。
現代にいる人間にそんな信仰を集める事は不可能で。彼女が今ここにいる為には、俺と同じ経路を辿る他ない。
俺が契約をしたのは彼女が死んだ後だった。けれど、彼女は違う。
それが何時で、何故そんな事をする事になったのか、どうして彼女がそうする事に決めたのか。
その理由を、俺は知りもしなければ彼女が契約した事に気付きもしなかった。
「…………別に」
「レイ!」
それでもなお拒もうとする彼女に詰め寄ると、その頭の横についていた手を、やんわり押さえて押し返した。
「別に。ただ、あたしの死後を明け渡す程度なら可愛いものだって思えるくらい、愛しい人がいただけだよ。エミヤ」
「……………は」
その、一片の曇りもない顔を向けられて。不覚にも、つかの間見惚れて動きが止まった。
次いでそれはどういう事だとますます詰め寄ろうとして近づくと、そこで、びし、と何故か彼女の額に青筋が刻まれた。
「……? レイ、何」
「………だから、その気もないのに、女とそう距離を詰めるのが、あんたの悪癖だって何弁も言ってきただろう、が!!」
「ぅぐっ!?」
その唐突な怒気のこもった言葉と共に、どすっという鈍い音が、己の腹から聞こえてきた。
それが人を射殺しそうな目でこっちを見るランサーから放たれた渾身のボディーブローだという事はすぐに解った。………解ったが、だからと言って、私のこの内側から響いてくる鈍痛はどうにもならないんだが。
ぐらりとよろめいた隙に俺が彼女の両端についていた手を振り払い、ゴミを見る目で私を一睨みしてふんと鼻を鳴らしてすたすたと1人先に去って行ったランサーを、前かがみで腹を押さえて身動き取れない状態で見送る。
……………何というか。相変わらず、体重の乗った良い拳だった。
数分前とは明らかに違ってむすっとした顔で戻ってきたランサーに、当然ながらバゼットは怪訝そうな目を向けて首を傾げていた。
「どうしたのですランサー。アーチャーと何かあったのですか?」
「なんもない」
「ですが……」
「悪いんだけどマスター。しばらくそこの屑の話題はあたしに振らないでくれるかな。こいつの一族郎党皆殺しにしたくなってくるから」
「は? はあ………」
むすーっと憮然とした顔のままそんな事を言うランサーにバゼットは困惑した顔をしていたが、やがて何を言っても無駄だと悟ったのか、小さく嘆息してそうですか、ではもう訊きませんとだけ言った。
一族郎党も何も英霊の家族なんてとっくに死んでいるんだから無理じゃないのか、とは思っても口に出さないでいておいてやるあたり、彼女はサーヴァント思いな良いマスターだ。うちの凛ではこうはいかないだろう。
そうこうするうちに教会から凛たちが出て来、そのまま深山町の方に戻る事になった。
その様子は小僧の方に若干の変化があったものの、特に変わりはなく、行きとの違いといえば、私が霊体化している事と、ランサーが無表情で自身のマスターの側をぴったりくっついて離れない事くらいだ。
冬樹大橋を渡り終わったたりで各々のマスター達が何か言い合っていたが、霊体化し他の考えに耽っていた私には、はっきりとした内容は頭に入ってこなかった。
すう、と軽く跳んで上空に昇り彼らを俯瞰しつつ、先程のランサーの言葉を反芻する。
“別に。ただ、あたしの死後を明け渡す程度なら可愛いものだって思えるくらい、愛しい人がいただけだよ。エミヤ”
むかむかする。誰だよ、それは。
あいつがそれ程までに入れ込む相手、という事は、私関連での契約ではないのだろうが、そんな奴には会ったことが無かった。
では、私が知らないところであった人物か、はたまた災害関連か。
しかし、彼女は私のような歪んだ人間ではない。お人好しな面は強かったが、それでも一般からは外れないだろう。
ならば、やはり彼女がそれ程までに強く想う、私ではない誰か………?
………………。
考えたら本気で腹立ってきた。止めようもう。過ぎたことを考えても虚しいだけだ。
というか、さっき、私の事をアーチャーではなくエミヤと呼んだよな、あいつ。
…………それだけで思い出して嬉しくなるとか、末期か、俺は。
「アーチャー、行くわよ」
「………ん、ああ」
凛に声を掛けられて、頷いて霊体化はそのままに彼女の頭上に移動する。
その際、一瞬だけランサーと目が合ったが、何を言うでもなく、どちらともなく視線を逸らした。
これで、次会うときは彼女とは敵同市だろう。後悔はない。むしろ、彼女が他のサーヴァントにやられるくらいならば、私が真っ先に見つけて決着をつけてしまいたい程だ。
「―――――ねえ、お話はもうおしまい?」
だから、その声を聞いて、真っ先に凛だけではなく彼女の方にまで視線をやってしまったのは、仕方がない事だろう。
坂の上に、真白い雪の少女と、その隣にいるには大よそ似つかわしくない、巌のような怪物が、いた。
――――ああ、しまった。彼女を、忘れていた。
「じゃあいくね。やっちゃえ、バーサーカー」
歌うように言った少女の言葉と同時に、死の権化が、坂を奔り私達に迫って行った。
セイバールートの士郎の惚れっぷりから考えて、彼らは惚れた人の些細な事で嬉しくなっちゃえるんじゃないのかな、と思っています。
ようやくランサーの名前が出せました。まあ、サーヴァントなのでこれからはまたクラス名で呼ばれるでしょうけど。
次はバゼット視点で書こうかな。
2014.1.12 更新